見出し画像

ビターチョコレート

 8月下旬、大学の夏休みも終盤に差し掛かった頃、サークルで同期の吉岡が、高校時代の女友達を誘い、吉祥寺の居酒屋で男3女3の飲み会が開かれることになった。こちらは同じサークルの同期である吉岡と飯田と俺、あちら側は吉岡の女友達の市川さんと、彼女と同じ大学の前田さん、橋本さんというメンバーだった。吉岡と市川さんがそれぞれメンバーを集め、店も予約してくれたのである。
 会は吉祥寺の北口にあるチェーンの居酒屋で行われた。俺ら男メンバーは予約時間の10分前に店に到着し、一足先に飲みの席についた。予約していた席は半個室の掘り炬燵であり、俺たちは通路側の座席に3人横並びになって座り、女子メンバーの到着をソワソワしながら待った。
 女子メンバーの到着を待ちながら、俺は1人心の中で今回の飲み会の作戦を練ることにした。実を言うと、俺は今回のような、所謂、合コンというものに参加したことが一度もなかった。だから、合コンがスタートする前にある程度作戦を練らなくてはいけなかったのである。とはいえ、俺には自信があった。というのも、吉岡と飯田には悪いが、今回の男メンバーのなかでは、俺が1番のイケメンであることは間違いなかったのである。だから、俺が変なミスをしない限り、今回の飲み会では俺が1番良い結果を得られるはずである。口に出して言うことはないが、正直、吉岡も飯田も雰囲気が幼稚すぎる。つまり、垢抜けていないのである。大学3年にもなって、童貞臭が抜けきっておらず、そこら辺の中学生と同じような雰囲気を纏っている。残念だが、こんな2人に食いつく女子は存在しないだろうと思われる。飯田は髪がボサボサだし、服もたまらなくダサい。首元がヨレヨレの白Tに膝上丈の短パン、安そうなサンダルというスタイル。そして、ズボンの下にはゴリラ顔負けのすね毛が顔を出している。また、吉岡に関しては、飯田よりも服装に気を遣っているようだが、整髪料を使いすぎたせいで髪の毛が最早、不潔の域に到達するほどテカテカしている。ただ、もし仮にこの2人の中で俺と競り合う可能性があるとしたら、吉岡であるとも思われた。そもそも、今回の飲み会をセッティングしたのは吉岡だし、何より市川さんと既に仲が良いという点で吉岡は一歩リードしている。しかし、大学での立ち振る舞いを見る限り、飯田はもちろんのことだが、吉岡が女子と上手く会話できるとは到底思えなかった。だからこそ、俺が場を盛り上げて、女子慣れしている雰囲気を出すことができれば、そのようなアドバンテージなど簡単に巻き返すことができるはずである。
 女子が到着するまでに少し時間がかかりそうなので、俺はトイレに行って、身なりの最終確認をすることにした。個室に入ると、ズボンを下ろして体毛の処理がしっかりされていることや、今日のパンツが万が一女子に見られても恥ずかしくないものであることも確認した。清潔感のあるパンツを見つめながら、あいつらは子供だからここまで気を遣ってはいないんだろうな、と思い、尚更自信を深めた。個室を出ると洗面でヘアスタイルの微調整をした。何より前髪に気を遣った。親指と人差し指で前髪の毛先を摘み、目が満遍なく隠れるようにした。こうすることによって、垢抜け感やミステリアスな雰囲気を醸し出すことができる。あとは、髪全体の形を綺麗に整えて、きれいなマッシュヘアを作った。そして、最後に指の爪が綺麗に切り揃えられてることを確認すると、服の裾を下に軽く引っ張り、皺を伸ばしてから、トイレを出た。
 10分ほど遅れて、女子メンバーが到着した。1番最初に座敷に入ってきた、ボーイッシュでいかにも社交的な金髪のショートヘア女子が市川さんで、続いて入ってきた茶髪のミディアムヘアで花柄のワンピースを着た女子が前田さん、そして最後に入ってきた、黒髪短髪で少し大人びた雰囲気を湛えた女子が橋本さんである。向かって左から、市川さん、前田さん、橋本さんという順に並んで座った。率直な感想を言うと、3人ともとても可愛かった。間違いなく「当たり」だった。
俺は内心とても喜んだ。そして、今回の飲み会は頑張らなくてはいけないと思った。
 簡単な挨拶を済ましたあとで、俺はとりあえずドリンクを注文しようと提案した。こうすることによって飲み会の主導権を握ることができることに加え、男らしさをアピールすることもできる。しかし、ここで注意すべき点が一つある。それは男が先に飲み物を決めるということだ。女子というのは何かと周りに合わせたがる生き物だから、飲み物を選ぶときも、男が先に決めてくれた方がやりやすいのである。だから、吉岡や飯田が迷っているなか、俺は即決した。吉岡や飯田にも自分と同じ生ビールを注文するように促し、男子メンバーの注文をテキパキと取りまとめると、今度は女子に飲み物を何にするか聞いた。すると、案の定、市川さんと前田さんは「私たちも同じので」と言ってきた。想定通りである。しかし、橋本さんだけは、レモンサワーを注文した。
 飲み物が届いて乾杯すると、改めて自己紹介が始まった。女子メンバーはそれぞれ名前と大学名と年齢を言った。俺は彼女らの自己紹介をしっかりと聞き、時折相槌など打った。男子メンバーの番になると、俺は吉岡や飯田の自己紹介の最中に適度に合いの手を挟み、時には軽いイジリやツッコミなどいれながら場を盛り上げた。そして自分の番になると、軽いジョークを交え笑いを取りつつ、簡潔に自己紹介をした。ここまではかなり良い流れである。唯一気がかりだったことは、橋本さんの表情が少し固かったことである。
 時間が進むに従って飲み会は盛り上がっていった。男子メンバーに関する馬鹿話をしたり、吉岡や飯田の話にツッコミを入れたりした。我ながら笑いのセンスは抜群だと思った。芸人顔負けのセンスだとすら思った。しかし、橋本さんだけはあまり笑っていなかった。そのことがどうしても気にかかったので、橋本さんが席を立った隙をついて、探りを入れてみた。すると、市川さん曰く、橋本さんはあまりこういった飲みの場に慣れていないことに加えて、恥ずかしがり屋で、あからさまに感情を表に出さない人であるとのことだった。しかし、それを聞いて俺はさらに燃えた。なんとしても橋本さんを笑わせたいと思った。というのも、俺は橋本さんを狙っていたのである。
 橋本さんが座敷に帰ってきたタイミングを見計らって、俺はみんなで連絡先を交換しようと呼びかけた、とても自然な流れで。吉岡や飯田が少し恥ずかしそうにしているのを見て、内心、「お前らはそれだからダメなんだよ」と思いつつ、優越感に浸った。そのとき、橋本さんの携帯が目に入った。驚くことに橋本さんの携帯の画面はバキバキに割れている。美人でお淑やかで大人びた雰囲気を湛える彼女の携帯の画面がバキバキであるというギャップに驚いたが、俺はこれはチャンスだと思い、すぐさまそのことをイジってみた。
 「橋本さん、携帯の画面のクセが凄い!範馬勇次郎の腹筋くらいバキバキじゃ」
すると、橋本さんは一瞬キョトンとした顔をしたのち、笑い始めた。最初はクスクスと小さな笑いだったが、それが次第に大きくなっていき、最終的にはお腹を抱えてうずくまるようにして笑った。最初は他のメンバーも笑っていたが、次第に橋本さんの度を過ぎた笑い声に他のメンバーが引いてしまうほどまでになった。見兼ねた前田さんが、うずくまる橋本さんの背中をさすりながら少し心配そうな顔をした。うずくまりながら、絞り出すようにして発せられた甲高い笑い声は、若干聞き苦しいものであった。先程までのお淑やかな雰囲気とは全く別の橋本さんがそこにいた。
「夏子、大丈夫?少し笑いすぎだよ?そんなにツボに入っちゃった?」
前田さんは笑いながら言う。そして、
「夏子がこんなに笑ってるの初めて見たよ。なんか、ツボに入っちゃったみたい。よっぽど面白かったんだね!ほら、水飲んで」
と言うと、橋本さんに水を差し出した。橋本さんは水を飲むと、ようやく落ち着いた。そして、真っ赤に染まった顔で俺の目をじっと見つめると、
「佐藤さんって本当に面白いお方ですね」
と言って微笑んだ。俺はとても嬉しかった。そして、潤んだ瞳でこちらを見つめる橋本さんを見て、俺は彼女に完全に惚れてしまったのである。
 飲み会が終わり、解散すると、俺は推敲に推敲を重ねて橋本さんにLINEを送った。そこには今日来てくれたことに関するお礼と、今後も仲良くしていきたいというメッセージを若干のジョークと共に、それでいて品を失わないような形で包み込んだ。格好良い大人の男とは、ユーモアと品を兼ね備えた存在であり、俺はそういった存在でありたいと常々願っていた。吉岡と飯田には申し訳ないが、彼らがこのレベルに到達するにはまだまだ時間がありそうである。俺は橋本さんのことを想い出しながら、誰もいない寂し気な夜道を家に向かって歩いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?