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氷河期世代の不幸とは何か。喜怒哀楽まみれの営業部(1996)と会話レスの編集部(2025)、両方を経験した私が思うこと
氷河期世代の給料がうんぬんがニュースを賑わした。
参考:産経新聞より
人手不足で学生の売り手市場が続く中、初任給を30万円代に設定する大手企業が増えているという。一方、1993~2005年の就職氷河期世代に就活した今40~50代からは恨み節が出ていると。
1996年就職、氷河期人間の私が思うことを書く。
若い人の初任給が上がることは正しいと思う。私達が就職した1996年とはまるで物価が違うのだから。
私の時代はバイトは都内700円代、初任給は20万円ぐらいだったか。マックはバーガー・ドリンク・ポテトで390円の39セットがあった。吉牛300円。消費税もない。
今、初任給が20万円だったら手取りで10数万円。スマホを持って都内で一人暮らししたら貯金などできない。外食ランチだって都内は1200円が当たり前だ。だから初任給の高い新入社員を「ずるい」とは思わない。記事にもある通り、30万円でも外資系に較べれば低いらしいし、昇給や退職金、福利厚生なども加味しないとトータルでの公平・不公平は測れない。
だけど、ともあれ、「初任給30万円」の新入社員が入ってきたら私も心穏やかではいられないと思う。人は評価されたい、承認されたい生き物だ。数値は分かりやすく人を評価し、人はそれで自尊心を得たり損なったりする。20年以上キャリアを積んで、大学を出たばかりでスキルを積んでいない社員と自分の給料が同じと聞かされたら、自分の長年の努力は何だったのかと思う。
でも、主語大きく書いちゃいますが、氷河期世代は我慢強い。会社も経営が苦しいから(ずっと働いててなまじ会社の事情を分かっちゃってるから)、ベテランの自分たちも一緒に昇級させろとは言えない。
社会人6年目の友達の娘さんは、自分が教育を担当している新入社員と自分の給料が同じと知ってしまい、抗議したそうだ。当然の憤りだ。私も気付いたら抗議はすると思う、だけど心の底では「変わらないだろうな」と諦めている。
氷河期世代の不幸なところは、給料が上がっていないことよりも、先輩の背中を追えば安泰というようなモデルケースがなく、技術革新や価値観の変化に翻弄され、自分の得たキャリアを継承する(つまり「自分が教えられるまでになった」という)実感が持てず、理不尽をグッと呑み込んで我慢していることを、目の前の若い人にも、上司にも全く分かってもらえないことそのものではないだろうか。
私のキャリアは出版社の営業部から始まった。入社した1996年、営業部には古いパソコンが1台あるきりで、営業部なのにエクセルも何もなかった。前年にかの「ウィンドウズ95」が発売され、パソコン・インターネットブームではあったけど、まだ職場に浸透していなかった。
主な仕事は書店のルート営業。各営業部員に都内近郊の担当路線が割り振られる。私に渡された路線は東急田園都市線・大井町線・相鉄線・池上線・東横線・横浜線・京浜東北線(大井町~関内)などだった。
この割り振りは営業部長が参考にした『民力』という本によって成されたもので、部長は「平等にしたから達成ノルマも平等」だという。
(※今、調べたら『民力』は朝日新聞社が1964年から出している地域データ集で、エリアマーケティングの基礎資料となるものだそう)
私は東京駅の八重洲ブックセンターや神保町三省堂本店、新宿東口の紀伊國屋書店など売り上げの多いビッグな書店を担当エリアにもらえた同期に比べ、横浜線なんかじゃそんなに売り上げが上がらない(ごめん横浜線、でもそうでしょう!)ことを不満に思い、営業部長に相談したが聞き入れられず、不憫に思ってくれた先輩から渋谷エリアを譲ってもらったことがある。
それぐらい、ある一人の営業部長が考えたアナログなデータや、情で譲ってもらうようなやりとりで、売上成績を競わされた。
ルート営業の引き継ぎは、先輩のコクヨノートだった。
「5月15日 ことぶき書店二俣川店(以下、書名など全部仮名)吉岡店長。常備補充。『新陶芸入門』平台ハケていたので追加10。新刊『〇〇』『〇〇』を案内、既刊『〇』と一緒に3点面陳展開してもらえることに」
「歴史担当斉藤さん、「るろうに剣心」がらみで剣術武術フェアの話する。デザインシリーズの動きがないので新刊3点と入れ替え様子を見ることに。斉藤さんは『たまごっち』のファン」
こういう先輩の手書きメモを頼りに、歴史担当の斉藤さんを探して名刺交換させてもらい、たまごっちの話で口火を切ったりするのである。
「山田書房中山店の山田さんは、注文票を自分で手に取って見たいタイプ。完全に渡してしまうと結局未記入で返され、番線を押してくれないので、人差し指と親指は絶対に離さないこと」
「よしだブックス仕入れ担当の竹下さんは神奈川一注文が厳しい。菓子折を持って行けば口をきいてくれるとの噂あり」
先輩からのアドバイスは微に入り細に入り際限なく、菓子折を持たないで行ったらどういうことになるのかと、よしだブックス外商部に通じる階段は地獄に通じる恐怖感で足がすくんだが、その竹下さんが意外といい人で、ちゃんと注文を取れて帰ってきたときは部長も先輩も我がことのように喜んでくれた。
営業部長と先輩で喧嘩が始まることもあった。
営業部長は「足を棒になるまで通い詰めれば相手も心を開いてくれる」と信じてやまない、そのまた先輩から習った昭和の根性論の営業スタイル。先輩はそんなスポ根のようなやり方は馬鹿馬鹿しいと思っていて、部長が私に根性論を説いていると、先輩が「そんなやり方はおかしいです これからはデータで効率的な営業が必要です」と割って入ってくる。まさに仕事観をめぐる世代の激突。この喧嘩になるたびに、私はオロオロするばかりだった。
営業部長もコワモテだったがいい人だった。新宿紀伊國屋の営業同行の帰り、新宿三丁目の中華料理店でランチに連れて行ってくれた。
「何で出版に進もうと思ったの?」
「本が好きだからです」
「最近はどんなの読んだ?」
「最近は南米文学とか•••」
「当然マルケスは読んだ?」
「はい。『百年の孤独』とか」
社会に解き放たれたばかりで、コワモテおじさんと向かいで縮こまっていた自分だったが、コワモテおじさん部長とマルケスの話ができて、『百年の孤独』読んどいてよかったとほっとした。部長は私の分の定食も一緒に会計してくれながら「今日の売上、あなたの成績に付けていいから」と言った。
今は亡き渋谷某ビル某書店の新担当者に挨拶しようとしたら名刺を突き返され、「忙しいのだからもう来るな」と押し売り扱いされたことがあった。たまに機嫌の悪い書店員に当たることはあったが、この人は段違いの酷さで、しかし大型書店だったのでここの売上を失うことは会社にとって損害だ。どうしよう、部長に何て報告しよう、と、帰社する電車の中で泣きそうだった。
「その書店、切っていいから」
部長はすかさず言った。
「書店と版元は上下関係じゃないから。それが分からないところとは取引しなくていい」
この日のことは今でも忘れない。
部長と喧嘩していたかの先輩は、季節物の全国フェア展開の協力をお願いしようと、某大型ショッピングセンターの仕入部部長に日参し、私も付いていった。何度もきつい言葉でダメだしをくらい、再提出締切の就業時間終了前ギリギリに、本社の守衛さんに書類を手渡し、仕入部部長に渡してくれるようお願いした。後日、彼から発注のFAXが流れてきたときの感動は忘れられない。先輩は泣いていた。
ちなみにこの先輩とは人生の半分以上の長い付き合いとなり、今でも呑み友である。
何が言いたいかというと、社会人1年生の私は「先輩から教わること」が全てだった。先輩から習い、真似し、感謝し、怒られ、褒められ、目の前で喧嘩され、泣かれ、書店員さんほか毎日大量の人と会い、ときには名刺を突き返され、毎日が人の喜怒哀楽の中で揉まれていた。
どんな喜怒哀楽が展開されていようと、私は怒ったり笑っている先輩に聞くしかなかったし、先輩もそれに応えた。
そのような環境で働き始めた私は今、営業から編集へと、会社も仕事も変わったが、しんとした職場で、がんがん投げ込まれる一貫性のないスラックの投稿に右往左往し、Zoom会議の管理者のトークルーム分割の仕方を教わっている。
私が頑張って会得した知識・経験はGoogleとAIに取って代わられた。テープ起こしや要約はAIがやってくれるし、なんなら記事も書いてくれる。
後輩も、分からないことはAIに聞く。記事の書き方もAIに教わるどころか、AIに書いてもらう。コミュニケーションはメールやSNSになり、職場はしんとして、目の前に本人がいるのにスラックに投稿される。私は本当にこのコミュニケーションの仕方が嫌いだ。
先日、後輩が「校正もツールを導入しましょう」と会議で提案した。「自分は校正が苦手だし、鉛筆でぐちゃっと書かれるのが苦手」「入稿前のやりとりを減らしたい」と、彼女は言った。
私も表記統一してこないゲラにいちいち赤を入れ続けるのが空しくなっていたので、この際、AIを入れるのは賛成した。
後輩にとっては「ムダ作業を省くために提案した」だけの話で、何の他意もないのだろう。だけど「鉛筆でぐちゃっと書かれるのが苦手」と言ったときに私を含むベテランが何を感じたか、考えたことはあるのだろうか。「ぐちゃっと」書いているのは私達である。
それに「入稿前のやりとりを減らしたい」とは「この表現はこうしたほうがいい」「ここは要確認では」という会話に煩わしさを感じているということ。編集の仕事って何だっけ、と自問した。
ぐっとこらえて言わない私達の問題でもある。校正の指摘が「ぐちゃっと」ならないように精度の高い初稿を出して来なさいよ、まずは基本的な誤字脱字、赤字を減らすところからでしょ、と心で憤っても、それを「教わりたくない」オーラを乗り越えて教えようとしない、私達の問題。
自分たちの労力を減らすためにアプリやツールを利用するのは正しい。ツールとはそのためにある。だけど、私や他のベテラン編集者が会得した校正校閲技術は、私が習い、読み、悩み、覚え、真似して身に着けてきたものだ。
「その蓄積、いりませんから」「どんどん、AIに頼れるものは頼っていきましょう」。はい、その通り。でも、AIの精度は75%ぐらいだというけど、あとの25%はどうするの? 結局人間が見るから、効率化どころかひと工程増えてない?
会社は効率よく営利を目指すものだから、働いている私達の尊厳より合理化を目指すのは仕方ない。でも、「はい、その技術いりませんから」とされた人間が何を何を諦め、何をこらえたか、想像は働かないか。
と、諦めたところで、私は思い出した。義父のことだ。
義父は自分で終活を段取り、情報や意思を明確に息子(私の夫)に伝えてくれるできた人だ。自分が逝った際の墓石店の連絡先までファイリングしてある。私たちはまだ「終活」がピンと来ていないながら、それらの情報をとりあえず、聞き、頂くに徹している。
そんな話をする中、義父は今住んでいる分譲住宅と墓の話をする。
「この家は●●(夫の子ども)に譲りたい。持ちかけてみてくれ」
「好子さんもこの墓に入るんだからね」
「墓守をいずれは●●(夫の子ども)に頼んでいきたいから頼んでくれ」
夫は「わかった」とそこで言う。
私は「好子さんもこの墓に入るんだからね」と言われて夫が否定しなかったことに憤り、帰り道、夫と喧嘩した。義両親は大好きだが、私は再婚で付き合いはまだ短い。当然のように一緒だと言われると抵抗がある。
それに、夫の子どもはまだ学生である。駅からずいぶん歩き、都内通勤まで2時間はかかる場所に住みたいとはならないはずだし、「墓守」なんて言葉も知らないだろう。
価値観の断絶、深すぎ•••。
と、その時は思った。
だけど、お義父さんはいつからか「墓守」やその類いの話を私達に一切、しなくなった。
ふと気付いた。
きっとお義父さんも、そうなのだ。
お義父さんはお義父さんの時代を精一杯生きてきて、その価値観で、自分が得たものを後輩に託したいと願っただけだ。
だけど、その話をしなくなったということは、きっとどこかの時点で諦めたのだ。私達に「分かってもらう」ことを。
お義父さんは戦争が終わったときは8歳。Windows95からZoom会議までの変化しか知らない氷河期世代の私達よりも劇的な価値観の断絶、理不尽があったろう。そのことに、若い世代の私達は思いを馳せたりしない。
氷河期世代の不幸を「理不尽をグッと呑み込んで我慢していることを、目の前の若い人にも、上司にも全く分かってもらえないことそのものではないか」と書いたが、それは氷河期世代だけではない。
氷河期人間の私だって、同じように想像力が欠けていた。
夫は「墓守をしてほしい」と頼んでくる義父に「分かった」と言い、私には「そういうことにしておいてくれ」と言った。それは正解だ。夫のやり方は、互いに価値観を正面からぶつけ合って傷つき合わないための、互いのための、処世術だ。お義父さんもそのことに気付いていないはずがない。
どんな思いで、いろいろを呑み込み、口を閉じたことか。
そう考えたら「お義父さん 墓守なんて考え方は今古いですよ」「嫁だから一緒の墓に入れという時代じゃないんですよ」なんて、言えない。
「それを言ったら、相手がどんな思いをするか」
その、想像力だけは持っておきたい。
若い頃、人の喜怒哀楽にもまれて働いたことと、今、直のコミュニケーションを減らすのが望まれる環境で働いていること、この二つを両方どっぷり経験したから、そんなことも思えるようになったと、信じたい。
もちろん「氷河期世代」は多種多様で、後輩と素晴らしい関係を築いている職場もあるだろうし、キャリアを積めたと実感できている人もいるだろう。コミュニケーション断絶は私個人の資質でもあるだろう。
それでも必死に転職して、しがみついて、日々精いっぱい働いてきた。本気で怒って泣いて褒めて、一緒に笑って、一生の友になって、みたいな日々は、私にはもうないんだな。そんなことを今、静かな職場でよく考えている。