光る君へ二次創作:海の見える国
直秀&散楽一座、生存ルート
烏が鳴く。歩みを進めると、鳴き声が大きくなる。
血の臭いがする。歩みを進めると、臭いが強くなる。
まひろの前を行く、三郎の歩みが速くなる。遠ざかる背を小走りに追う。
烏が、まひろと三郎に向かって、大きく一声鳴いた。近づくなと。
──ああ‥‥もう‥‥間に合わないんだ。
鳥辺野という地名を聞いた時から、嫌な予感はしていたのだ。
遠流されるはずの散楽一座が、なぜ、鳥辺野に連れていかれるのか、まひろにはわからない。三郎が、右大臣家の三男が、検非違使の看督長に賄賂をわたしたのではなかったのか。手荒な真似はされないはずだ。それがどうして、こんなことになったのか。まひろには、さっぱり‥‥
──自分に嘘をついてはダメ、まひろ。
心の中から声がする。よくまわる自分の頭を、まひろは呪わしく思う。
──あなたは、この結末があり得ることを、予測していた。
検非違使が、盗みを犯した直秀ら散楽一座を、何もなしに放免することはありえない。
律で定められた刑罰は五刑。笞、杖、徒、流、死だ。直秀らは右大臣家の東三条に忍び込んで盗みはしたが、人殺しはしていない。
罪に相応する刑は、杖。それが、より重いはずの流となったのは、三郎が「手荒な真似をするな」と看督長にいったからだ。
──だけど。ああ、三郎。富貴な右大臣家で育ったあなたは知らないでしょうけど、遠流は、検非違使にとって、とても面倒な、避けたいことなの。
その、少し前。
直秀と散楽一座は、腕を縛られ、検非違使に囲まれ、烏がやかましく鳴く、薄暗い阿弥陀ヶ峰の丘陵へと続く斜面を登っていた。
この鳥辺野がどういう土地であるかは、皆がよく知っている。
早朝。看督長から遠流が決まったと牢から出され、この仕打ちである。このままではまずいのではないか、とは皆が思っていた。
──だが、ここで抵抗してみろ。検非違使は、それこそ、咎人が暴れたから、と、理由をつけて、おれたちを殺す。
直秀は、何度も自分を小突く看督長を睨んだ。
看督長は嘲弄の笑みを浮かべた。腹の立つことに、小突いた杖が奪われないよう、背に回している。明らかに、直秀の抵抗を誘発させようという動きだ。
「はっ」
直秀は、看督長の嘲弄に、乾いた笑みを返す。
──望み通り、抵抗はしてやるさ。だが、今じゃない。そして、お前にじゃない。おれたちが抵抗するのは、地方から上がってくる年貢を奪い、平安京の中でのうのうと暮らす朝廷の貴族どもに、だ。
看督長の笑みが消えた。元は盗賊で、今は赦されて検非違使となった男の胸中に、冷たい殺意が満ちる。
──こいつは、殺す。絶対に、殺す。
それまで看督長の中には、ふたつの選択肢があった。
盗人どもが抵抗すれば、それを理由に殺す。
盗人どもが抵抗しなければ、手足をへし折り、半殺しにして、鳥辺野に晒す。
どちらも最後は全員が死ぬが、死穢を厭うのは、検非違使も同じである。律の刑罰でいえば重すぎる死罪を、何の根拠もなく、自分たちの手で与えたくはなかった。
──死穢とかもう、どうでもいい。殺さなけりゃ、しめしがつかねえ。
看督長は、手下の検非違使どもを睨んだ。
──お前ら、このことを右大臣家にチクりやがったら、ただじゃすませねえぞ。
検非違使たちは、むっつりと看督長の視線を避ける。
手下の腹の内を見てとり、看督長は、さらに苛立つ。
──くそっ、こいつら、信用ならねえ。
看督長からして、前の看督長が群盗の盗品を横流しして私腹をこやしていたことを密告し、今の地位についている。機会さえあれば、手下も自分の足元をさらおうとするだろう。
──右大臣家の三男からもらった賄賂を、こいつらにも分けるか? いや、おれが自分の取り分を減らせば、それこそ、こいつらに舐められる。
それよりは、そこらの町家に無理難題を押し付けて家財を奪い、それを分配する方がいい。
──そうすりゃ、罪悪感を抱く真面目な検非違使ほど、ここでの殺しを密告しにくくなるからな。よし、それがいい。
考えふける看督長の注意が、散漫に、なった。
再び時を戻し、今。
三郎とまひろが、息を切らし、丘を登る。
──検非違使が、七人も同時に流罪をするなどあり得ないと、なぜ思い至らなかったのだ。
自責の念が、三郎を苦しめた。
父為時が長く官職を得られず、生活が苦しかったまひろと違い、右大臣家の三男である三郎は、貧乏を知らない。
それでも、政務を担当している三郎は、治安維持を担う検非違使庁が慢性的な財貨不足に苦しめられているのは知っていた。
対して、朝廷では検非違使を穢をまとう下級役人として、常に侮蔑の目を向けていた。もちろん、予算の増額などあり得るはずもない。
──流罪となれば、絹布など、多くの財貨が検非違使の持ち出しになる。罪人も食わせてやらねばならない。わたしの賄賂では、とうてい足りぬ。
持ち出した財貨が申請すれば戻るなら、それでも流罪が行われる一縷の望みがあった。だが、混乱を極める今の花山天皇の政では無視されるのがオチだ。
──天皇と貴族は、揃って権力争いにうつつを抜かし、政をおろそかにしている。これで検非違使だけは真面目に働けといっても通るまい。だいたい、最初に賄賂を渡したのは、わたしではないか。
もっとも罪深い咎人は、直秀でも、看督長でもない。右大臣家の三男の、この自分だ。三郎は拳をきつく握りしめる。
稜線が見えてきた。
怯れで、三郎の足が止まる。
もう、血の臭いは、己を誤魔化せぬほどに強い。己の罪と向き合う時がきたのだと、三郎は覚悟を決める。
追いついたまひろの、柔らかな手が、固く握られた三郎の拳を撫でる。
ふたりは一歩を踏み出す。
「え」「え」
思いもよらぬ光景に、間抜けな声が、重なる。
「なんで」「どうして」
再び、間抜けな声が、重なる。
そこには死体があった。背中から矢で射抜かれた死体だ。
検非違使の。看督長の死体。
呆然と立つ三郎の耳に、弓を引く、ギリリという音が聞こえた。
咄嗟にまひろを背にかばい、三郎は音の方を見る。
「やめろ。そのふたりは敵じゃない」
慌てた声が弓の引き手を制止する。三郎にとっても、まひろにとっても聞き慣れた声。もう二度と聞くことができぬと思っていた声だ。
「直秀!」
「無事だったのね!」
射手を制した声は、散楽一座の直秀だった。
「こいつらは、おれの故郷の‥‥乳兄弟のようなものだ」
直秀が、三郎とまひろに、三人の男女を紹介した。男が二人に、女が一人。弓を引いていたのは、女である。猟師だろう。腰に毛皮を巻いている。まひろより背が小さい。年も若そうだ。
「何があった。他の検非違使は」
「看督長に殺されそうになった。あけびが射殺した」
あけびというのが、女の名前らしい。あけびは、無言のまま、闖入者ふたりを睨む。
「他の検非違使は、逃げ散った」
「そいつはまずいな。すぐに追手がくるぞ」
「ああ。だからおれたちも逃げる。散楽一座は、その準備で散ってる」
まひろは、看督長の死体を視界に入れぬよう注意して、直秀に聞いた。
「どこに逃げるの」
「おまえが、しる、ひつようはない」
弓を握ったあけびが、まひろを遮る。
「やめろ、あけび。まひろは敵じゃないといっただろう」
「だって、わかさま。こいつが、しゃべったら、こまる」
直秀と、あけびたち三人のやり取りを注意深く観察した三郎は、ひとつの推論を導きだす。
「直秀。おまえ、故郷では郡司の一族の者だな」
三郎の言葉に、直秀より、他の三人の方が反応した。
あけびが矢を掴む。
矮躯な方の男が、鉈を手にする。
痩身な方の男が、するすると、三郎の背中の側に回る。
「それを知って、どうする」
「どうもしない。今はな」
直秀は、しばし黙考し、それから答えた。
「都を去る前に、借りは返しておくか。三郎の想像通りだ」
「やはり、そうだったか」
「どこでバレた」
「最初から、違和感はあった。散楽一座の中で、直秀は他の仲間と違っていたからな」
「そうね。直秀には学があったわ。わたしの脚本、けっこう難しい漢字もあったのに、直秀だけはすらすら読んで、他の人に解説してたじゃない」
「間違いない、と思ったのは打毬の時だな。他の誰も、直秀がおれの弟だと疑わなかった。直秀の所作が、きちんとしていたからだ」
直秀は散楽で貴族の役を演じることもあるからだと主張したが、階級社会における所作は、そう簡単に真似できはしない。
「そして、馬の扱いだ。馬と息を合わせることは、何年も乗馬して調練せねば身につかない。弓の腕前はみてないが、そちらも、さぞ達者だろう」
「狩りで猪を退治する程度だ」
直秀が謙遜すると、あけびが憤然と口を挟んだ。
「わかさまの、やぶさめ。百発百中、ぜったい、はずさない」
「流鏑馬か。百発百中はすごいな」
あけびが、むふー、と鼻を鳴らす。
「松尾大明神さまも、およろこび」
「やめろ、あけび」
直秀が止めるが、手遅れだ。
まひろの頭が、松尾大明神という言葉で検索をかける。
「山城の松尾大社の神さまね。勧請して全国にあるけど、そこの祭りで流鏑馬を奉納するなら、やっぱり直秀、郡司の出なんだ」
「父はそうだが、おれの母はただの百姓の娘だ」
父の後は、正妻の子である兄が継ぐ予定だった。その兄と、百姓からの出挙の取り立てで大喧嘩となり、直秀は家を飛び出し、散楽一座に加わることとなったのだと語った。
三郎は、兄を持つ我が身を顧み、直秀に親しみを感じた。
「なるほど‥‥ん? なら、三人はどうして直秀を追いかけてきたんだ?」
直秀は乳兄弟三人に一瞥をくれ、三郎に向き直った。
「兄が死んだ。病だ。こいつらは、父の文を持ってきた。帰ってきて、後をついでくれと懇願された」
「どうするんだ?」
「一度は戻る。他に手はなかったとはいえ、検非違使を殺したんだ。追手から逃げる必要もある。だが、父の後はつがん」
この一件が明らかになれば、郡司をつぐことはできないと直秀はいった。
そうでなくとも、母の身分が低い。さらに、罪人として朝廷から追われているとなれば、遠い親戚までもが、好機とみて郡司の地位を狙ってくるだろう。
支配者階級の内紛ほど、地下の百姓にとって迷惑なものはない。
百姓の苦労を知る直秀に、そのようなことはできなかった。
看督長を射殺したあけびが、しょんぼりと肩を落とす。
三郎が、強い口調でいった。
「いや、戻れ。そして後を継ぐんだ」
「断る。お前には関わりのないことだ」
「ある。看督長がお前を殺そうとしたのも、逆に射殺されたのも、おれが愚かだったからだ。おれには責任がある」
「なら、なおさら断る。おれが郡司になれば、その地位を狙う奴らに、かっこうの口実を与えることになる」
「させぬ。口実を与えねばよいのだ。本日これより、おまえの故郷は、右大臣家の預かりとなる」
直秀は、三郎の言葉に、目を瞬かせる
「な‥‥本気か? ‥‥いや、本気なようだな。正気か?」
「うん‥‥正気では、ないな。権力の頂点を目指すなら、狂気も必要だろう」
「こんなことをして、お前に何の得がある」
「直秀が手に入る」
「う‥‥」
あまりに直球な三郎の言葉に、直秀が怯む。
ここが勝負所とみて、三郎が畳み掛ける。
「今日のうちに、おれが文を二通、書く。一通はお父上に、顛末を説明する。一通は家印を捺したものを。こちらは自由に使え」
──家印を捺した文、というのは直秀の親族への説得用ね。
直秀が右大臣家の庇護下にあると示すことで、郡司を巡る争いを起きる前に封じるのが三郎の狙いだ。
──受けて、直秀。あなたのために人殺しまでした娘のためにも、あなたは、これを受けなきゃだめよ。
まひろの強い目線が伝わったのか、迷う直秀の顔がまひろを見る。
──あ。ヤバい。この直秀、断っちゃう顔だ。なんとか説得しないと。
まひろは考える。自分に説得する手はないか。納得させなくてもいい。今この場で、直秀の言質を奪う手はないか。
あった。
「直秀。あなたいつかわたしに、海をみせてくれるんでしょ」
賭けだった。
松尾大明神の祭りで流鏑馬を奉納したという情報が正しければ、直秀の故郷は全国にある松尾神社のどれか。
そして、大陸についての直秀のこれまでの言葉は、交易を通して学んだものに思えた。
あれこれを考えると、直秀の故郷は、海に近い可能性が高い。
まひろの口撃に不意をつかれ、直秀は、しばし、呆然とした。それから、小さく笑いを浮かべる。看督長に向けたのとは、真逆の心をこめた笑み。
「上日荘だ。能登国の」
三郎に向かっていう。遠回しな承諾の言葉だった。
三郎が笑顔になる。
「わかった。家中の手配と説得は任せておけ」
「頼む。それとまひろ」
「うん」
「松尾大明神さまがある社は、内陸なんだが、ちょっと北に歩けば、海がある。いつか見せてやるよ」
「うん! 楽しみにしてる!」
「え」「え」
笑顔で約束をかわす直秀とまひろに、三郎とあけびが、間抜けな声を重ねた。
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