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恥ずかしい過去

僕は基本的に過去のことを「黒歴史」などと見做みなさないようにしているが、それでも自分にとって「恥ずかしい」と思えるような過去はある。

具体的に言うと、2014年~2019年頃までの僕がある価値感を持っていたことは、自分の中で非常に「恥ずかしい」と思っている

その価値観というのが、「他者の間違いなどを正しく批判・非難できる人間こそが、頭が良い人間である」というものである。

昔はそういう人間に憧れていたのだが、今となっては「上から目線で他人を見下してくる、感じの悪い人」としか思えないようになってしまった。

もっとも、別にその価値観自体が間違っている訳では無いだろうが、自分もそのような人間になりたい、と思ったことは大きな間違いだったと思っている。

例えば、僕が2016年から当時のTwitter(現在のX)のアカウントでフォローしていたあるユーザーさんが、そのような人物であった(と僕は思っている)。

最初のうちは「間違っていることは間違っていると、はっきり言うことができてすごい方だな」と思っていた。

しかし、途中で「この人、ただ個人的な好き嫌いで物事を論じているだけなのではないか?」と思えるような投稿を目にしたところで、その方のことがいやになってフォローを外した。

それからしばらくというもの、「頭の良い人っていうのは、上から目線で僕らを見下してくるものなのだな」という、いらぬ偏見を持つようになってしまったのである。

※後に「頭の良い人の全てがそうである訳では無い」と気づいたことにより、前述のような偏見は無くなった。

もちろん、このような人間はその方だけではなく、他にも僕の周りに存在していた。

高校時代の同期にもいたし、世間から見て著名な人物の中にもいた。

今の僕は、そのような人間に対して憧れを抱くことは少ないし、場合によっては軽蔑の対象とすることすらある。

しかし、過去の自分がそのような人物に憧れていたのもまた事実である。

価値観というものは、時間の経過とともに変化していくものなのだろうな。

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