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とある"アイドル"と自分の話。

「アイドルは好きですか?」
と聞かれたら、たぶん「人並みほどではないかも」と答えると思う。

「アイドル戦国時代」なんてものが開幕してから、もうどれほど経ったのだろう(もとい、今はもうこういう表現は使わないのだろうか)。目まぐるしく勢力図が塗り替わり続ける世の中で、SNSにアップしていた自撮りが可愛かったから、とか、雑誌の表紙を見て惹かれました、とか、こないだのライブで認知を貰えて言葉が出なかった、とか。
とかく、人は理由をつけて「推し」を自らの中に形成する。この子が推しなんだ、好きなんだ、と想おうとする。そうした営みが、自分は人並みほどには得意ではない…という意味が、先述の「アイドルは好きですか?」への問いに込められている。

そんな自分が、一時期通っていたアイドル現場があった。少しだけだが、当時の思い出など振り返りたい。
今はもう、解散してしまったメンバーたちに思いを馳せる。少しだけ。

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そのアイドルを知ったのは、自分がまだ学生だった頃。
大学院生最後の夏。高校時代の同級生が東京に遊びに来たので、街中を散歩していると、とある特設ステージが目に入った。確か、アイドルになりたい高校生たちがユニットを組んで、プロのアイドルもゲストに招きつつパフォーマンスを披露する、そんな企画をやっていた記憶がある。物珍しさに惹かれて足を止めた。
その、「プロのアイドル」の出番の時に、初めて彼女たちを目にした。
姿を見た瞬間、アイドルと呼ぶにはあまりにも”大人びている”と感じた。歌も上手いし、曲もかっこいい…それが、パフォーマンス開始直後の率直な感想。
メンバーの中のひとりに目を奪われた。パフォーマンスが進むにつれてフォーメーションが変わり、センターから端っこへと移動しても、自分の目はその人だけを追っている。「いまセンターにいる人が一番綺麗だと思う。」と、隣に居る友人に話しかけてみる。
俺も、と返事があり、どうやらお互い同じ人を『推し』に選んだようだった。

その後、友人を我が家に泊めた。想像以上のパフォーマンスが鮮烈に脳裏に焼きついていた我々は、そのアイドルのことをとことん調べた。
やはり、アイドルの中では大人に分類されることも判ったが、個人的はそっちのほうが良いなと思った。
また、先程のステージで気に入った曲や、オススメで出てきた楽曲のMVを観た。我々が『推し』に選んだ人のSNSも出てきたので見ると、その日の夜中に出演するバラエティを宣伝していた。
眠い中起きて視聴。バラエティに出演する彼女は、ステージ上の凛としたイメージとはうって変わって天然で、そのギャップにまた惹かれた。すっかり彼女たちに興味がわき、翌日にはCDショップでアルバムを購入していた。

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数か月後には、ワンマンライブにも足を運んだ。ちょうど開催されていたライブツアーのチケットを運良く手に入れることができた。メンバーは相変わらず『推し』以外の人は認知できていないながらも、楽曲は気に入っていた。
会場は、キャパ数百人くらいのライブハウス。当時はまだアリーナやドームクラスの会場でのライブしか観たことがなく、この規模の会場での盛り上がりに、好奇心と不安感を抱いた。
それでも、いざライブが始まれば不安のほうはちりと消え去った。彼女たちのパフォーマンスをハッキリと「カッコイイ」と思った。初めて聴く楽曲も数々披露され、手の内の広さにも驚嘆した。かつてのメンバーが登場したり、メンバーの誕生日をお祝いしたりするサプライズ要素もあり、終演後の余韻も凄まじかった。

数日後には、ニューシングルのリリースイベントが始まった。ライブの余韻が冷めやらぬまま、各地の会場に足を運んだ。東武池袋の屋上、新宿や錦糸町のタワーレコード、ラゾーナ川崎…などなど。
「特典会(握手会)」という文化もこの中で知った。CDの購入金額に応じて特典券が貰えて、枚数に応じて握手してお喋りやツーショット撮影ができる。特典券欲しさではなく、楽曲の良さに惹かれてCDを買うんだ、と言い訳がましい前置きを心の中でしつつ、貰った特典券をその場で消化した。結果、その後のライブやイベント(以降は「現場」と呼ぶ)で、何度も特典会に参加することになる。
握手会は、「喋っている間ずっと握手し続けてくれるの凄いな」が第一印象だった。ステージで活躍していたとか、MCが面白かった、みたいに明確な話題が無いときは、話す言葉に迷った。
ツーショットは、自分の写真うつりが悪くて、撮った写真を後から見れなかった。SNSにアップロードしたりする楽しみ方をする以前の問題だった。
特典会の列を何周もする人や、推しのメンバーの列に毎回真っ先に並ぶ人、メンバーに認知を貰っていて親しげに会話している人、まるで友人や恋人になりきって会話する人…。物珍しいものを見るように、そんな人を見ていた。
やはり、自分はこういう場に合わない人間なのかもしれない、という気づきが芽生え始めた。
こうした現場には、きっと「アイドルとファン」の間にある壁をぶち破り、束の間の非日常を味わえる楽しさがあるのだと思う。手元に携えた特典券は、その権利を行使するためのモノ。
それを使ってもなお、自分は「アイドルとファン」の立場を保とうとした。ファンという立場を離れた後の立ち位置が、よく分からなかったからだと思う。

それでも、「ファン」として楽しめることは楽しみつくしていた。現場に行ける時は、ほぼ足を運んだ。また、メンバーの出演するSHOWROOM配信や、インターネットラジオもよく視聴していた。
また、社会人になると、このアイドルと出逢ったときに一緒に居た友人が就職で関東に引っ越してきた。予定の合う日は、よく一緒に現場に行った。初のライブに誘った後、「(ライブ)良かったわ」という感想を聞き、まるで自分が先に知ったものを布教して受け入れられたような嬉しさを、ひとり勝手に感じていた。現場が無くても、飲みや食事などによく行くようになった。

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そんな日々が2年近く続いた頃。
現場に足を運ぶモチベーションが低下してきた。一因を挙げるならば、「界隈に馴染めなかった」ことかなと思う。
この界隈の中で、自分だけ醒めすぎていることを感じていた。きっと、こういう趣味はただ同じものが好きなだけではなく、その「熱量」や「ベクトル」が同じ人を見つけられないと、長続きしないように思う。
2年近く現場に通い続けても、相変わらず特典会には「ファン」として参加し続けていたし、ライブでの周囲の盛り上がりについていけないことがあった。
ライブのチケットも申し込まなくなり、代わりに、同じ時期に始まった他のアーティストの全国ツアーに足を運んだ。有難いことに、そのとき結構多くの人と友人になれた。自分と同じくらいの「熱量」や「ベクトル」でアーティストを追ってくれる人たちとの出逢いに感謝した。
SNSのタイムライン上には、アイドルたちの代わりに、新たに知り合った人たちのアイコンが並ぶようになった。そしてそのまま自分も現場からフェードアウトした。きっと誰にも気づかれることなく。

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その後、コロナ禍の影響でしばらくライブが開催されない状況が続いた。それでも徐々に情勢も回復し、各アーティストが活動を再開しはじめた。
ふと、あのアイドルたちの近況が気になった。現場を他界(意味:アイドル現場に行かなくなること。離れること。)してから2年ほど経っていたが、時折ウォークマンに残していた彼女たちの楽曲を聴いていた。リアルタイムで活動を追っていなくても、過去に『良い』と感じた記憶や思い出は残っている。
SNSのアカウントを検索する。トップに、アイドルグループの公式アカウントが発した「皆様へ大切なお知らせ」という文字が踊り出る。
この定型文が意味するところは、つまり…グループの解散。
「2022年x月y日をもって解散いたします」の後に、理由を書き連ねたテキストのキャプチャが添付されていた。今は2022年だから、このアイドルを知ってから5年ほど経っていることにも改めて気づく。
出戻りすることへの申し訳なさも感じつつ、一度フォローを外した公式アカウントを再度フォローした。残り僅かだが、リアルタイムで活動を追いたいと思った。
フォローして数か月経った頃、最後のアルバムリリースが告知された。併せて、最後のリリースイベントが始まることも。ただ、すぐ足を運ぶ気になれなかった。最後だけ、一丁前にファンを気取っているようで申し訳なかった。それでも、観客が1人でも多くいたほうが良いし、そんな思考は自意識過剰が所以であることも弁えていた。

ある日、久しぶりにリリースイベントに足を運んだ。
会場は某所のタワーレコード。自分が到着した頃には、ステージ前のスペースには入場制限がかかって閉め切られていた。また、人が溜まる対策からか、少しバリケードも設けられていたため、近くに寄ってもステージの様子がなかなか見えない。コロナ禍前は自由に観られたのだが、今となっては、背伸びしてやっとメンバー数人の顔が見える程度。
歌声は聞こえるのに、姿がよく見えない。フォーメーション変更で、代わる代わる視界に入るメンバーの姿を認識する。視界に写るメンバーの数は、現場を他界する前から数人減っていた。それでもパワーダウンなどは感じず、むしろ以前よりも1人ひとりの個性が際立っていると感じた。
ふと、『推し』の人が目に映った。かろうじて数秒見れた程度だが、以前より大人びた顔立ちで、やっぱり綺麗な人だと思った。このイベントに足を運んでよかった、と思いつつその場を後にした。
リリースイベントの最終日も参加した。仕事終わりで会場に向かったので、やはりステージ前のスペースは締め切られていた。観に来た人も以前より多く、姿を見ることはほぼ諦めていた。
リリイベが始まった。自分が現場を離れていた頃の補完ができておらず、その頃に発表された楽曲たちは聴いてもピンとこなかったが、現場に通っていた頃の楽曲はすぐに思い出せた。最後の楽曲は、当時からよく披露していた「ライブで盛り上がる」「ライブ映えする」曲。発声禁止だが、それでもお決まりのコールや掛け声が入るタイミングでは、周囲の観客の声が蘇った。
最後の楽曲を歌い終えて、ステージ上で号泣しているメンバー。何か声をかけたくて、この後の特典会に参加しようかなと思う。ただ、会話の内容やテンションを即座にチューニングできるほど、空白の期間が長すぎた。楽しげに話すメンバーや、フロア外の階段に形成された長蛇の列を横目に、その場を後にした。
「アイドルとファン」の壁のぶち破る楽しさを知らないまま、果てしなく続く夜へと放り出された。

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それから数日後には解散ライブがあった。
これも最初は行くことを躊躇ったが、背中を押してくれるかもしれない…という一抹の期待ものせて、友人に久々に声をかけた。
「行くか!!」と友人は快く了承してくれた。返答を受けた勢いのまま、ライブのチケットを2枚購入。
当日、会場の最寄り駅で友人と合流。これが最後の現場だという実感はそれほどなく、近くの喫茶店で呑気に話し込んだりして、開場時刻まで過ごしていた。
開場時刻が過ぎた頃に、会場に向かった。着くと、会場前でたむろするファンの姿をいくつも見かけた。現場に足繁く通っていた頃、何度も見かけて一方的に姿を覚えた人もいた。きっとこの人たちは、自分がこの現場を離れていた間もずっと、ここで楽しんでいた。だからこそ、自分は知り合えなかった。

友人とともに場内に入る。自分たちは2階スタンドのステージサイドの座席で、ステージを見るにはほぼ真横を向く体勢になる。隣の席の友人には、ほぼ背を向けている。
開演まで、1階のアリーナ席を見ていた。最前列はやはり、気合いの入った人が多いな…なんて考えていると、ほどなくして最後のライブが始まった。
自分が現場を離れていた頃の楽曲は、結局予習せず来た。知らない自分のまま楽しもう、という心構えでいた。ライブ1曲目からいくつかそんな楽曲が続いたが、盛り上がり方が分からない困惑よりも、新鮮で楽しい気持ちのほうが勝った。
加えて、知っている楽曲は当時の思い出も振り返りながら聴けた。ライブが進むにつれて、徐々に「最後のライブ」である実感が薄れていく。また全国ツアーをまわるときにでも、ライブが観られる気がする。CDショップにふらりと寄れば、リリイベに遭遇できる気がする。
ふと、このライブを「今後も続くライブのうちの一回」と捉えつつあることに気づき、認識を改める。自分の好きな楽曲が披露されて、サビの振り付けを真似しているときには、これを一緒にやるのも最後か…と感じられて、思わず涙腺が緩んだ。友人に背を向けられる座席で良かった、と少し思った。

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真夜中に目が覚めた。
だいぶ寝汗をかいていたので、エアコンをつける。身体に纏わりついた汗が冷風に反応し、急激に体温を奪う。
再び寝ようにも、なかなか寝つけない。初夏の暑さのせいだけではなく、つい数時間前まで観ていたライブの情景が蘇ってしまったから。
あの後、アンコールでの再登場もありつつ、最後まで歌いきったメンバーたち。少し大人な雰囲気に違わず、湿っぽくなりすぎない艶やかな終わり方。それでも、最後の最後で輪になって、肩を抱き合いながら号泣するメンバーを見てもらい泣きしそうになった。
そして、退場後に会場を出て、友人と歩いていたことも併せて思い出していた。会場を出ると、その場にたむろしてあれこれ語り合うファンの人たちがいた。その群衆を突っ切り、特に言葉を交わさずに歩き続ける我々2人。最寄りの駅を目指している。友人も自分と同様に、こういう時は言葉が出なくなる性格なのかもしれない。
「どうでしたか。」口火を切ったのは自分だった。
「ちょっと何も考えられないねー…」
言葉にしてしまった、という絶望が直後に襲ってくる。心の中に渦巻く想いは非常に複雑で、難解で、人間がどれだけ解明しようと辿り着けないほど崇高だと思いたかった。それが、自分の知る言葉で表現できると判ってしまった。途端に、この想いが陳腐なものに成り果てていく心地がする。
それでも言葉にしなければならない。言葉にできるのだと知らなければならないのだと思う。いつまでも、この想いに囚われていられないから。
まだステージに残るメンバーの幻影に後ろ髪を惹かれそうになる。それでも、メンバーがステージ上に戻ることはもうない。結成記念日がきてもお祝いのライブは開催されないし、リリイベに遭遇することもない。あの「アイドルユニット」の看板を背負ったメンバーたちに会える機会は、もうない。
そのことを受け入れるためにも、依然として数多の想いが渦巻く会場を、早く後にしたかった。
きっと、早々にこう決断できる時点で、最後まで自分は醒めていたのだろうと思う。醒めていたから、界隈にも馴染めずじまいだった。

だからこそ思う。
もっと、「ありのままの自分」で楽しめばよかった。
「ありのままの自分」で楽しめる、他のファンのみんなが羨ましかった。

特典会は、ファンという立場を離れた後の立ち位置がよく分からないから苦手だった。
でも、きっとその答えは「ありのままの自分に戻る」ではないかな、と思う。
特典会などを通してはなかなか叶わなかったが、彼女たちを追う中で僅かばかりに「ありのままの自分」に戻れたな、と感じた瞬間がある。
よい楽曲に出逢ったとき。メンバーのSNSの投稿や、配信での姿が心に刺さったとき。ライブのパフォーマンスに感動したとき。
そんな瞬間を覚えているから、「楽しかった」と思える。
ただ、もっと「楽しめる」瞬間が他にもあって、そこを取りこぼした後悔もある。
二度とこの現場では払拭できない後悔が、自分が通り過ぎた後に高い壁となってそびえ立っている気がした。

最後のライブでパフォーマンスするメンバーの姿を、よく思い出してみる。
一曲一曲が最後の披露となっていく中で、メンバーは自分たちに対して、楔のようにその楽曲の記憶を打ちつけてくるような感覚を覚えた。まだ刺さっていて抜けない。

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