20230413

なんだかルールがまた変わってしまった。

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できる限り時系列に沿った日記をインターネットに残すべく、古い内容から記載していたんだけれどもtwilogの終了に伴って日記を書くのが難しくなってしまったので、これからは書きたい時に書くことにした。本来日記というのはそういうものかもしれない。

とあるLINEグループがある。古くからの付き合いだ。
付き合いが長いということはライフステージの変遷も目の当たりにしているということなので、結婚や出産といった節目に立ち会うことも多くなり、個人として結婚や出産がめでたいとは思っていないが”社会性”の皮を着て「おめでとー」などと連絡を飛ばす。かろうじて最後に残った義理が”社会”をやらせている。

そんな折、そのLINEグループのうち一人が「このLINEグループに所属している人間の子供の名前のリスト」をノートに投稿した。子供を持つ人が増えてきたので、混乱しないよう参照先を作っておこう、という善意だ。

おれはこれがとんでもなくおぞましいものに見えて、驚いて一旦スマホを取り落しそうになった。
前述の通りおれは結婚も出産もめでたいと思っていない。自分が結婚をする気もないし子供を持つだけの財力もない。そもそも子供が魅力的だと思ったことがないので、仮に結婚したとしても子供だけは持ちたくないと思っている。

これは完全に個人の意見なので、社会的には少数派であることもわかっているし、社会の中では結婚も出産もめでたいことなので、そもそもそれらを否定すること自体がこの社会と相容れないというのはわかっていて、当然ながら排斥されるべきはおれの方なんだけど、このリストの存在はそのものずばり”お前を排斥する”ということに他ならず、それに強い衝撃を受けた。概念としてわかっていても実際目の前に置かれると圧が違う。

問答無用、疑うことなくお前も”社会”をやるよな?という踏み絵のようなもので、その日以来おれは怖くてリストを見ることができないし、LINEグループになにか発信することももうできない。

しかしこれに関しては社会の内側にいる以上、おれが完全に間違っていて、同時におれが完全に悪いのだ。
どうすればいいのか、と言えばおれが諦めて”社会”をやるか、完全に”社会”と袂を分かつしかない。わかっていたし常々言っていたけれど、非常に過酷な選択だ。

置いてきたはずの過去が徐々に、幸福のフリをしておれに近づいてくる。

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