面倒くさいという気持ちが何を教えてくれるのか
「面倒くさいという気持ちは、どんな時に起きるのか?」
私が知人と話をしていたときのことです。
面倒くさいという気持ちが起きるときに、ある一つの共通点があると、知人が言いました。
「確かにそうだなぁ~」
身に覚えがあり、大きくうなづきました。
日常のさまざまな場面で起きる「面倒くさい」という気持ち。
それが起こるときの共通点は何か?
知人曰く、過大なリターン、大きな報酬を期待しているときに、面倒くさいという気持ちが出てくる、とのことでした。
これで「ピン!」と来た方もいるかもしれませんが、そうでない方も多いでしょう。私もすぐに腑に落ちませんでした。
「過大な報酬への期待」と「 面倒くさいという気持ち」
これが一体、どう繋がるというのでしょうか。
もう少し、紐解いていきます。
大きなリターンや報酬を期待する気持ちは、コストパフォーマンスやタイムパフォーマンスを求める気持ちと似ています。
例えば、ギャンブルのように、少しのお金で大きな対価を得ようとすることだったり、少しの勉強時間で高い点数を取ろうとすることだったりします。
ただ、実際は、その目論見どおりにはなりません。
少しの労力で大きな成果を得たいと思っているけれども、そのためには、実際は大きな労力がかかることを無意識下では分かっています。
短時間で大きなリターンを得たいけど、やはり労力も大きいのだろうなぁ・・・ でも、それは大変だなぁ・・・
これが、面倒くさいという気持ちへと知らぬ間に繋がっていく。
そんな気持ちのカラクリを、知人が話してくれたのです。
私自身の経験と当てはめても、まさにそうでした。
以前、セミナーのプログラムを作ろうとしたときのことです。
「よし、今から半日でセミナープログラムを完成させよう!」
そう意気込んだものの、勢いが長くは続きません。
やることが多すぎて、すぐに「これは大変だ~」 という気持ちが込み上げてきたのです。
そして「あぁ、面倒くさいなぁ」とやる気を失い、手が止まってしまいました。
そのとき、自分の中で何が起こっていたのか?
とにかく短い時間でパッパッと作ってしまいたい、そんな気持ちが先行していたのです。
言い換えると、「半日で完成させる」という「過大なリターン」を、期待していました。
しかし、自分の能力では半日ではできそうにない・・・ それも無意識下で分かっています。
今にして思うと、私はセミナープログラムを作る能力が全くなかったわけではありません。
ただ、半日で一気に完成させるというのは、私にとっては、自分の力を見誤った非現実的な考えでした。
では一体、何が問題だったのでしょう?
問題の原因は、「過大なリターンを求めすぎたこと」につきます。
なので、過大なリターンを求めずに、例えば、「今からとにかく、スライドを1枚だけでも作る」、もっと言うと「1枚のスライドの途中まで作る」という小さめのリターンにすれば良かったのです。
スライド1枚作るのは、そこまで労力がかかりません。
まして、途中までで良いのなら、取り組む際の労力も、少なくて済みます。
もし、そういう小さめのリターンを設定していたら、面倒くさいという気持ちが発生することはなかったでしょう。
タイパ・コスパという言葉をよく聞きますが、少ない労力で多大なリターンを得ようという甘い期待が、面倒くさいという気持ちを引き起こしていたのです。
とはいえ、面倒くさいと思う気持ちは、これからも折々で出てくるでしょう。
ですが、それは「あること」を教えてくれるサインだと今なら分かります。
「本当は無理だと分かっているのに、少ない労力で大きな報酬を得ようとしているよ」
つまり、
「横着していないか」
というサインだと。
そのことに気づいて、横着せずに今の労力に見合ったリターンに変える。
そうすると、めんどくさいという気持ちにならず、スッと自然に動けるようになるかもしれません。