わたくしと2018年、あるいは2019年

この数年、色んな理由で年末は大体家にいたのだけれど、今年は久しぶりに友達と年を越した。
お酒を飲んだり飲まなかったり、一年を振り返ったり振り返らなかったりと、非常に楽しい時間だった。

他人と年を越さずにいた理由は、単純にその年のタスクが終わっていない、あるいは年始に向けての行動が間に合っていない、といった後ろ向きなもので、特に面白いことはない。
一年の中でより強く「世間」と近づく年末こそ、精神衛生のために人と過ごした方がいいな、と感じた。

2018年は、傍目から見ると変化の多い年だったように思う。
これまでやったことがないことをやったし、就労した。趣味や嗜好も変わったと思うし、良いものに出会うことが多かったので「うわこれすげーいい」って何度も言った。
が、個人的には「想定した通りに物事が動いた、かなりスムースな年」であったので、ものすごく変わったなとはあんまり思っていない。より生活にフォーカスした年だった、というのは間違いないと思うけれども。

プライベートな部分で言えばtwitterに書いてある以上のことは何一つ起きていない。
一瞬モテの気配を察知する瞬間があったものの、本当に一瞬だったのでこれは勘違いだと思う。
2018年の裏テーマに「ナチュラルな面白さの勘を養う」というものがあったので、全てのプライベート情報をさらけ出した上でいかに面白くできるか、に注力できていた。

あった事をなるべくtwitterに書き込んでおくと、後日見返した時により鮮明なビジュアルで立ち上ってくるので良かったのだけれど、オフラインでの話題が全然なくなる(全部書いちゃってるので)ので結構困るな、と思う時はあった。
2019年は「全部さらけ出すんだけど、異なる見解や話の奥行きを別で持っておく」ということを考えておこうかな。

多様性について、色々なことを考えたり言葉にしたりという場面があったけれど、金子みすゞが綺麗事のフィルタで捉えられるのと同じような方向性で受け取られることが多く、またそれをうまく訂正することができなかった、という点において上手くやれなかったなという気持ちがある。
最後の1ピースが上手くはまらなかったな、という感じでした。

2019年は何を軸にするか、特にまだ決まってはいないものの、多様性も2018年の途中で得た答えだったので、また年内に気がつくのではないかと思う。最近は「自然さ」についてよく考えている。

2018年に得た最後の気付きとして、多様性の微妙なしっくりこなさとは別に、自分の至上命題としての「頭の中にある物を具現化せなあかん」というはっきりした気持ちがある。
なので2019年は、やろうと思っていたこととか、終わっていないことをとにかくまとめて世に出す、というのが一番大事なテーマになってくる。
少数人で何かを企んでるときが一番好きかもしれないな、と気づいたのも良いことだった。
作りたいものを残さず作る年にしようと思います。メディア問わず。

音楽についてはApple musicの助けもあって非常によく聞いた年だったので文句無いです、この調子で2019年も良い音楽を見つけていきます。(あと演奏してなかったので演奏する)

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