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ロボコン部員たちの青春① コロナ禍を乗り越えて、ふたたび動き出した「ロボットエンジニア」たち

「忘年会も新年会もやると思いますね。でも、毎日が忘年会みたいなもんだけどね。雰囲気は、ほんとに忘年会ですよ。」
「僕らが入った頃に考えられなかった雰囲気。」
「僕が1年生のころは、こんなのではなかったので。みんな会話がなかったので。」
「逆に、今はほんと、静かな時がないので。」
「部室も、もっときれいでしたね。いまが一番汚いくらい。」

 新居浜高専の「ロボット研究部」に入部した当時と現在を比べてこのような印象を語るのは、今年の「ロボ研」を主導する3名。
 1人目は、今年開催された「高専ロボコン2024」で、主に上級生が主導する形となった「Aチーム」のロボットの設計を担当した、専攻科1年の脇麟太朗さん。専攻科生ということで大会には出場できませんが、快活な雰囲気でチームをまとめるブレーンです。
 2人目は、同じく「Aチーム」で、ロボットの部品などの配線や結線をリードした、電気情報工学科5年生・沖野千畝さん。落ち着きがありながらユーモアあふれる語り口で、後輩の信頼も厚い頼れるリーダーです。
 そして3人目は、「Aチーム」「Bチーム」両方のロボットを動かすための制御プログラムの設計を主導した、沖野さんと同じく5年生の守屋樹さん。知性ある口調の中に確かな意志の強さを感じさせる、まさに新居浜高専ロボット研究部の「頭脳」です。
 3人が「毎日が忘年会」「静かな時がない」「一番汚い」と表現する四国大会前の部室はなるほど、大会に向けての熱気と、喧騒と、足の踏み場もないほどの部品で溢れています。
 しかし、それは「僕らが入った頃には考えられなかった雰囲気」。彼らがまだ下級生だった当時、それは日本だけでなく世界全体を巻き込むコロナ禍の只中のことでした。

 僕は、高専に入った年がコロナで、だから半年はそもそも学校に来れてなくて。で、後期になって部室に行った時に、正直もっとすごいことをしてると思ったんですよ。でも、あれ、想像してるのと違うぞ、と思って。もっと活気があって、うるさい感じだと思ってたんですけど、僕が入った時は部員が5、6人くらいしかいない感じで。しかも、脇さんの上は2学年ごっそりいなくて。
 だから、ロボットが、というより、モノ全体が少ない。今みたいに散らかってなくて。ロボット製作の作業場というより「たまり場」という感じで、ぜんぜん想像と違って。で、大会もオンラインでアイデア披露みたいな感じで、僕が見てたロボコンでもなくて。

 こう振り返るのは、新型コロナウイルスの感染が急拡大を始めた2020年に高専に入学した守屋さん。元々部員が少なかったところに直撃した、コロナ禍の活動制限。
 当時の活動状況を、守屋さんたちの1年先輩である脇さんは、こう振り返ります。

 僕が1年生で入った時は、2年生がいなくて、3年生もいなくて、4年生が4、5人いて、という感じで。だから、僕が2年生になったときには、本当はもう少し先輩に居てほしかったんですけど、5年生は就活とかがあって来れない。だから、学校から「ロボコン出てね」と言われても、僕ら2年生のメンバーしかいなくて、ノウハウもなくて。今思うと低レベルのものしかできなくて。「これはやべえな」と思って。自分たちの技術どうこうより、まずは人を集めないと、と思って。
 だから、まずは同級生に声をかけまくって。まあ、モチベーションが続く子は限られてるんで、だんだん減ってきたんですけど。
 で、僕の中で大きかったのが、守屋くんの学年が入った時。そのときのロボットは出来が良くなくて、かつコロナ明けでモチベーションも低かったんで、あんまり新入部員来てくれないかなと思ったんですけど、守屋君の学年がむちゃくちゃ良い子が多くて。

 中学時代から、中学生のロボコン大会では県内屈指の強豪校でロボット開発を経験してきた脇さん。「ロボコンはおもしろい、続けたい」と門を叩いたロボット研究部はしかし、学年構成がいびつで活動も停滞気味。そんな「ロボ研」に希望を与えたのが、守屋さんや沖野さんなど、現・5年生の部員たちの入部でした。

 脇さんを中心に勢いを取り戻しつつあった新居浜高専「ロボ研」が、コロナ禍を経て迎えた2023年大会。オンライン開催など大会形態の変更を経験しながら、コロナ前の‘現地対戦形式’に戻って2年目の大会。脇さん5年生、守屋さんと沖野さんは4年生として臨んだこの大会で、新居浜高専の「ロボ研」は、全国大会にあと一歩届かない四国地区大会準優勝という形で戦いを終えます。
 そしてついに、2024年。守屋さんと沖野さんの最終学年。彼らの「集大成」は、前年の準優勝の悔しさを胸に宿した形で、始まったのでした。


その②に続きます。

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