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情報モラル 再考 #8        ~モラルも安全も安心もない情報社会で

 1 情報社会?
 2 誤解
 3 本来の姿
 4 ルールを知る
 5 歴史から学ぶ
 6 情報を守る
 7 情報を読む力をつける
 8 サイバー社会のクセを知る
 9 未来に

#8 サイバー社会のクセを知る

 スポーツの世界では試合に挑む前に対戦相手の特徴や戦術などを調査し研究する。特に海外遠征時には、試合会場の環境や気候、宿泊施設や食事がどうなっているか、審判はどんなクセがあるのかなどを事前に調べて対策を練る。

 情報社会で賢く生き抜くために、サイバー社会の長所や短所を押さえておきたい。

欲望を増幅する

 サイバー社会は、リアル社会で持っている私たちの欲望を増幅する。

 知識欲、権力欲、性欲、支配欲などの多くの欲望、それから喜怒哀楽、嫉妬、愛憎、良心や善行だけでなく理不尽や悪事、違法行為でさえ楽に早く実現する。

 さらに、「正直者がばかを見る」や「悪貨が良貨を駆逐する」という現象をも加速する。

  ⇒ いいことも悪いことも自分が思うよりはるかに大きな事になる。
 

「同じ」ではない

 リアル社会は、子どものころから友達や同級生と同じ地域に住み、同じ空気を吸い、同じ文化で育った者同士が生活してきた。そこでは、暗黙の了解、言わずもがな、当たり前、常識が通じる。

 しかし、サイバー社会は「同じ」に囲まれて安心できる場所はほぼない。

 出会う相手は、国も民族も政治的スタンスも性的志向も経済力も学歴も同じとは限らない。というより、ほとんど違う。

 サイバー社会は、同質性に縛れることのない自由な社会であり、無限とも思える可能性を秘めている。

 その一方で、異質な人々の中で常に緊張し、臨戦態勢が求められる。

 そのストレスは大きい。

  ⇒ 多様な異質の中で自分を見失わない。
 

同調圧力が弱い

 リアル社会における秩序は、日本では日常モラルや遵法精神ではなく、人目を気にする同調圧力が大きく作用している。

 ところが、サイバー社会では直接的な人目が届かず、同調圧力が弱り、迷惑行為や犯罪に対する抑制が緩みがちになる。

 大人しい会社員が仮面を脱ぎ捨て、異常者は自由を得てパワーアップする。

  ⇒ お互いに抑制が効きにくい空間にいる
  

キャラの使い分けに気を使う

 私たちはリアル社会の生活の中で、自分のキャラを自然と使い分けている。

 家庭での私、親しい仲間内の私、クラスの中の私、部活の私、教師の前の私、好きな人の前にいる私、嫌いな連中といる私、ひとりでいる時の私など、多くの私がいる。

 その複雑なキャラをSNSの1つや2つのアカウントで演じるのには無理がある。

 かといって複数のアカウントをキャラに合わせてうまく使い分けるのも結構大変なこと。多過ぎると使い分けで疲れるし、使い間違ってしまってトラブルことにもなる。

  ⇒ リアルの自分のキャラとのギャップを意識する。
  

ほぼなりすまし

 「なりすまし」というとイメージ悪いが、サイバー社会ではそもそも匿名のアカウントを使用している時点でなりすましである。

 それはリアル社会での属性によって区別されない自分以外の何者かになれることであり、大きな恩恵である。

 一方で、実際の別人物になりすまして騙そうとする輩が絶えない。

 そのアカウントの正体はだれか。有名人の本人なのか偽者か。ほんとに自分の知り合いなのか。大人か未成年か。はたまた人間かボット(コンピュータ)か。

 さらに、ひとりが何人もの人間になれる。

 一人で複数のアカウントを取得して同じ情報を流して多数を装うことができる。

  ⇒ 「いいね」の数やフォロワー数などは参考程度に。
  

突然止まる

 国や自治体は、スマホ依存に気をつけろと言いつつ日常生活を送る上で何をするにもスマホやインターネットがないと始まらないスマホ前提社会を推し進めようとしている。

 ところが、ある日突然、通信ができなくなったり、システムが止まったりする。

 トラブルの原因は、機械の不具合、ソフトウェアのバグ、人為的なミス、自然災害、サイバー攻撃など様々あり、いつどこで発生してもおかしくない。

  ⇒ 突然使えなくなることに備える。
  

記録されている

 アプリやWebサービス、ICT機器の多くは、入力された情報や操作された内容を記録している。

 そして収集したデータを合わせて分析すれば、個人の様々なプライベートな部分が明らかになってくる。

 本人が忘れていてもコンピュータは覚えている。いつまでも。

 あとは企業や組織がその情報をどう使うか。

 その人の幸せを願って利用するのではない。その企業や組織のために活用する。本人の知らないところで。

 さらには、いつか誰かにその情報を晒される(故意か過失かは別にして)のではないかという不安は消えることはない。

  ⇒ 隠し事はできない。
  

コンピュータだって間違える

 コロナ禍で、スーパーコンピュータによる飛沫や息の拡散具合のシミュレーション結果を、マスコミはまるで神からのお告げがあったがごとく、なんの疑いを持たず報じていた。

 はたして、その1つのシミュレーション結果が正しいのか?
現実の社会に当てはまるものなのか?

 一般的に、AIは人間に比べて冷静で客観的で誤りのない公正な判断をする完璧なコンピュータだとイメージされている。

 ところが、AIだっておかしな答えを出すことがある。

 海外では、AIによる顔認識で別人に間違われて逮捕されたという事件が起きている。

 コンピュータにプログラムを組み込み、条件を設定し、データを選ぶのは人間である。

 その与える指示や条件、データの違いによって結果は変わる。
思い描く結果がでるまで、やり直し続けることができる。

  ⇒ コンピュータも間違えるし、人間に誘導される。
  

クリックやタップさせたもん勝ち

 日本は民主主義ということになっている。
 選挙があり、多数決が原則。

 ところが、日常生活レベルでは独裁主義。

 会社、スポーツ団体、サークル活動、ママ友、地域活動などの集団では声が大きく態度のでかい、攻撃的で自己中心的な人が権勢を誇りがち。

 では、情報社会はどうか。

 音楽や動画でも、政治的メッセージでも、商売でも、とにかくクリックやタップされた数が勝敗を決める。

 刺激的で感情に訴えるコンテンツやメッセージは、最初は少数でもSNSで拡散され、さらにマスコミが煽ると一気にバズり、炎上する。

 情報か正しいかどうかは二の次。
 その場の自分の感情を満足させてくれる情報を探し続け、見つかればクリックするし、タップする。

 一方で、煽りに惑わされない大多数の人は積極的に意見表明はせず、埋没してしまう。

  ⇒ 悪貨が良貨を駆逐しまくる。


 こうした特徴や傾向について考え、そして議論しながら自分なりの情報社会での生き方を探っていくことが情報モラル教育。

(つづく)

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