サブスク・アレルギー
自分は、サブスク・アレルギーかもしれない。
便利で経済的でお手軽でいいことずくめなのは分かっている。
それでも、拒否反応がでてしまう。
なぜだろう。
音楽のサブスクについて考えてみた。
今でなく、次が気になる
サブスクは、ひとつひとつを味わって楽しむのではない。
より多く、次から次へと消費することに囚われてしまう。
頭の中は、今聞いている曲ではなく、次の曲を期待する心に流されてしまう。
いつまでたっても、心が充足することは無いような感覚。
聴き捨て
アーティストの作品が大量に消費され、聴き流されていく。
曲が始まって数秒の印象で、ちょっと違うと感じたら次から次へとスキップされてしまう。
情け容赦はない。
いかに効率よく楽しむか。
そして業者はいかにして楽に儲けるか。
これまでもアーティスト側の思いと業界の商業主義との軋轢が話題になることがあったが、そんな時代が微笑ましく思えるほど。
マイルスやビートルズやマイケル、ユーミンやサザンやYMOといった長く広く深く人の心を揺さぶり、親しまれ、影響を与え続ける文化が生まれてこないのも、サブスクの影響かなとも思ったりもする。
多様性の時代だからそれでいい?
突然、消える
サブスク上のコンテンツはある日、突然消えてしまう。
アーティストに何らかのトラブルが発生し、その作品が配信サイトから突然なくなり戸惑う人が続出したとのニュースが話題になった。
サブスクのコンテンツは自分のものではなく、一時的に聴かせてもらっているだけ。
自分に主導権がなく、大人の事情で聴けなくなってしまう。
さらには、インターネットが止まれば全部を失うことになる。
歳のせい?
なんやかんや言っても、これが最大の原因だろう。
若いころならサブスクで聴きまくっていたはず。
新しい曲(自分にとっての)に出会うと心が躍る。
でも、歳を重ねると残り時間が限られてくる。
自分が持っているライブラリだけでも聴ききれずにいつか聴こうと思っている曲がたくさんある。
新しい曲を求める心をサブスクにゆだねてしまうと、今までのお気に入りの曲を聴く機会が減ってしまうのが寂しい。
ああ、ジレンマ。
聴きこぼし
初めて聞いて気に入ることもあれば、3~4回目でだんだんと心に突き刺さってくる曲もある。
数年ぶりに聴いて、お気に入りになる曲もたくさんある。
ところが、サブスクでは、その時に直観的にスキップしてしまえば、それで永遠にサヨナラ。
そんな聴きこぼしがもったいない。
行きは良い良い帰りは怖い
契約する時は、無料期間もあり簡単にできる。
ところが、解約する時は、手間暇がかかり、なかなか解約できないような仕組みになっている。
そんな多くの苦情に対応し、先月に消費者契約法が改正されて、表示を分かりやすくするように努力義務が課せられた。
そんなやり口がちと苦手。
人間関係もサブスク?
話は大きくなってしまうが、昨今、結婚しない若者が増えているという。
サイバー社会はつながり放題であり、出会いは無限にある(ように思える)。
無意識のうちに、明日またもっといい人が、次はもっと相性の良い人が現れるかもと期待が際限なく続いてしまう。
いつまでたっても相手を絞れない。
人間関係もサブスクという選び放題という迷宮に陥っている?
...たぶん、考えすぎ。
サブスク・アレルギーは死ぬまで治りそうにない。