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「駅まで向かう」時間。

3月に入ってから、天気が良くて気持ち良い日が多いですよね。
春の陽気に誘われて、思わず散歩のひとつでもしたくなるというもの。今日は出先での用事がありまして、自宅から最寄り駅まで向かうのに徒歩30分ぐらい。いつもは「長いな」と感じて、自転車か路線バスを使うのですが、今日は久々に徒歩で向かうことにしました。
最寄り駅に着くまでに出くわした、ママチャリをゆっくり漕ぐおじいちゃん、小学校の校庭でサッカーをする子供たち(スポーツ少年団、とでもいうべき集まりでしょうか)、ベビーカーに赤ちゃんを乗せながら信号待ちするご夫婦。春の陽気に包まれているだけで、そんな何気ない光景をボーっと眺めつつ歩いている時間が、暑い夏や木枯らし吹く秋、寒い冬を乗り越えたからこそ勝ち取れた、かけがえのない時間のように思えます。
ふと、久々に最寄り駅まで徒歩に向かってみて、こんなにも何物にも追われていない道中もまた、だいぶ久々だなと思いました。徒歩で向かう時間を「長い」と感じて敬遠していたのは、そんなに時間があるなら何か他のことに充てたいと思っていたからだ、ということに気づきました。バス移動であれば、車内で読書したり、お気に入りのYouTubeチャンネルの新着動画とかを観たりできる。自転車移動であれば、最寄り駅まで向かう時間が短縮されるので、そのぶん自宅を出るまでにできることが増える。徒歩だと、本のページやスマホの画面を観ながら移動することはまずできないですよね。
でもちょっと待ってください。本来最寄り駅まで向かう道中でやることって、「駅まで向かう」ことだけで十分じゃないですか。自宅を出て、最寄り駅に着く。それだけで本来の目的は達成できているはずなのに、それ以外のことをわざわざ兼ねないといけないほど、常に何かに追われている。そんな自分がいることに、ふと気づきました。

同じことを思ってしまう時間に「入浴中の時間」があります。全身をひととおり洗って、浴槽に浸かっている時間。よく体を温めるために10分ほど浸かるようにしているのですが、やっぱりこの時間が勿体なく思えてしまう。ついでに何かできたらな、と思えてしまう。でも、この時間も先ほどの「最寄り駅まで向かう」時間と同じで、「身体を温める」ことさえできれば本来の目的は十分達成できているんですよね。
強いてできることがあるならば、「何もしない」ことなのかなと思います。ただ無心でボーっと、今日の出来事でも振り返って整理する。それってなんだか、パソコンやスマホで例えると「キャッシュを削除する」行為に近いんじゃないかなと思います。その日にインプットしたモノのうち、必要最低限のモノだけを反芻して定着させる。余分なものはバッサリ切り捨てる。
先ほど挙げた、バス移動中にやっている読書やYouTube動画の視聴も、決して「ノルマ制」ではないので、そこまで時間を切り詰めてやる必要はない。それでも、インプットできるモノが溢れ返っているとついつい多くを欲してしまう。そんな性質を持つ自分にとって、最寄り駅に向かうまでの道中や浴槽に浸かっている間の「キャッシュを削除できる時間」は、非常に貴重なんだろうな、と感じています。

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