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何にもなれないから何にでもなる
「これだけは人に負けない」というもの、こと。就活の面接練習で備えておくべき質問にも出てくるこの項目。これがすごく苦手だった。運動以外の事はある程度出来てしまったので、突き詰めた努力をしてこなかったからだ。
【器用貧乏】
このワードにどういう印象を持つだろうか。
三省堂大辞林の第三版によれば
「なまじ器用なために一事に徹することができず、結局、大成しないこと。」
という意味があるようだ。英語では
Jack of all trades, master of none
というイディオムに訳される。
前半のjack of all tradesだけを用いて「何でも出来るひと」のように肯定的に使われることもあれば、master of noneに含まれる「けど専門性はない」という意味に重きを置いて皮肉的に使われることもあるようだ。
この辺の使い分けの感覚は正直わからないが、私としては前者の使い方であってほしい。
何にもなれなかった
私を知る友人や先輩後輩や会社の人は、皆「器用だよね」と言ってくれる。それはきっと、私が「器用に見せるのが上手い」からだ。
カバー写真は、社会人1年目の時に買った一眼レフの入門機で撮ったものだ。
9歳から高校卒業まで英会話に行っていたので発音だけはネイティブに認めてもらえた。語彙力は弱い。
料理は一通り作れるしクッキーもタルトも焼ける。
大学時代は軽音楽部に入っていたからコードがあればギターが触れる。もちろんコピーバンドだった。
裁縫も物作りも好きなので、いくつか新生児用品を自分で作った。
絵を描くのが好きだから、無料アプリの範囲で描いたりしている。
どれも、ある程度「まぁ見せられるレベル」ではあるのではないだろうか。けど、どれかに秀でてるわけではない。
そして今の仕事も、何か上記を活かしているわけではない。インバウンドのお客様が来たら対応できる、くらいのものだ。
では【器用貧乏】の意味を振り返ってみよう。
「なまじ器用なために一事に徹することができず、結局、大成しないこと。」
これ以上に私を表す言葉が他にあるだろうか!!
昔から、家庭科や図工などの受験科目ではない科目はだいたい5だったし、真面目だから先生達とも仲が良く評価も悪くなかった。
けど、何にもなれなかった。
理由はもちろん、努力不足だ。専門知識として落とし込んで勉強を続けていれば、手に職ができたかもしれない。けど色々やってみたらどれもある程度は出来るのが面白くて、あっちもこっちも手を出してしまった。何でも出来てしまったから、何もできなくなってしまった。
何にでもなる
ここまで読んた人が「何を贅沢な」とか、(ある分野に精通した人が)「詳しくも無いのに領域に入ってくるな」と言う声が聞こえる。嫌というほど聞こえる。
何故これを書いたかというと、恐怖を落ち着けるためだ。
一昨年、何にもなれないまま結婚をして、夫の勤務地に合わせて地元を離れた。息子が生まれた今、私は「母親」以外のアイデンティティを失いそうで怖いのである。
育休から復職して働く予定はもちろんある。それでも、この先自分が「息子の母」という存在でしかなくなるのではないかという恐怖に襲われる。(ここでもまた「贅沢な」という声が聞こえそうだが)
我ながら産後はずいぶんネガティブになってしまったなぁと思うので、ここら辺でポジティブに戻ろうと思う。
何にもなれなかったから、頼まれれば、何でもやれる人でいようと思う。
例えば息子が写真に興味も持ったら、とりあえず機材を貸して最低限の使い方を教えるくらいはできる。
浅くも広い視野がある方が、日々を楽しめるはずだ。
器用貧乏というワード、皮肉で使われることの方が多いけど、これからは自分のいちパーソナリティとして愛していこう。