行きづらくて生きづらいひと
人に、考えすぎて損をしていると言われた。気づかなくてもいいことに気づいてそれに疑いをもち、わたしがする必要のないお節介をしていると。
正しいことは正しい。正義は正義だ。
じゃあ、正しいことをするのは正しいのだろうか。正義をもって行動するのは必ずしも正義なのだろうか。
今まで自分がしなくてもいい世話をわざわざ焼いてきた自覚は幾度となくある。受け流せばいいことにあえて気を留めてしまい無駄に気を揉んできた。それはわたしの性格だから仕方がないと、そう思っていたし、きっとそうだと自分自身に思い込ませてきた。
でも、でも。それで得をしたことが一度でもあった?
得だなんてやらしい言い方しなくても、自分の為になったと胸を張って言える?
答えは、正直わからない。ノーだと言いたいけれども、どこかでわたしのプラスになっていると信じたかったよ。文化祭も、部活も、執行部も。全部ぜんぶやってよかったって心の底から言いたかったよ。
だけど実際はそう上手くはいかないのだ。親切だとか伝統だとか責任だとか、そんなの理由にはなってくれなかった。結局自分の頑張りは誰も見ていないし、必ず報われるなんて甘い話はどこにもない。いつもだ。わたしの努力がわたしの、他の誰でもないわたしだけのものだと、そう認められることなんてほとんどなかったのだ。少なくともわたしはそう感じていたよ。
あぁ、わたしの正しさとは、正義とは、一体なんだったのだろうね。同じ環境に身を置く誰かが気づかなかったこと、わたしが見つけて行動に移したのは正しいこと?
それが正しいとして、その正義ってわたしにとっても正義と言える?
正しいことをするのは、正しいこと?
嫌だな、正の字がゲシュタルト崩壊してきちゃった、あ〜あ。
きっとみんなが見ていないことに目を向けられるのはいいことだよ。とってもえらくて尊いことだよ。
見返りなんていらないよ。ね、ぼく。