思い出した話 【土器と柿の種】
数年前、白鳥好きが高じて新潟の瓢湖までわざわざ見に行った帰りに長岡駅で途中下車。
駅前の通りのMIMATSU CAFÉのサンキューセールでシュークリームを箱買いしてパクついたので時期は2月と記憶している。
長岡と言えば『栃尾の油揚げ』で有名な栃尾地区がある。前から興味はあるのだが(揚げたてを食べたい)なにせ冬に向かうには距離があり、雪の中で車なしが向かうのはちょっと厳しい。しばし考えて行きやすそうな『馬高縄文館』に向かう事にした。駅には縄文スター《火焔土器》のオブジェもあったりして、見にこいよと誘っている。
馬高縄文館に向かうには、案内所で調べた限りだとバスの便もある。しかし待つ。なら暫く待つよりも時間節約でタクシーで向かう事にした。
ロータリーに滑り込む車に乗り込み、行き先を告げる。運転手のネームプレートを見ると、Sさんという50代後半らしき運転手の笑顔の写真が提示されていた。話してくれそうな雰囲気があると勝手に解釈。普段は乗らないタクシーは貧乏症のためか少しでもナニかで元を取ろうとやたらに話しかけてしまう癖があって、自分でも面倒で謎なこの行動は、もうスポーツと位置づけてしまおう。
オレは元々そんなに社交的な人間では無いし、知らない人に話しかけるタイプでは無い。その性格はさておき、どうも血脈的に喋る遺伝子が強いのか、育った環境か、はたまた子供の頃に夢中で見ていた松竹新喜劇(藤山寛美が好きだった)の掛け合いが影響してか、客観的に見ると明らかに御喋りな人間であるのは間違いない。
以前、大垣夜行の京都方面行きで隣に座っただけの初対面の青年と、横浜〜京都までの9時間近くをずっと途切れず喋り続けた事もあるので、自分が非社交的であるかどうかのジャッジも随分怪しい所でもある。自分が思う自分というのは、いつも事実に即していないような気がする。
話は長岡のタクシーに戻る。
信濃川にかかるフェニックス大橋にさしかかると運転手から「長岡花火」の話を振られる。知ってはいるが実際に見た事は無いのと、TVの特集くらいの知識。勇壮華麗な大会であり、その時に映り込む信越本線の蒼い鉄橋が通りがてらに見える。
そもそも花火大会は長岡大空襲で亡くなった市民の鎮魂であるとの話を聞きながら、スマホで“花火と鎮魂”と検索してみると、花火には送り火の意味があるとも記されている。なるほど。車窓の外の過ぎ行く雪曇りの風景と、記憶の中の花火の映像を重ね合わせて話を聞き入る。たくさんの花火が上がる炸裂音が想像の中で情緒とともに浮かび上がる。彷徨える魂もあの音で空を見上げるのだろうか。今も長岡市民は空襲の犠牲者を忘れずに、あの世までの道筋を地上から照らし続けている。
ふいに「お客さんはどこから来たの?東京」と聞かれて「東京です。杉並区(当時)です」と答えると、「ああ、そうなの杉並ねえ、オレも前の仕事で荻窪に出張所があったから思い出深い場所よ」と運転手さんが言うので、「前職とは何ですか」と水を差し向けてみる。上手くラリーか出来るといいなと思って。
タクシー運転手Sさんの前職は米どころ新潟の《柿の種》を主に作る製菓会社の営業担当だったらしい。東京に単身赴任して、地元の職人がこだわりの製法で作る柿の種の素晴らしさを毎日色んな場所で伝えて納品し続けた。絶対美味しいし自信もあった。贔屓にしてくれる店も増えて充実したやり取りの毎日は、二代目社長がバブルで手を広げすぎて失敗した時に、あっさり終わってしまった。幻になった柿の種。今でも営業に回った東京の日々を夢で見るらしい。セールストークだってまだ覚えていて、スラスラと口にしてくれた。その柿の種が、ここに無いのが残念に思えるほど紹介に魅力があった。ピーナッツなども材料からして違うらしい。
「あの柿の種ほど美味しいのないのになぁ〜、こだわりが違うんだよ」と残念がる。
コチラはただ聞いてるだけなのに、タクシーに乗ったまま過去に行き、Sさんが営業で奔走した東京での日々をチラ見するような臨場感があった。それからSさんの名前のルーツを探る群馬の旅先の観音像の話など、短い間におつりがくるくらい面白い話を聞いた。
弾む話に名残は惜しいが、『馬高縄文館』で降ろしてもらい、去りゆく車に手を振った。
訪ねた縄文館では、たまたま人が居なかった為か、学芸員さんが火焔式土器と火焔土器の違いを丁寧に教えてくれて、ミステリアスな縄文文化を堪能した。新潟の土器は派手で情熱的で良い。気持ちが炎の形で土器に写しとられて、今なお残っているのも良い。素晴らしい土器に囲まれる至福の時間が数百円で味わえる。この施設が近所にあればいいのに。
駅に戻り、忘れず《へぎそば》を食べての帰りの列車で、Sさんに聞いた製菓会社を検索すると
“もう一度あの柿の種食べたい”
“好きだったのに、もうないのが残念”と、
食べた事がある人の書き込みが最近まで結構あって、人気の思い出の味というのに感心した。本日知ったばかりのSさんの仕事の記憶も今は無くても誰かの中に残っていて、この世の何処かで時折思い出されているのだ。
Sさんの話、火焔土器、ちらつく雪、遠くに見える田んぼと信濃川と、僅かな間に沁みてくる土地のvibesは旅のギフトみたいなもので、その地に辿り着かないと得られない。
出かけられない状況が続くので、何となく思い出した。