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器用貧乏の消費期限

〈ただの器用だった頃〉
小学校の頃、自分は非常に恵まれていたと思う。
貧しくはない家庭に育ち、五体満足で、5月生まれ=同学年内で比較的発育が早い。
叱られる回数用も褒められる回数の方が多く、「いい子」として学級委員をやってみた事もあった。

この頃、何か新しいことを始めると大抵のことは平均以上に出来た。器用(貧乏)である事はこの頃は100%プラスに働いていた。
ただ、それが当たり前で、褒められなれて、逆に叱られるのは自分にとって凄く特別な怖いことになっていった。

〈器用貧乏デビュー〉
15才位迄は器用であることになんの疑いもなかった。うまくやってこれた気がしていたけど、高校生位から「何でもできる」➡「なにか1つに拘らない」という形に変化してきた。
つまり一つのことに打ち込めない人間になってきた。

この頃から自分は器用ではなく、器用貧乏なのかもしれないと思うようになった。どれもそれなりで、なんとかなって、やりたいと意気込めない。
それが器用貧乏を作っていった。

それからというもの、周りの人対して徹底した劣等感を抱く日々が続いてる。
今でも器用である事を時々褒めてもらえる。でも心のなかでは「そこまでしか出来ないから。。」と思ってる。結構これがメンタルを自分で削りまくる。

〈器用貧乏の消費期限〉
今社会人5年目になる。新しい社会での動き出しには器用であることが役に立った。でもこれから先、深く物事を考えて活動しないといけないことが増えてきてる中「なにか1つを突き詰めたことのない」器用貧乏はもう通用しなくなってきている。小手先で乗り切る時代が終わってしまった。

此処から先は壁にぶつかってひっくり返るのが避けられない。避けずにぶつからなくちゃいけない。

さぁ、怖い。なにせ小学校以来の安全ルートを見定めてきた人生だ。

色々なことをのらりくらりと器用さでかわしてきた器用貧乏は、その小手先が通じなくなった今初めて裸一貫での価値を試される。
自身の消費期限を少しでも延ばせるように、

思いつきの駄文で失礼。
いつかもう一度このテーマを思い返したときに直して、深堀りしたい。

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