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憧れたもの/"自分"という存在

 この4ヶ月のも及ぶ自粛期間も残りわずかとなってきた。(実際、学校は始まってきているが、ここでは本格的な再開を指す) "人生100年時代"と呼ばれる今、高校2年生である私は何事もなければあと80年くらい生きるのだろうか。現代の医学技術の進歩というものは驚くべきものがある。しかし、これから生きていく中でも、今回のような4ヶ月ほどの大きな休みというものは二度と訪れることはないだろう。コロナ世代などと呼ばれるのだろうか。いい表現ではないかもしれないが、貴重な体験であると思う。

 私はこの自粛期間で家にいることが多くなり、SNSを触れる機会が圧倒的に増えた。SNSを見ていると、自粛期間で新たな活動を始めた人も多く、私も色々なことに憧れ、始めようと思った。

 私はこの休みに新しく始めようと思って諦めたことが多く存在する。

 小説を書くことに憧れ、monogataryに登録したが、小説を書けるわけもなく諦めた。

 作詞に憧れ、1週間ほど毎晩考えたが、どうしても言葉が繋がらず諦めた。

 ギターを弾けるようになりたいと思い、ギターのレッスン動画を見始めたが、想像以上に難しく諦めた。

 友達がブログを書き始めたことを知り、ブログを始めたが、書くことが思いつかず、諦めた。(これが実質初投稿になりそう)

 ランニングを始めたが、友達が圧倒的距離を走っていることを知り、私はそこまで頑張ることができず、途中でサボり始めてしまい諦めた。

 こうやって色々中途半端に手を出し、残念とも言える時間の使い方をしているうちに「自分」についてわかってきた。悲しいことに私には「空っぽな人間」みたいだ。人の評価を気にして、人に流され、人に憧れ、人の真似をし、結局何も身にならなかった。ここまで書いていると、私は私が情けなくなってしまう。

 昔からそうだ、私は自分から何かを始めたことがない。今まで習ってきた水泳・そろばん・剣道、どれも兄がやっていたから始めた、今通っている学校も兄が受験していたので自分も受けた、ゲームまでも友達がやっていたから始めたものが全てで、自分から率先して何かをしたことがない。

 「あなたの将来の夢はなんですか?」

 私には将来やりたいと思えることがない。だから学校の先生に進路のことを聞かれてもあやふやに答えてしまう。世間を見てみると、私の年齢ではもう義務教育が終わり、シンガーソングライターやアイドル、スポーツ選手など自分の道を自分で切り開き、頑張っている人が多く存在する。そんな中で惰性で生きてしまっているような自分自身にうんざりしてしまう。

 誰かの真似事、誰かのコピー、模倣でしかない私は、"自分"というものがわからない。もしかしたら思春期特有の悩みなのかもしれないが、この先の見えない不安で私は心が覆い尽くされている。

トップの画像は、私の好きな黒子のバスケという漫画の黄瀬というキャラクターだ。彼は人の行動を完璧にコピーすることができるが、コピーすることしかできず、それが彼の悩みであった。今の私と少し似ているところがあると思う。これからの自分がまだ見えないからこのようなことを考えてしまうのかな。それでも、諦めずに"自分"への糸口を探していきたいと思う。

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