きっかけはニシダ
先日、お笑い芸人ラランドのニシダがnoteを始めたということを、相方サーヤのTwitterで知った。サーヤはいつもニシダのことを「クズ」「クソ」とディスって周りの笑いを誘い、実際その二人の姿はとても面白いのだが、このときはニシダの初投稿を「流行り廃りに関係のない、熟成された文章だと思います」と表現していた。それを見たとき、相方の感性を大切にしている感じが伝わってきて、全く関係のないこちらまで嬉しい気持ちになったのを覚えている。文章を褒める表現として「流行り廃りに関係のない」というのはとてもいいな、と思った。そして、ラランドのコンビ愛を確認できたから、というわけではないが、私もnoteを始めようと思ったのである。
私が文章を読んだり書いたりすることを「楽しい」と感じるようになったのは、間違いなく伊坂幸太郎さんの小説に出会ったからである。それまで読書は、やたらと学校や大人からすすめられるため、「勉強的なもの」「すると褒められる善行」といった認識があった。しかし、中学1年のときに、堺雅人さんが好きな母に連れられ見に行った「ゴールデンスランバー」という映画が衝撃的に面白く、エンドロールで「原作 伊坂幸太郎」という文字を見た私は、すぐに本屋さんに向かい、読書の「興奮」を知ることとなる。伊坂さんの小説の設定や登場人物は多種多様だが、「正しいとされているものを疑え」「固定観念をひっくり返せ」というテーマが根底に流れているものが非常に多い。理不尽なまでに厳しい校則と、誰も得しない上下関係のしきたりに、「野球部だから」という理由だけで丸刈りにされた頭を悩ませていた中学時代の私は、そんな痛快な作品たちに刺激と安らぎをもらっていたのである。
伊坂さんにすっかりハマった私は、学校の課題で出される作文を伊坂さんの作風を真似して書くようになった。すると高校1年のときに、なんと私が書いた作文が、県作文コンクールで特選に選ばれることとなったのだ。その作文には「四月、高校生活が始まる。オリンピックのように華々しい開会式があるわけでも、ここから高校生活という明確な線が引かれているわけでもない。気づけば僕は高校一年生になっていた」という文があるのだが、これは伊坂さんの『砂漠』の冒頭「四月、大学生活が始まる。もったいつけた前口上があるわけでも、ここからが大学生活という明確な線が引かれているわけでもない。気づけば僕は大学一年生になっていた」という文章のオマージュなのだ。パクリではない。まぎれもないオマージュなのである。
このように、伊坂さんがきっかけで文章を書くことが好きになり、ニシダがきっかけでnoteというアプリがあることを知った私は、今この投稿を書きあげようとしてる。今後、どんなことを書いていこうかとまだ悩んではいるが、流行り廃りに関係のない文章を書いていくことが目標であることは間違いない。