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茨城県民の私が釜石シーウェイブスを見に行くということ

私はラグビーを見始めてそろそろ3年になる。

そうはいっても実際に観戦できるのは1シーズンに2度くらい(金銭と体力の都合)で、そのすべてが秩父宮での試合である。まだ鵜住居どころか松倉にすら行けていない。

そんな人間が秩父宮で大声を張り上げ、富来旗Tシャツを着て旗を振るというのは、割と珍しがられる。実際「どこから来たの?」と聞かれて「茨城です」と答えると「えーっ!」人いう顔をされる。

じゃあ岩手に縁があるのかと言うとそうでもない。両親は生粋の茨城人で、私も茨城から外で暮らした経験もない。

なのになぜ応援するのかを、一度考え直してみようと思ってこれを描いている。

のめり込むまで

前述のように私は釜石と縁のない人間であったが、そもそも釜石と言う土地に惹かれる要因はあった。

平野育ちにとって海と山のある町は惹かれるものがあるし、テレビで見た震災にラグビーの力で立ち向かう姿も美しいが、直接的なきっかけは私が近代製鉄史にのめり込んだことだった。

趣味で書き始めた製鉄所の擬人化(詳細は関係者に見つかると面倒なので伏せる)を突き詰める中で、近代製鉄の始まりの街である釜石にのめり込み、その街の象徴となったラグビーに気持ちが引き寄せられた。

そこから「一度見に行ってみよう」と思い立って、二千円のチケット(当時無職にはキツかった)を買ってひとりラグビーを見にいくことにした。

2017年09月17日、釜石シーウェイブスvsホンダヒート戦。

台風による開催中止の不安とルールもさほど良く分かってないという状況のなか、初めて銀座線外苑前駅で降りてひとり釜石のテントを見にいった。

テントの人との雑談の中で、初めてのひとり観戦であることを告げるとコアサポ女性を紹介していただきルール解説やら選手の説明やらして貰う五円に恵まれた。あとトッポと金のねぷた(リンゴジュース)も貰った。

試合は惨敗。レメキのいるホンダヒート相手に1トライも決めることが出来ず、ろくでもない試合であったけれどサポーターの人の良さと楕円球を高く蹴り上げる曲線の美しさには心底心惹かれた。

誰かが言ってたが(某犬アイコンの千葉サポの人だった気がする)、初観戦の試合がボロ負けだった場合ほど人は応援にのめり込むという。

そして私はその通り、見事に釜石シーウェイブスと言うチームにのめり込んだ。

そして年が明けて2018年01月13日、釜石シーウェイブスは無事残留。

だが、これは地獄の始まりだった。

とにかく仕事をしようといくつかのバイト面接に申し込んでは不採用、そして働きたくない気持ちと周囲からの働けという圧力を感じながらのハローワーク通いの中で精神をおかしくし、障害者就労での就職を促されて手帳を取るために精神科へ行ったら抗うつ薬を処方され、結局ハロワの人に自立支援作業所に捻じ込んで貰うという結論に至って2018年が終わった。(この辺のことはあんまり思い出したい事でもないのでざっくりで済ませます)

それでもラグビーを見てるときは結構元気だったつもりなのだが、今見たらネットで試合観戦しようとして大抵寝落ちしてた。たぶんストレスで狂ってたんだと思う。

実際この年見にいけたのは足利市陸での九州電力戦くらいでこの試合も結局一点差で負けてる。

こんなこと言ってる時点で精神状態のヤバさはお察しいただきたい。ちなみに親に穀潰しと呼ばれてたのは本当です。と言うか今でもたまに呼ばれてる。

2019年は達磨寺に行った帰りに寄ったシャンゴでとんかつの乗ったパスタ食いながら残留できるかハラハラしながらスマホとにらめっこして幕を開けた。

これはわかる人には分かるだろう。

「推しにいいことがあったからと言う言い訳の元甘いものを食べて祝う行為」と同じメカニズムである。これをやってるときはもう推し(釜石シーウェイブス)が生活の一部になってる証拠である。

そして、今に至る。

のめり込んだ理由を考えよう

これを書くに当たりついろぐを確認したら、実は以前にも同じような事を考えていてそこでは私はこう述べている。

この辺のことは「釜石シーウェイブスの物語性」と言う言葉にまとめられると思う。

釜石シーウェイブスと言うチームの歴史はとにかく物語性が強い。栄光のV7時代からの没落、企業チームからクラブチームへの転換、震災復興への取り組み。そのどこを切りとってドキュメンタリー番組や本になるほどの強烈な物語性がある。私は根っからの漫画読みであり、物書きの端くれなので、強烈な物語性に弱い。

しかし、昨日(2020年1月19日)の釜石シーウェイブス対清水建設ブルーシャークス戦と近鉄ライナーズ対栗田工業ウォーターガッシュ戦を見ていてもう一つの理由が脳裏によぎった。

仮想故郷としての釜石シーウェイブス、という概念だ。

先ほど軽く触れたが私は親から穀潰しと呼ばれている。地元の風景は好きだが、親は毒親気味で兄弟仲もさほど良くなく親族からも無職であることを非難されることがしばしばあった。それに地元の友人知人とはほとんど縁が切れ、友好関係がほぼTwitterにしかない。

そんな私にとって初対面の人間にポッキーを分け与えるようなおっちゃんおばちゃんがファン層を占め、茨城で過ごす私生活とは完全に切り離されてただの人間としていられるのは釜石シーウェイブスの応援席だけだった。

どこの誰でもなく「釜石シーウェイブスを応援してくれる人」に平等に優しいサポーターのいるこの場所に、私が得られない仮想故郷を得ているのだと思う。

釜石シーウェイブス応援席が仮想故郷として成り立つのは「サポーターの大部分が釜石市民や元釜石市民」「ラグビーファン層の年齢が40代以降の金銭・精神にゆとりのある人」と言った背景も大きいと思う。

きっと失われていく景色

2019年のラグビーワールドカップは日本ラグビーの空気を変えてしまった。

ファンが増え、選手の強化により多くのお金が費やされ、熊谷や花園は綺麗になった。

実際、近鉄ライナーズ対栗田工業ウォーターガッシュ戦はトップチャレンジとしては異様なほどの盛り上がりを見せた(と言うのが前半だけ現地で見た印象である)

それはラグビーと言う競技にとって重要なことだ。誰にも否定は出来まい。

しかしもし仮想故郷としての釜石シーウェイブスという概念本当に存在していて、前述の予測が当たっていたら。私は仮想故郷を失うリスクを背負うことになる。

仮想故郷としての釜石シーウェイブスを失う日がもし来るとしたら、その頃私はどうなってるのだろうか。ラグビー界も大きく変わってるだろうか。



そして仮想故郷としての釜石シーウェイブスを失った時、私は応援できるのか。いまのところ謎である。