猫も杓子も
猫には勝てないと諦めている。
いくら文章を書いても、いくら詳細にその日の出来事を記しても、可愛い猫の画像には敵わない。猫は好きだ。そりゃあ、身体を撫でたら毛並がフワフワしてるし、肉球はプニプニしてる。梶井基次郎で一番好きな作品は愛撫だし、猫耳の美少女が突如目の前に現れたら嬉しいし、ネコカフェには一度行ってみたいと思っている。一つどうでもいい願望が混じったが、猫が好きというのは本当だ。嘘ではない。
NHKに『岩合光昭の世界ネコ歩き』という番組があるのだけれど、岩合光昭という人は動物写真家で、日本人で唯一ナショナルジオグラフィックの表紙を二回飾った凄い人物だという。自然と猫の方から寄ってくるそうだ。おいおい、猫に好かれるカメラマンって、どういう異能の持ち主だ。前世にどれだけの徳を積めば猫に愛されるというのか。そう思って検索するとAmazonで『ネコを撮る』という著書が売られていた。猫を撮るためのテクニックが載っているらしい。購読するべきなのだろうか。
それはさておき、猫は可愛い。猫は見てると癒される。うるさい酔っ払いの側に猫がただ居るだけで、その酔っ払いは穏やかになる。人間のストレスを和らげるし、クトゥルフならSAN値を保たせてくれるだろう。白い髭を生やし、集中している時だけ眼を爛々と輝かせ、その他は大抵ノンビリと眠っている。ビジュアルの美しさ。歩くそのシルエット。我が物顔で公園を横切り、神社の階段の真ん中に鎮座する野良猫。飼い猫は大概可愛くニャーと鳴き、野良猫はフギャーと変な声で鳴く。野良猫といえば内田百閒の『ノラや』をまだ読んでいない。猫がいなくなってしまう話らしい。気にはなりつつも読んでいない本が多い。読んでない本が多いのと同時に、猫への知識は随分と乏しい気がする。
猫に関する諺で『猫の手も借りたい』という言葉があるが、猫に手はない。前足である。そんな無粋なツッコミが意地悪く毎回生じるので、『無い袖は振れない』と同じ解釈だと屁理屈をこねようと考えているのだけれど、そもそも猫は人間様に力を貸してくれない。側に居てくれると気分を和ませてくれるだけである。仕事の休憩中についつい猫の画像をネットで検索して見てしまうのも同じ理由からだろう。
それに比べ、テキストには猫の画像ほど人を癒す力はない。猫がゴロゴロと喉を鳴らすと骨折した部分が早く治癒するという話があるが、テキストを読んだだけで末期癌患者を治したなんて話は聞かないし、精々病気に関する知識をくれる程度である。それでも猫の次くらいには役に立っていると信じたい。猫にはまったくもって敵わないのだけど、猫にとって人間の読んでいる文章など眼中にない。読書中に邪魔をされても、ああ、猫ならば仕方がないと許してしまうのだから。