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『ジュリー』があってよかった ―「感動のままに」歩む芸術家人生と『画廊喫茶ジュリー』

『ジュリー』は、たいてい行ってたかなあ。必ず、見逃してはないと思いますね、絵画の展覧会は。

こう語るのは、新居浜を拠点に活動する華道創心流家元・篠原雅士さん。現在、新居浜市内の文化芸術活動の継承と発展を目指す「新居浜文化協会」の会長も務めています。
篠原さんの話に登場するのは、かつて泉池町にあった『画廊喫茶ジュリー』。新居浜で文化芸術活動をする人々がこぞって集う、親子3代がそれぞれ画廊喫茶を経営する名物喫茶店でした。

ここ(ジュリー)が画廊喫茶を始めたものですから。で、そのまえ、『ジュリー』のお母さんが、銀泉街のところで、ああ名前忘れた・・・画廊喫茶のはしりみたいなお店をやってて。いまの、銅夢キッチンの裏側あたりで。その後、(ジュリー経営者の)娘さんが『さぼうる』という店をやっていて。続いてそこにも行きましたね。美術をやってた人たちは、みんなあそこですね。『さぼうる』でも『ジュリー』でも。

銀泉街にあったという、画廊喫茶の‘はしり’だという店舗。『ジュリー』。そして、『さぼうる』。親子3代がそれぞれ経営する喫茶店で、篠原さんは様々な文化人との交流を深めました。

ぼくの恩師が、絵の展覧会をしたことがあるんですよね。高校時代にそこ(銀泉街にあったお店)で。瓦井好光(かわらい・よしみつ)先生という、芸大出身のすごい先生でね。僕も新居浜東高校でかわいがってもらったんですけど。出身者に、越智節昇(おち・ときのり)先生といって、牛の絵を書いてる。その先生は東高なんですよね。東京学芸大学に行きましたけど。あと、宮田翁輔(みやた・おうすけ)さんというのがいましてね。この人も、素晴らしい方。洋画界ではトップクラスだと思う。そんな人たちを育ててるんですよね。瓦井好光先生は。

篠原さんが恩師と仰ぐのが、小磯良平洋画講習会などで腕を磨いた瓦井好光。新居浜東高校でも教鞭をとり、2007年に紺綬褒章を受章した越智節昇や、二紀会の委員として活躍する宮田翁輔など、画壇で名を馳せる新居浜ゆかりの芸術家たちがこぞって薫陶を仰いだ名士です。そんな恩師と篠原さんの交流も、画廊喫茶がひとつの舞台でした。
そして篠原さんは、高校に入ると、次第に音楽に傾倒していきます。

ぼくは瓦井好光先生に美術を学んだんだけど、音楽に引っ越してしまった、という。高校2年からは、選択教科も音楽にしてしまったという。高校のときも、カルテットくらいでやった。モダンジャズに出会ったのは、アート・ブレイキー(アメリカのジャズドラマー)がきっかけなんですけど。ソニー・ロリンズ(アメリカのサックス奏者)とか。そういうのに魅せられました。だから、ちょっとドラムがかっこよく思えた。お金がかかるから、あの、修学旅行もやめました。「お父さん、修学旅行行かんから、楽器買ってください」と言ったんです。

モダンジャズに憧れ、ドラム担当として仲間たちと演奏に没頭する日々。現在の篠原さんと同じく、華道家として華々しく活躍していた篠原さんの父親からの厳しい目に晒されそうですが・・・

そう思うでしょ、でも違うんですよ、彼(父親)は。どうせ跡を継がせるつもりだったから。いまは好きなことを好き勝手やらせてたら、いずれ生け花に必要になってくるだろう、生け花をするにあたっても、音楽を分かっとかないといけない時代がくるだろう。そういうのがあったようですね。だから、勝手に遊ばせとった感じですよね。いずれ帰ってくるだろうという感じで。それは瓦井先生も同じで。あいつはいずれ帰ってくるだろう、ということで。先生は、授業の中で僕の名前を出してくれてたらしいです。篠原君は必ず戻ってくるから。何に戻るかというと、美術に戻るからと。戻ったけど、美術じゃなくて彫刻だったんですけど。

他の芸術分野に没頭することが、本筋と期待する華道や美術の道でも必ず役に立つ日が来る。篠原さんの父親や、恩師・瓦井先生の先見の明でした。その思いは、愛媛を代表する芸術家として精力的に活動を続ける現在の篠原さんの中に、たしかに実を結びます。

音のない世界というのは、いま僕の人生の中ではありえないなあと。生け花パフォーマンスなんかしても、そこには音楽がつきもので。全部僕の中ではつながってるんですよ。音楽も美術も、ぜんぶ自分のエリアの中にあることで。音楽があるから、こういう作品が浮かぶ、音楽を聴いたからこうなんだ、いつの間にかぼくの作品の中には音楽が流れていて、音楽が流れて初めて、作品が作品らしくなるというかね。そういう感じですね。

音楽、彫刻、陶芸、華道。芸術家として取り組んできたすべての創作活動が「全部僕の中ではつながっているんです」と語る篠原さん。そのような多様なインプットから思案して、最適解を導くように創作を続ける原点は、『ジュリー』でした。

ああ、迷ってるねえって先生に言われたこともあります。でも、ぼくに言わせると、迷ってるわけではないんですよ。悩んでるんですよ、これからをどう切り開くべきか、という。ちょっとかっこいいでしょ。そういう生き方をしたいと思って模索したことはなくて、ただ「まま」に、「感動のままに」生きている感じで。やっぱり、こういう生き方を思いついた、というのも、やはり『ジュリー』のおかげですね。
あそこにいけば、新居浜の人の作品がほとんどですけど、なにかがある。あそこから巣立っていった人たちも多くて。だから、田舎の画廊喫茶なんだけど、田舎じゃない。いろんなところとつながっている。そんな感じがしますね。とにかく『ジュリー』があってよかったと思いますね。

「青春時代のことを伺いたいんです」とインタビューをお願いすると、「いまでも青春時代のつもりですよ」と対応して下さった篠原さん。まだまだ、精力的な創作活動は続くようです。

まだやれよ、というような試練を与えてもらってる感じで。だから、気持ちは年齢を経ても変わりませんね。まだまだできると思いますし。もうちょっと頑張りますよ。

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