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第25話 学芸員古沸妖の妄想宇宙論【実体験×科学×オカルト=ビックバン】いっしょにぶっ飛び!

人はなぜ生きるか?

11.善と悪-1

 さてここでこの娘さんと真逆の状況にある殺人犯の事を考えてみようと思います。

 断っておかなくてはいけないのは、殺人犯がいるという事は、被害者がいるという事で本来なら、その両者を併せて考えないといけません。

 しかし、多くの場合被害者は亡くなった人だけで
なく、家族など悲しみを背負った方々がたくさんいます。

 そうした方々の心情を考えると、被害者における作用反作用や体験としての釣り合いを考察するべきではないと思われます。

 そのため殺人犯だけに触れる形で進めます事、ご了承ください。


 先ほども申し上げたように、ビックバンがある点から始まって、その影響で全ての生き物に同じ方向に学びがあると考えると、この娘さんと殺人犯にも同じ方向性を持っている部分が無いといけません。

 まず娘さんについては、自己愛と利他愛を学んでいるのが明白です。

 シンプルな状況はそういう答えを教えてくれています。

 それは善行によって支えられている。

 殺人犯は人の命を奪うという行為をしたのですから、道徳的に見て悪行です。

 全く正反対に見えるので、悪があるからこそ善があると考えがちですが、ある意味それは間違いです。

 善行の反作用は自分にとって救いとなるような反作用で戻って来ないといけない、それが自分を貶める反作用として戻ってくると誰も善行などしないのです。

 それは誰もが無意識に理解できる。

 ただ反作用のタイミングが、善行、辛、辛、辛、良い事のようにどういう順番で経験できるか生き物が予測できない以上、信じる事が出来ないという人も多いのですな。

 しかし、心における作用反作用が物質における作用反作用のようにその瞬間瞬間に起こり、形が決まっているものでない以上、時間が必要である場合もある。

 もちろん悪行を働いた魂は、必ずやその報いを受けとらないといけない。

 ここでどういう理屈が成り立つのかっていうことですな、普遍的に。

 娘さんが自己愛と利他愛を育てる事に特化した人生を送っているという考えが、その切り札となるんです。

 つまり赤木館主はこう考えた、生き物は全て究極の利他愛と究極に自己愛を目指して多くの体験をし、それの記憶を魂に刻む事が最大の生きる目的ではないのかと。

 自己愛と利他愛はしばしば両立しない、自己愛が強すぎると、利他愛まで気が回らない、また、利他愛が強すぎると自己を犠牲にするという事も起こりうる。

 しかし、魂が欲しているのは、どちらも究極に高めた究極の愛であるのではないだろうか。

 では殺人犯の事を考えてみましょう、人の命を奪うほど、自分の欲求に忠実で、利他愛のかけらもない(もちろん、家族が重い病気で楽にするために、といった特別な事情がある場合などは少し考え方は違いますが)、ここで考えるのは金品目的などで、それを奪うために殺人を犯したといった、利他愛のかけらもないケースですな。

 こういった犯人は偏った自己愛を武器にして利他愛を退行させていると考えられる。

 金品を奪う目的は、生活の為、貧乏から抜け出す為、もしくは麻薬欲しさの為かもしれない。

 その中心にあるのは、自分が可愛い、もしくは、自分だけがいい目に会えたらそれでいいという、退廃的な考え方です。

 これが、歪んだ自己愛の姿と思えたんですな。

つづく
→第26話

第1話 1.プロローグ 2.ここは思念の世界です
第2話 3.物語を進めるにあたって
第3話 作用と反作用-1
第4話 作用と反作用-2
第5話 作用と反作用-3
第6話 概念における作用反作用-1
第7話 概念における作用反作用-2
第8話 心における作用反作用
第9話 思い出すってなんでしょう?-1
第10話 思い出すってなんでしょう?-2
第11話 思い出すってなんでしょう?-3
第12話 思い出すってなんでしょう?-4
第13話 オカルトなお話し-1
第14話 オカルトなお話し-2
第15話 出会い-1
第16話 出会い-2
第17話 魂と脳という臓器-1
第18話 魂と脳という臓器-2
第19話 魂と脳という臓器-3
第20話 魂と脳という臓器-4
第21話 この物語の骨子-1
第22話 この物語の骨子-2
第23話 この物語の骨子-3
第24話 この物語の骨子-4

 


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