整理整頓思索中
部屋にはフェローズのバンカーズボックスが積んである。
バンカーズボックスとは洋画でよく観る退職したビジネスマンが職場の荷物を詰め込むのに使っているダンボール箱で、耐荷重量が65キロもある優れものだ。Amazonで買える。
それが年末の大掃除、7箱あるうちの5箱の整理整頓が終わった。整理した箱の中身は文房具と雑貨類にフィギュア、ゲームと映画のソフトで、それぞれ綺麗に品名をリスト化し、晴れやかな気分で新年を迎えたのだ。
問題は整理していない残りの2箱である。
とりあえず放り込んでおいた何がなんだかよく解らない紙の束で埋まっている。おそらく、映画のパンフレットや散文が入ったクリアファイルや期限の切れた保証書や、とっくに処分した電化製品の取扱説明書やらといった物がたくさん詰め込まれているのだ。後生大事に取って置くつもりはなかったのだが、何故か捨て忘れてしまった物が大半だろう。
この整理されていない箱の中を考えると憂鬱で憂鬱で、整理整頓するのにいつも躊躇していて、それがかれこれ5年は続いてしまった状態になっている。長い付き合いだ。5年も続いた躊躇は躊躇と果たして言っていいのか判断に迷うが、まあ有り体に言い換えてしまうと中身を片付けるのが酷く億劫で、面倒臭くて堪らないのだ。いやもう正直に告白しよう、本当にやりたくない。
だからといって、いつまでも鬼門にし、ほっぽっておく訳にもいかない。最近は付喪神化してきて、片付けなければいけないという強迫観念めいたオーラがノシノシと心に重く圧し掛かってきている。
その重さは丁度この紙の束の入ったこの箱の重さと等しいに違いない。
「いつか自分がやるべき事であり、いまはまだその時ではない」と格好つけて台詞を言ったところでTo Do Listが減る訳でもない。ペーパーレス社会になるはずだったのに、いったい全体どこで間違ってしまったのか。そう嘆いてみても始まらないのは理解している。理解しているからと言って、打開策が生まれたというためしがないのはもう毎度の事。すでに達観の境地にいる。
部屋を一見すると整理されているように見えるものの、ゴチャゴチャしてるのを隠しているだけに過ぎない。押入れの中に詰め込んで片付けられているように見える人と基本原理は同じで、それがダンボールに変わっただけ。実際は決して片付いてなどいないのだ。
整理整頓は好きな方だが、それはもっぱら本棚と机の上に限られた事であり、自分の私物については無頓着である。洗濯した衣類も適当に詰め込んでいる気がするし、箪笥に一度しまってしまえば他人には見えない。
見えない事をいいことに、ぞんざいに扱い、ゴチャゴチャと詰め込んであとは知らんぷりである。箪笥の肥やしとはよく言ったもので、箪笥が成長したという話は聞かないし、大抵の物は遺留品として処分される運命にあるのだろう。
さて、随分と考えなしにどうでもいい事を述べた気がする。
延々と片付かない紙の束を整理する前に、自分のまとまらない思考をほんの少しばかり整理しておこうと思い駄文を連ねてみたのだが、困った事にどうしてもダンボールを片付けるだけの決心が沸かない。
そうだ、こんな時に妥当な言葉があった筈だ。
今回はそれで締め括ろうと思う。
気持ちの整理がつかない。