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持続可能社会への取り組みを持続可能とするために【人口ピラミッドに応じた社会に】
若者の不安
持続可能な社会への課題は、外的な要因よりも人間社会自体が内部崩壊しかねないことにある。
超々高齢社会への対応が遅すぎ、社会が軋んできている。
平均寿命や年齢構成比がまったく異なる時代の意識や法がそのまま続いており、実体と大きくずれている。
特に高齢親介護という難問が長期間に渡り、子や孫の時間、金、仕事、未来を奪い、現時点ではその渦中にはなくとも若者を不安に陥れている。
それが、晩婚化、未婚化、少子化の元凶ではないか。
結婚でリスク増大
結婚すれば、自分と義理の両親、そしてそれぞれの祖父母と最悪12人分の介護者リスクを背負うことになる。
子育てが終わってさあ自分の人生と思いきや、即高齢者介護に襲われ、後半生が地獄と化すことが容易に想像できてしまう。
若者がこんな恐ろしい選択を躊躇するのは自然なことで、持続可能な社会への取り組みができる余裕のある人も多くはないだろう。
親子の関係性
持続可能な社会への様々な努力を活かすためには、歪な人口ピラミッドの時代に合わせて家族、親と子のあり方を変えなければならない。
本来、親とは子を育て、守り、陰に陽に支えていく機能のことであり、子が一人前になればその役目は終わる(もちろん情緒の部分は別だが)。
ところが、現実はその役目が終わってもその関係性が延々と続いてしまっている。
その弊害は寿命が短かった時代は目立っていなかったものの今では顕著になり、まるで親というものが、自分が高齢になった時の無償の介護要員として確保するために子を育てているように見えるようになった。
これでは、子が親の介護リスクを恐れるあまり、親の長生きを素直に喜べなってしまう。
こんな社会では多くの素晴らしい取り組みも、地盤がぜい弱な沼地に立派な家を建てようとしているようものになってしまう。
民法の改正へ
打開策の1つとして、民法の改正を提案したい。
人の情緒としてはいくつになっても親は親、子は子でもよいが、現行の民法により親など直径血族の扶養義務が課せられており、その関係性を強要している。
助け合いは必要だが、強制されるものでなく、意思によるものだ。
まずは、親子や血族関係が現行では死ぬまで続くところを、子の成人までとするよう改正し、親離れ、子離れを後押しすることが、持続可能な社会への足掛かりとなるではないだろうか。