光る君へ二次創作:前筑前守かく語りき
本作は、NHK大河ドラマ『光る君へ』の二次創作です。
紫式部の夫として知られる、佐々木蔵之介さん演じる藤原宣孝を主人公としております。
時代は、筑前守を受領し国司をつとめて戻ってきた(990~994年)後、為時が越前国司として京を出立する直前(996年)の宴から始まります。(第21回)
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藤原 宣孝という男を一言で表現するなら、派手好きな男、となる。
酒杯を重ねながら、藤原 為時は、夜目にも鮮やかな山吹色衣の朋輩をみる。
国司として筑前守の任期を大過なくつとめた男は、世間が受領かくあるべしという富貴の身となって、為時の屋敷を訪れた。
今も、娘のまひろに軽口をたたいては叱られている。
幼い頃からの付き合いだからだろうか。宣孝はまひろの鋭い舌鋒を、おどけて受け流す。
朋輩の素振りに何かを感じた為時は、まひろといとを下がらせ、しばしふたりだけとなった。
宣孝の酒杯に、水をそそぐ。
「筑前はやはり、大変であったようだな」
「うむ」
宣孝は、為時がそそいだ水をなめる。
文章生からの付き合いだ。
お互い、この相手にだけは隠し事ができぬと心得ている。
宣孝は、さほどは酒が好きでない。飲みはするが、それはひとえに、宴に水を差すのを嫌うがゆえだ。
「疫神か」
「いつ気づいた」
「御嶽詣の噂で。おかしいと思ったのだ。あれは、あべこべであろう」
宣孝は、小さく頷いた。
「わしが御嶽詣をした時には、すでに内々で知章殿の辞退と、わしの着任は決まっておったからな。筑前はひどい流行り病でな。知章殿のお身内も、大勢身罷られた」
正暦元年(990年)八月三十日の『小右記』には、筑前守藤原 知章が辞退し、新たに宣孝が筑前守が任じられたとある。辞退の理由は、筑前に連れていった子息や郎等、従類三十余人が病死したためである。
「わしが派手な衣で御嶽に参り、その直後に筑前守となれば、御嶽様のご加護がわしにあることは誰の目にも明らかだからな」
「因と果をさかしまにしたか」
「必要なことであった」
「わかっている。天平の疫病を、再び都で暴れさせるわけにはいかぬからな」
まだ奈良に都があった八世紀のこと。
今に伝わる記録から天然痘と思われる疫病が大陸から伝わり、日本列島を襲った。強い感染力を持つこの病は、瞬く間に広まり、運良く生き残った者が免疫を獲得したことで、終息した。
「こたびの病も、宋の国からか?」
「わからぬ。太宰府の者に調べさせたが、宋人も同じように罹っていたからな。ただ……」
「なんだ?」
「関係があるかないかはわからんが、病が広がる前、相次いで鶏が死ぬ凶兆の報告があったそうだ」
「鶏も同じ病か?」
「わからぬ」
「わしも越前国司になる身。凶兆には気をつけよう」
ちびちびと水をなめていた宣孝は、くいくいと酒をあおる為時に笑いかける。
「まったく……おい、国司となるなら、身の回りに気をつけろ。特にそなたは清廉が過ぎるからな」
「悪いことではあるまい」
「いや、悪い」
宣孝は、たん、と杯を床に置いた。
「病蔓延る筑前に赴任したわしの元に、ほうぼうから陳情と付け届けがきた」
「受け取ったのか?」
「もちろん。すべて受け取り、明細を作った。そして比較した」
「比較? 何とだ?」
「国府にある正税帳とだ。名ごとに陳情の付け届けと毎年の田租を比較し、差が大きいようであれば、その土地に人をやって調べさせた」
「病で、陳情の相場分すら支払えぬ土地がでたということか」
「ひどいものだった。太宰府に近いところほど、被害が大きかった。村一つで家一軒分の者しか残されていない、とかな。郡司もおらず、田畑は荒れ放題だ」
「そなた、どうしたのだ」
「相場分の付け届けをだせた──つまりは、人と財に余力のある土地の田堵に使いをやった。新たに開墾できる土地があるから、人を出せ、とな」
「それは、開墾ではあるまい」
「厳密にはな。だが、耕作放棄地をそのままにすれば、病が終息した時に周囲の者が勝手に入って土地を奪う。それよりは、わしが国司の権でもって土地を取り上げ、配分した方が揉め事は少ない」
宣孝は、為時の酔眼を正面から睨む。
「わかるか。わしが付け届けを受け取るのは、その土地の誰が余力を持つかを知るためだ。食うや食わずで精一杯な者は、付け届けなど出せぬ。余力のある者を働かせるには、このやり方が一番なのだ。私欲だけではないぞ」
「宣孝よ。そなたが私欲だけの男ではないことは、よく知っておるとも」
「わしのことを心配しておるのではない。為時よ。そなたは確かに清廉だ。わしと違い、私欲がない。個人としては美徳だが、それでは欲を持つ者を動かせぬ。そなたは欲を持つ者を理解できても、欲を持つ者がそなたを理解できぬからだ。欲をもて、為時。それがそなたの身を守る」
「失礼なことをいうな。わしとて欲はあるぞ。学びの欲には限りがない。もっと知りたいし、もっと読みたい。我ながら、なんという強欲か」
「わかりにくい! もっと俗な欲をもて!」
「無茶をいうな!」
大声で騒ぐふたりの酔っぱらいの声を聞きつけ、何事かとまひろといとが駆けつけ、その夜はお開きとなった。