二十歳の頃
竹内万里子
寄り道が導いた出会い
生きることがただただ息苦しかった二十歳の頃、今ここから唯一自分を救い出してくれるように思えたのが、旅と芸術の世界でした。大学では政治学を専攻したものの、すぐに肌に合わないと気づき、バイト代を貯めてはバックパッカーで一人旅を繰り返していました。夜行列車で北海道へ向かったり、片道50時間ほどかけて沖縄へ船旅したこともありました。旅先では名所を回るわけでも写真を撮るわけでもなく、ただ一人になりたくて、知らない街を歩き回っては他の人たちの生を垣間見、いつも茫然としていたように思います。
今思えば、あの頃の私はおそらくすべてから逃げ出したかったのでしょう。自分自身からも。このように不器用に孤独と時間を持て余し、ときに死の淵を覗き込むような人間が自分だけではないと気づかせてくれたのが、芸術の世界でした。そこには時空を超えた様々な人間の姿とその営みがありました。あの頃、誰に言われることもなく美術館や映画館に通い続けたのは、ただ美しいものが見たかったからではなく、作品を通して自分以外の誰かの生を貫く深い孤独に触れたかったからなのかも知れません。
言葉の世界に出会ったのも、ちょうどその頃のことです。途方に暮れながら授業のシラバスを眺めていたとき、ふと目に留まったのが、詩人の原子朗先生によるゼミでした。さらに翌年、大学に着任されたばかりの高橋世織先生のゼミを受講できたのも望外の幸運でした。教養主義やスノビズムに毒されず、想像力と言葉の世界を縦横無尽に駆け回る大人がいると知り、どれだけ心救われたことか。まさか自分が将来、文章を書くことを仕事にするとは、ましてや大学の教員になるとは当時思いもよりませんでしたが、社会の常識を鵜呑みにすることのない、本当の意味でリベラルな数少ない大人たちとの出会いがなければ、今の自分はおろか、生きることに耐えて来られたかも正直自信がありません。そう思うと、よくぞ寄り道をしたねと、二十歳の頃の自分をすこし褒めてあげたい気持ちになります。
初出:『瓜生通信73号』(2019年4月)
パリ・リヨン駅からアルル国際写真祭に向かう竹内万里子さん(2018年 7月)
竹内万里子
1972年生まれ。批評家。京都芸術大学教授、美術工芸学科学科長。早稲田大学政治経済学部卒業(政治学)、早稲田大学大学院修了(芸術学)。2008年フルブライト奨学金を受け渡米。「パリフォト」日本特集ゲストキュレーター (2008年)、「ドバイフォトエキシビジョン」日本担当キュレーター(2016年)など、数多くの写真展を企画制作。国内外の新聞雑誌、作品集、図録への寄稿、共著書多数。訳書に『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』(ジョナサン・トーゴヴニク、赤々舎、2010年)、その続編『あれから−ルワンダ ジェノサイドから生まれて』(今夏刊行予定)など。単著『沈黙とイメージ 写真をめぐるエッセイ』(日英対訳、赤々舎、2018年)は米国の「PHOTO-EYE BEST PHOTOBOOKS 2018」に選出された。
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