日本最北端紀行。その4【終】(最北端紀行編)
前回までのあらすじ
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4日目(最終日)
早朝6時前の旭川駅。眠気を感じながらも、18きっぷに4つ目のハンコを押してもらう。まだ人の存在がまばらな駅舎へと進む。
数多の普通列車(時に特急)を乗り継いできたこの旅も、ついに残すところあと一本の電車に乗るのみになった。
ここまでは、1分1秒無駄にできないほど過密な旅程に従って移動してきたが、最終日の旅程は至極シンプルなものだった。
旅程
宗谷本線・稚内行き。
停車駅38駅、走行距離259.4[km]。乗車時間6時間の一本勝負。
2両編成の電車の一角にあるボックス席に座る。早朝だからか、車内も人はまばらだった。
定刻通りに発車。朝日に照らされ始めた旭川の街が、瞬く間に遠ざかっていく。この街も気になる場所があったのに、僅かな夜の時間の顔しか知らずに去ることを少し後悔した。今度は時間をとってゆっくり過ごしに来ようと思った。
車窓の景色はすぐさま山間部のものに変化し、昨晩旭川の街に辿り着いたときから感じていた安堵感を瞬く間にかき消した。加えて、停車駅の多くが無人駅かつ、駅舎のつくりがシンプルだった。雨避けの屋根の下に、パイプ椅子が置かれているだけの駅もあった。
それでも、周りにはあまり人がおらず、こうして一人のんびりと車窓の景色を楽しめていた。この雰囲気のまま稚内まで行ければ最高だと思っていたが、そうはいかなかった。
旭川駅を出発してから1時間半ほど経ったという頃。
電車は、宗谷本線途中のターミナルともいえる名寄駅に到着した。この先からは1両編成になるとのことで、車両を切り離す作業のためにしばし停車することになった。
どうやら自分が乗っている車両が切り離されるらしい。周りの人たちとともに、もう一方の車両に移動した。
もう一方の車両に辿り着くと…ほとんどの座席が人で埋まっていた。手持ちの荷物の大きさや、構えているカメラなどで、この地の人たちではなく旅の人たちであることは一目瞭然だった。
ボックス席はすべて埋まっていた。シート席も、一人ぶん間隔を空けて座れるところと、背後を振り返って車窓の外を見られる位置は全て埋まっていた。仕方なくその間隔を一つ埋める形で座ったが、隣の人の会話のボリュームが気になったり、車窓の外があまり見えないなりにも景色がしっくりこなかったりして、発車後もあちこちの座席を渡り歩いた。
宗谷本線は他線に乗り換える駅が無く、存在する駅のほとんどが乗降者数が少ないことから、途中で乗客が降りて車両が空くとは思えなかった。旅人が多く乗り合わせることで、普段この沿線の地域が持っている『日常』とは明らかに異なるであろう雰囲気が終点まで続くことを思うと、少し落ち着かなくなった。
それと同時に、自分がこの旅を始めた理由の根底には『訪れた地の何気ない日常』を知りたい気持ちがあることにも気づいた。まだ行ったことのない場所で見聞きする場所や景色、食事は、一見物珍しく映るが、その地の人にとっては何気ない日常にしか過ぎない。旅の者として刺激的に受け止めるよりも、『その地の人ならどう捉えるか?』を分かろうとしたかった。きっと、初日に東北本線内が乗客で混雑していたときも、2日目に函館まで渡るフェリーが乗客でいっぱいだったときも同じ気持ちだったのだと思う。誰かにとっては自分が、そうして「日常を損なわせる存在」になることは棚に上げて。
そんな自分の気持ちはつゆ知らず、電車は目的地まで北上していく。
車内の雰囲気は非日常的だったかもしれないが、車窓の外に広がる光景は、相も変わらぬ日常を横たえていた。
そんな中、途中駅で電車に乗ってきて、途中駅で降りた若者の方。手荷物の少なさから見るに、きっとこの地の人なのだろう。この電車に乗り込んで、ようやくこの地の「日常」に触れられた気がした。
長かった電車旅もいよいよ終盤。日本海の近くまで出ると、車窓の景色が川から海へと一気に変わる。不思議なもので、海が見えてくるとどんな時でも気持ちが上がる。
ほどなくして、電車は南稚内駅に到着した。人気(ひとけ)を感じられる街並みが眼前に広がり、やけに安心感を覚えた。
『次は稚内、稚内。終点です』と言う電車のアナウンス。この電車だけでなく、これまでの旅の終点にも辿り着くことを告げているように思えた。
腕時計で時刻を確認すると、定刻通りの12時07分を示していた。
稚内駅 到着。ぞろぞろと降りてくる人たちをある程度見送ってから、自分もホームへと降りる。
「日本最南端の駅 稚内」と書かれた看板がお出迎え。旭川や札幌、函館、東京の距離も書かれていた。電車のダイヤと併せて調べていた通り、『旭川から259.4km』と書かれていたが、やっぱり距離感のイメージが沸かない。後になって調べてみると、東海道線で東京駅から静岡県の浜松駅までとほぼ同じ距離(※1)のようだ。そんな長距離でも、全て『北海道』の中での移動として収まってしまう。改めて『北海道はでっかいどう』なんて言われる所以を窺い知った気がした。
稚内駅は、観光客と帰省の人たちとで繁盛していた。
ここからは『日本最北端の地』の像でも有名な宗谷岬に行った後で、稚内のことを調べる中で新たに知ったノシャップ岬に行く計画を立てていた。バスターミナルで時刻表を確認し、フリーパスを購入した。
宗谷岬行きのバスの発車までまだ1時間ほどありそうだったので、駅に隣接している売店の一角にあったカフェでランチをいただくことにした。宗谷黒牛の~なんてワードに心を惹かれ、ハヤシライスとサラダのセットを注文。
舌鼓を打っていると、ふと自分の傍らにいる人たちの会話が聞こえてきた。思わず、声のする方向を見やると、とある女性が親戚のおばあちゃんとおぼしき人と話していた。女性の方が稚内に帰省しており、これから元いた場所まで帰る、そんな状況に見えた。
再会を喜ぶような会話の後、二人は涙ながらに話し始めた。コロナ禍もあり久々の再会だったのだろうか。視線を向けているのが少しだけ申し訳なくなり、卓上の食事へと視線を戻した。
宗谷岬行きのバスの発車時刻になった。
バス停に並ぶと、思いがけぬ長蛇の列ができていた。ただ、停留所にいるシャトルバスであれば座席の空きなどは大丈夫だと思った。
しかし、シャトルバスは定刻より先に発車してしまった。どうやら札幌行きの高速バスだったようだ。ほどなくして、代わりに停留所に来たのは普通の路線バス。自分の前後に列に並ぶ人たちを見て、本当にこれだけ多くの人たちが乗れるのか、少し不安になった。
案の定、バスの中は大混雑。都内の通勤ラッシュ時と比べても遜色ない気がした。さっきの電車で一緒に来た人たちが全員乗っているんじゃなかろうか。そんな推測の答えが出るより先にバスは発車した。
稚内から宗谷岬までは、バスで片道50分程度。時折、稚内駅と宗谷岬の間にあるバス停で乗り降りしてくる人もいて、きっとこの地の人たちなのだろうと思う。道路を挟んで海岸線の反対側にポツポツと立ち並ぶ住宅を見て、きっとこうした家に住んでいる人たちなのだろう、普段はどんな暮らしをしているのだろう、と思いを馳せた。
バスは宗谷岬に到着した。稚内行きのバスが発車する時間まで1時間程しかなく、見られる場所はだいぶ限られていた。
『日本最北端の地』の像は記念撮影をすべく、たくさんの人が並んでおり、ここに並んでいては持ち時間を使い切りそう。列の横からこっそりと像だけを撮るに留めた。
すぐ近くに小高い丘を見つけた。後で調べて分かったが、『宗谷岬公園』と名前のついた場所だったらしい。レンガ造りの展望台らしきものも見え、異国情緒に惹かれて登ってみる。登った先からは宗谷岬を含むあたり一帯が一望できた。沿岸に広がる街の全体感が分かって面白い。水平線もくっきりと見えた。近くの案内板によると、樺太(サハリン)まで43[km]とのことだが、見えなかった。もっと晴れていたり、見晴らしの良い高い場所に行けば見えるのかもしれないと思った。
『日本最北端の売店』と謳われる柏屋では、日本最北端到達証明書たるものを購入。そんなことをしているとバスの発車時刻が近づいてきたのでバス停に戻る。行きと同じくらいの人が列をなしており、定員オーバーで乗り切れない不安が頭をよぎった。
満員御礼のバスに揺られ、稚内駅に戻ってきた。
次は予定通り、ノシャップ岬に行くことに。バスの発車時間まで少し時間があったので、駅ナカの売店でお土産を購入した後で、この日に泊まる宿へのチェックインを済ませた。必要最低限の持ち物以外は部屋に置いてこれたので、身軽な装いでノシャップ岬行きのバスに乗る。こちらは乗り合わせた人が数名しかおらず、先ほどあれだけ宗谷岬の行き帰りのバスにいた人たちは今頃どうしているのだろう、と少し考えた。
ノシャップ岬の最寄りのバス停には、バスで10分ほど揺られていると辿り着けた。岬までは少し歩くが、丘の上にレーダードームやアンテナがそびえる光景を道中にて見かけた。それが幼い頃に良く触れたアニメやゲームに登場する要塞のように感じられて、思わず童心をくすぐられた。
ノシャップ岬まで歩くことわずか数分。岬に辿り着いたときには青空が広がっていたが、しばらく過ごすうちに見事な夕空へと変わっていた。日の入りも見られそうだったが、あと1時間半ほど後ということを近くの掲示物より知り、後の予定も考えるとそこまで長居はできなさそうだと思い、そそくさとバス停に戻った。
近くの公園のベンチに座ってバスを待った。公園では子供たち数人組が公園の遊具で遊んだり、野球をしたりしていた。田舎で生まれ育った身として、自分も幼い頃はあんな風に遊んでいたな、と感傷に浸りかけていたが、草むらからシカが顔を出してきて、驚いた拍子に現実に戻された。
バスを乗り継いで、今度は南稚内駅近辺へと出向く。スーパーや飲食店などは稚内駅よりも南稚内駅のほうが多く存在するように見えた。
ふと、この辺りのお店って全て『日本最北端の○○』って言えるんだよな…という考えが頭に浮かぶ。日本最北端のドラッグストア、パチンコ店、書店、ガソリンスタンド…。そうして見ると、なんだかこの辺りにあるもの全てが特別に思えてくる。夕食も何にしようか考えていなかったが、『日本最北端のすき家』というワードに惹かれ、近くのすき家に入った。まぐろユッケ丼は普段と変わらぬ味をしており、ふと日常を思い出させてくれた。
そして、もともと来ようと決めていた『日本最北端のゲームセンター』にも来訪。音楽ゲームのコーナーに足を踏み入れると、普段よく触れているゲームの筐体がお目見えした。地元の人たちとおぼしき先客の方々に混じっていくつかゲームをプレイした。
ゲームセンターを出ると、意外と時間が経っていたようで辺りはすっかり陽が落ちて暗くなっていた。
宿は稚内駅近くにあるため、またここから戻らないといけない。徒歩30分ほどで戻れそうだったが、残っている体力とも相談した結果、近くのバス停を通る稚内駅行きのバスを待った。
周囲は街灯以外の明かりはなく、自分の頭上にある明かりが、足元に自分とバス停の影を落としている。
そんな光景の中でふと、『今回の旅で自分が得たものは何か』という問いが頭に浮かんだ。初めて行く場所ばかりで楽しかった!だけで終わっては、普段の旅行と何ら変わりはない。18きっぷを使った普通列車メインのルート、初めて訪れる秘境駅や路線を使うなど、旅程にある種の「枷」を設けているだけに、この旅で何か得たと言えるものが欲しかった。
それは、旅の終わりが見えかけている今ならおのずとわかると思っていた。ただ、いざ振り返ると、事前に組んだルートや旅程をこなしてきただけで、得たことなんて何も無いと思えてしまった。もしこれが、自家用車や自転車といった自力を要するものを使った旅路であれば、また違ったのだろうか。
そんな風に思いつつも、ひとつだけ得られたものを見出した。それは「自分の組んだ旅程を信じて進む判断力」「初めて行く場所に一歩足を踏み入れてみる度胸」とでも呼べるものだった。
稚内行きのバス停周辺の薄暗い光景を見て、初めての場所に普通列車だけで行くことに一抹の不安を覚えていたと思い出した。初日の奥羽本線の横手~秋田間や、前日に通ってきた南千歳~新得~富良野~旭川間が思い浮かんだ。
事前に組んだルートを辿ってきただけに思えても、電車が定刻通りに来なかったり、不測の事態で遅延するリスクとは常に隣り合わせなのだ。不測の事態が発生した場合、旅程を成立させるために他のルートに切り替えられる知識や瞬時の判断力、場合によっては『もうこのルートで上手くいくと信じるしかない!』と、一種の賭けに出るに等しい度胸など、実は色んな力を知らないうちに使っているのだと思う。
そんなことを考えていると、定刻より少し遅れてバスが来た。またひとつ賭けに勝ったと思い、車内に乗り込んだ。そして、こうした賭けの勝率を高めてくれる、日本の公共交通機関の正確さに改めて頭の垂れる思いがした。
稚内駅に戻ると、どこからか祭囃子が聞こえてきた。駅の近くの公園でお祭りをやっているようだ。思わず、スキップしながら公園まで向かった。
公園に着くと盆踊りが始まっていた。櫓の頂上には和太鼓を叩く人、足元には歌う人。歌い手の方が『皆さんもどんどん輪に混ざってください』と呼び掛ける。輪に混ざる人は最初は少なかったものの、一人、また一人と、輪に加わっていく人が増えていく。輪に混ざろうとも一瞬考えたが、盆踊りの光景を遠めに見るにとどめた。自分含め、日本らしさとも捉えられる奥ゆかしさが、この公園一帯に漂っているように感じられた。すぐ近くには遊具があり、飲み食いしながら談笑する大人たちの会話に置いていかれたのであろう子供たちが、縁日の景品で得たとおぼしきおもちゃを片手に遊んでいた。自分も幼い頃はあんな感じだったな、そういえば今年は地元の夏祭りはこんな風に開催できているのだろうか。そんなことを気にしていると、盆踊りも終わって縁もたけなわという雰囲気になっていた。この地に横たわる日常は存分に感じられた。そんな一抹の満足感を覚えた。
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後日談
新千歳空港発の飛行機に、早朝から乗り込むのは初めてだった。先ほど通ってきた荷物預かりの窓口も長蛇の列ができており、お盆のハイシーズン時期だとこんな時間でも混雑していると思い知らされた。
稚内での一日を過ごした後、特急で札幌まで戻り友人と過ごし一泊。その最中に急遽確保した飛行機で、都内まで戻ることにした。ハイシーズンならではの運賃には思わず目を見開いたが、貯めていたマイルを使い、なんとか出費を抑えられた。つい数日前まであんなに活躍していた青春18きっぷは、いまはもう財布の中で眠っていた。
飛行機も定刻通りに離陸した。目的地である羽田空港を目指して。
飛行機が高度を徐々に落としていくと、羽田空港周辺の街並みが見えてくる。4日ほどかけて辿ってきた道のりが、飛行機だとわずか1時間とちょっとだった。
機内を降りて、荷物を引き取り、帰りの電車に乗ろうと京急線のホームへと向かう。道中でどこか昼食処にでも寄ろうかと考えていたが、思い出が色濃く残っているうちに旅を終わらせたい気持ちが強まり、まっすぐ帰ることにした。
京急線のホームに降り立つと、電車を待つ人々の列がホーム上にびっしりとできていた。皆それぞれ、スーツケースや各地の空港の売店の紙袋を手にしている。
こうして多くの人が集まって暮らす場所である、これもまた東京という場所の『日常』だったと、ふと思い出す。加えて、この旅の中で触れてきた光景を少し思い出してみる。
横手の居酒屋の賑わい。
五能線から見た海岸線の景色。
函館の五稜郭公園。
カモメが飛び交う森駅すぐ側の海岸。
廃線を目前に控えながらもダイヤ通りに運行し続ける根室本線。
稚内の街並み。
どれも、実際に目にした瞬間は「特別なもの」だと感じた。ただ、特別であると同時に、その地にとっては単なる「日常」だとも徐々に思えるようになった。
そして、そんな風に思える場所が増えていくことが、旅を続ける醍醐味ではないだろうか。よく「ガッカリスポット」という言葉で観光地が取り上げられることがあるが、いったい誰が言い出したのだろう。まだ見聞きしたことがないその地の日常がある時点で、どんな場所にでも訪れる価値があるのだと思う。
そんな考え方を持つことで、どんな場所でも愛せるような気がした。
おしまい