見出し画像

旅の始まりを 今も思い出せるかい

選んできた道のりの  正しさを祈った

ロストマン / BUMP OF CHICKEN


さて、先日の主催イベントのことを書こう。

Akht.ually Respect Y.O.U. vol.01』が無事に終演した。笑えるようなトラブルとハプニングにも祝福され、手足がちぎれることも厭わぬ覚悟で臨んだ一日は、あっという間に過ぎ去った。

べらぼうに楽しかった。

ご来場、並びに配信をご視聴くださいました皆々様にこの場をお借りして、改めて御礼申し上げます。

共同主催の相方、ベーシスト/のY.O.U.さんも一足お先に記事を書いている。ご一読並びにフォローなど是非。


リクエストに応えてうっかり作ってしまった物販も爆速で完売した。これは完全に予想外。欲しかったのにー!という声にお答えすべく、追加生産を目論んでいる。デスクの隅っこにでも飾ってくれたら嬉しい。
いずれ通販展開もしたい。

出演者とスタッフに配ったクルーパスは僕のお手製である。記念のお土産にでもなればと思い至った次第。いずれグッズ化しても良さそう。

こちらはO.A.のインスト曲の様子など。
遠い昔に仙台の学校でセミナーをした時以来の演奏(リハーサルするのを二人ともすっかり忘れていた)なので、ほぼぶっつけ本番。勢い任せの幕開けではあったけれど、幕が開いた瞬間に「ドラムが目の前にある!?」という反応を見られて楽しかった。

カメラは終始回していたけれど3時間超という収録時間なのでしばらくは編集に時間を取られそう。のびのびとお待ちいただければ此れ幸い。

『この人とじゃないと出せない音がある』

そういうものが存在する。

長く一緒に居た時間だけ、長く一緒に何かを共有した分だけ、色濃く、はっきりと出るものがある。交わした言葉よりも、ぶつけ合った音の数の方が多いかもしれない。どんなエンターテインメントより刺激的で、感動的で、儚いそれに、僕は長年狂わされてきた。

”リズム隊主体のイベント”という初の試みは、予想に反した成功を収めたように思う。本当に、本当に、ありがとうございました。

第二回も演る気満々なので、今回来られなかった人は次回こそ、是非。また違った趣向で、更に洗練されたものをお届けできるといいな。なんなら「この人と音を出したいな」という人もリストアップし始めている。

僕らが一緒にステージに上がりたいのはもちろんだけれど、逆に「この二人のリズム隊で弾きたい/歌いたい」という人とこそ、演りたいと思っている。

出演希望者もこっそりとお待ちしています。我こそはという方は是非。

わー

翌日は久々に丸一日使い物にならなかったのだけれど、夕方からリハーサルが入っていたので身体を引きずって仕事へ。意外となんとかなるし、なんとでもなるもんだ。
今日ようやく一息つけたタイミングで、少しずつ振り返ってみた。

いっぱい喋ったなぁ。喋るのは本業じゃないので終始わけがわからないMCばかりしていたような気がするけれど。ご容赦くださいませ。

あの日は、子供の頃の『友達と遊ぶ時間』の延長線上にあるものだった。今でも音楽で、楽器で、心躍る自分を取り戻せる。そういう瞬間を改めて呼び覚ませたことは、シンプルな満足感だけに留まらず、次に繋がる契機にもなったと思う。

僕の音楽家としての行動倫理は。至上命題は。

「人を感動させたい」

ずっと変わらず、これに尽きる。それを改めて見直せたと思う。

改めて関係各位に感謝御礼申し上げます。

そして何より、Akht.という一人のドラマーを愛してくれる全ての人に、ありがとう。あなたたちのお陰で僕は生きていられます。

それではまた会場でお会いしましょう!


以下蛇足。


せっかくなので、以前書いて下書きのままにしてある記事をこっちに移植してみようと思う。


〜〜〜〜のりしろ〜〜〜〜〜


そろそろ”お客さんにガン見してもらうイベント”などをやるので、日ごろ気恥ずかしくて書けないようなことをあえて書いてみようと思う。

わたくし、Akht.が思うドラムの楽しさとは何かを。

きゃー。恥ずかしいったらありゃしない。でも書いてみる。何事もまずは試みてみるもんさ。

第一に『ドラムそのものが楽しい』というよりも僕は合奏/アンサンブルが好き、人と音を出すのが好きなので、あくまで共演者ありき、観てくれる人ありき、という前提がある。ただ叩くだけ、身体を動かして大きな音を出すだけ、という行為も、生き物としての根源的欲求に付随しているのかも知れないけれど。それはさておくものとして。

『自分が作り出したリズムに触発されているのを感じた(見た/聴いた)瞬間の圧倒的快感』

これを挙げたい。ある種、場と時間を支配する全能感とも呼べるものかもしれないが、僕は他の楽器に乗っかるのも好きなのでそれはそれとして。
自然発生的な手拍子や突き上げる拳、足踏み、身体を揺らしている様子も、リズムが存在していないと起こり得ないものだ。責任はとてつもなく重いが、その重さを担うのは同時に誇らしいことでもある。

演奏をスタートさせるための”カウント”も『曲の時間をその瞬間に決める』行為。「さぁ行こうぜ」であり「行ってらっしゃい」でもある。それを任せてもらえるなんて、まっこと名誉なことなのだ。

フロントマン、共演者たちが楽しんでいる姿、安心している姿、歌や踊り、演奏に集中できている様子は『安心させてあげられ(る演奏ができ)ていること』の証左なので、それはもうたまらなく。
たまらなく、嬉しい。
たまらなく、楽しい。

お客さんはドラムを聴きにきているわけではなく、音楽を楽しみにきているので、トータルコーディネートを見据えた演奏にする必要がある。抑揚、ダイナミクスと呼ばれる部分。

雑な言い方をすれば「ちゃんとリズムさえ取れていれば(演奏さえ成立させてくれるのならば)ドラマーなんて誰でもいい」のだけれど、そこは対・人間なので「◯◯が叩いてくれてるから出る音」「生まれる余裕」「嬉しさ」「楽しさ」みたいなものが確かにあって、それが前に立つ人たち、僕が支える人たちのパフォーマンスに繋がる、ひいてはサポートしているアーティスト達に対するお客さんの評価に繋がると信じている。

いいドラマーとは何か。

・共演者を不安にさせない
これはもう絶対条件。最低限。なので”できていて当たり前”の部類に入る。

・楽しませる/気持ちをアゲてあげる
付加要素には前述した「この人だから」が含まれる。ショーマンシップや使う音、出す音の大きさ、広さ、深さも関わる。

・時に包み、時に壊す
そして時に期待を裏切り、予想を超える。
命を燃やして、楽曲に寄り添う。音楽に寄り添う。

個人的に一番大切にしていることは迷いがないことだ。

自分の演奏に、一切の迷いがないこと。躊躇わないこと。これについて書くのは初めてかもしれない。

ずっとずっと大切にしてきた、大切にしている部分。

そも、最終的な是非は「好きか嫌いか」という個人主観が関わってくるから「好きなら好きでいい」のだ。自分がこれでいい!と思えるのなら、それでいいのだ。
『迷いがある音』や『迷いのある歌/詩』も、人間臭くて好きだ。ちっとも洗練されていなくてもいいんだ。複雑で、めちゃくちゃで、汚くて、少しもまとまってない、矛盾した、そういうものもまた、芸術のあるべき形だ。

自分の生計ベースは商業音楽への技術提供なので『それはそれとして』という部分ではあるけれど。僕は”支える側”だから、迷っている人のために自分は迷わないでいるようにする、という矜持がある。

「歌いやすい」「弾きやすい」と言ってもらえるのは何よりの喜びだ。賛辞に見合う演奏家でいたいと思う。常に色気と圧がある音を出したい。

よく人が話しがちな「これだけは負けない」みたいな強みが、自分じゃあ実はよくわかってない。命を賭して演奏に身を捧げること、ぐらいだろうか。ちょっと重過ぎるかな。

カッコいいでも、上手いでも、美しいでも、賛辞そのものはなんでもいい。
音と見栄え、両方において『人の心を打つ』ことにかけては、確かな自信がある。

勝ち負けはよくわからない。だけれども『Akht.からしか得られない栄養』みたいなものは、ちゃんと存在しているような気がしてる。

そこに誇りを持てるのは、他ならぬ”あなた”のお陰なのです。


読んでくれてありがとう。

よかったらスキ、フォローしてね(•﹏•  )


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?