日記「ねずみのしっぽ、上がるSAN値」
文章なんか書きたくないと思うタイミング──創作なんてやめちまえと思うタイミングがたまにやってくるのだけれど、それは大抵何かをはじめてしばらくして自分よりもはるかに上手い人間を目撃した時にやってくる。いわゆるダニングクルーガー効果というやつだ。ついこの間まで、僕はダニングクルーガー効果を表した曲線の「谷」部分にいた。詩を投稿していたら、Twitterで自分よりもはるかに投稿頻度が高い上に高水準の詩を投稿し続けている人を見つけ凹み、スマホで3Dモデリングを始めたら、YouTubeでBlenderを用いて超本格的な3Dモデリングをしている人の動画を目にして心が折れかけた。今思えばビギナーの分際でどんだけ自信過剰だったんだと呆れてしまうが、これも僕の愚かでカワイイところだと受け入れるしかない。このオロカワイさはたぶん、治らない。何かを始めてはちょづき、上位互換を目撃して心を折られ、折れた心をセロハンテープで補強してまたあるき始める。そして、前よりちょっぴり上手くなり、またちょづき、心をポキリと折られ、補強し、あるき始める……こういうプリセットになっている。「バカには勝てん」もののけ姫のジコ坊も言っていたが、バカの勢いってすげー。何かを始めるときのまるで天地創造でもし始めるんじゃないかってくらいの勢い、あれがあるから始められ、今日まで続いていることって結構たくさんある。そういう意味ではオロカワイイ自分にも感謝しているし、その後心が折れても続けようと思ってくれた自分にも感謝している。まず、そもそもの話、最初から作ったものが大絶賛され、その後も評価され続けるなんて考えること自体チャンチャラおかしい。おこがましいとは思わんかね?二十代も折り返して気づいたはずだ。自分はチートスキルを天与されてこの世に生まれた訳では無いと。装備は「すで」「ふく」それと、「ねずみのしっぽ」ほどのちっぽけな勇気、それだけ。それだけだったはずだ。そう思うと、随分遠くに来たもんだ。偉いよ。
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嫌いな同僚がいる。例えるなら二郎コピペのヌードル亭麺吉みたいなやつだ(ここではその同僚のことを麺吉と呼ぶことにする)。僕はその麺吉のことが、大嫌いでたまに麺吉が僕に対して(頼んでもいないのに)長ったらしい講釈を垂れてくるとその鼻っ柱に荷物運搬用の台車を突っ込ませたくなる。ところが時々「まぁ、こんなやつも僕の人生に一人くらいいてもいいか」と思える時もある。まぁ結局、数日後にはガンタッカーで口を綴じてやりたくなるほど苛つかされることになるのだが……
……シーシュポスの岩だよな、言いたいことは分かる。麺吉と関わらないで済む状況を作るのが一番いいのかもしれないが、心のどこかでこれでいいと思っている──この殺意と赦しの交互浴を気持ちいいと感じている自分もいるのだ。サウナと一緒だ。僕はこの状況になれつつある。ムカつくことにはムカつくが、以前のように眠れないほど苛立つようなことはなくなってきた。TRPGで無事生還するとSAN値の上限が上がっていくような感じ。麺吉への耐久値も上がっている感じがある。そして、たぶん麺吉がある日突然僕の前からいなくなったとしても、きっと何も変わらないと思う。次の麺吉が現れるよ、きっと。今度はそいつへの怒りで身悶えすることになる。だから今はこのままでいい。嫌いなやつだっていたっていい。ムカつくことだってあたっていい。ちょっとくらい汚れてた部屋の方がやっぱり居心地はいいんだ。