生きる理由と家族観について

あなたは何故生きているのだろうか。

これを読んでいるということは、恐らく生きているんだと思うので問うてみるのだけれど、しっかりと明確な答えをあなたは言えるだろうか?

勘違いしないで欲しいのだけれど、何のために(何を生き甲斐・目標として)今生きているかを聞きたいのではなく、どうして生きるという選択をしつづけているのか、が知りたいのだ。生きるという事が前提なのではなく、その前提を問うていると言い換えてもいい。

私が生きている理由は単純で、それは「生まれてしまったから」に他ならない。生と死において、死は割と自由意志でもって決められるけれど生は選ぶ事ができない。生まれたい、生まれたくないに関わらず人は生まれさせられる。

まず、この段階で私には言いたい事があって、それは「生まれたなら、生まれた事に感謝しろ」という物言いには納得できないという事だ。
生まれたのは私の意志ではない。あまつさえ生きるという非常に面倒な事を背負わせたわけだから、感謝なぞしようもない。なので私は自分を作り出した両親に感謝はしていない。

もし、生まれる時に選択ができたのであれば、私は恐らく生まれてくることを選択しなかったと思う。だってそうだろう、その後何十年にも渡って生きる事に苦心し続けなければならないなんて、拷問以外の何物でもない。
もし私に今と同じ程度の判断能力があって、意志をもって選択できるのであれば、どう考えてもそんな面倒なことに足を突っ込むわけがない。

しかし、現実として生まれてしまったわけだから、仕方なく生きていくしかないわけだ。仕方なく生きるのは非常に面倒だけれど、生きている側にいる状態から死ぬ側を選択するのは不安で、恐ろしく、死を選ぶ程絶望もしていない。

つまり、選べるのなら生まれたくはなかったけれど、生まれてしまった以上死にたいとは思わない、というのが私の「生き続ける理由」になる。

さて、物事には責任が伴う。私を生み出した責任を取るのは私を生み出した人間であるべきで、当然ながらその対象は両親という事になる。選択の余地なく集団に組み込まれるというのが生まれさせられた側の立ち位置であり、事実としてそこに存在する。

責任の取り方というのは無数に存在する。責任を取る側と取らせる側の双方が合意していれば、責任を取ったことになる。なので、例えば虐待されていても金の無心をされても、双方が納得しているのならばそれは正しく「生まれる」事に対して責任を取ったことになる。

何も手取り足取り人生のレールを敷いてくれと言いたいわけではない。この世に生まれさせられて、自由意志を獲得した以上は生まれさせられた側が「自分の人生」を全うする権利があるわけだから、その邪魔をしないで欲しいというのが私の願いだ。

例えば私の場合ならこうだ。
お前らが始めたごっこ遊びに嫌々付き合ってやっているんだから、何か役割を背負わせたり、私に干渉したり、私の選択していない何かについて情報を与える事や意見を求める事をしないで欲しい。存在してやっているんだから、それ以上の関係性は求めないで欲しいというのが私の望みである。

家族は互いに協力し合わなければならないと誰が決めたのか。私は家族だからと言って協力する必要はなく、自分が思うように生きる事を最優先したいと思っている。

ただ、生活能力が全くない状態から、生き始める事ができるまで守り、投資をしてくれた事に関しては感謝している。生まれて十数年が経過するまでは、人間としての能力も不完全ですぐに殺されてしまう可能性が高いわけだから、それは責任の範疇であると考えるが、それ以降に関しては完全に責任の範囲外にある投資だ。

反面、問題はここにあるとも言える。

先ほど述べた通り、私は生まれた事について、つまり家族の一員になった事について感謝はしておらず、家族であるという事実だけで協力的な姿勢を取るつもりはない。

しかし、これまでの守護と投資に関しては少なからず感謝をしているわけだから、それについて契りを交わすのであれば全く問題ない。それはすでに作ってしまった借りを返すという事であり、しっかり契約を交わすつもりがあるのなら、よりよい集団になるための行動を起こすはずだ。

が、現在のところそのオファーはないし、私がこう思っているという事を伝えた事もない。もっと言えば、多分私が言っている事も理解できないだろう。
責任を取るべき母体が、責任を取って欲しい側より頭が悪い場合、そこにはとんでもない徒労が横たわる。オファーがない以上、私にはイチから説明してやるだけの義理がないし、何より私にメリットがない。

当然ながら、私に100%落ち度がないわけではない。例えば責任の範疇から脱出しそうなタイミングで逆オファーする事もできたわけだし、もっと違う考え方をすることもできる。家族という集まりがすごく尊い物だと感じるように、意識を再教育するという手だってある。

そこはこちらの落ち度だろう、それは明確な事実だ。しかし、今現在ここまで来てしまった以上、時間は戻らないのでここから話をするしかなくて、今の私には上記のような事をしてやりたいとは思えない。

なので私は私の家族を見下しているし、その状況を打破しようと思っていない。そもそも、家族という仕組み自体に疑問を持っている。

家族だから、家族なのに、家族として、それは勝手に押された烙印のような物で、何の意味もない。

私の人生は私の物で、なんらかの縛りがない以上、その人生は私、あるいは私が人生を使いたいと思えるような人たちのために使われるべきだ。

意志を強く持たなければ、他人はすぐに懐へ入ってきて私の持っている物を奪っていく。搾取されるのはもう嫌なので、決まっていない事は私の人生の中には存在させない。

私には好きな人たちがたくさんいる。
愛という意味でもあるし、長く大切にしたいという意味でもある。憧れや尊敬という意味ももちろんある。

その中に家族は入っていない、というそれだけの事だ。
見知らぬ他人と同様、私の人生の外にいる、関係のないオブジェクト。

以上が私の今生きている理由と家族観である。

2019/08/29 夜

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