
#44 ビッグデータから見るトレーニング量と強度の関係
前回までにトレーニング量と強度について、どちらが大切か?という疑問を解決すべく、量or強度推し、両方推しの論文をご紹介しました。
結局はどちらも大事で、何を重視すべきかは時間の制約や本人のモチベーションなど、個人によって変わってくるというところが着地点にはなってきます。
しかしここで着地してしまうと、何だかもやっとした感じが残る方もいらっしゃるかと思います。
「どちらかというと強度は軽めでトレーニング量が多いタイプだけれど、それでいいの?」
「最近高強度インターバルに取り組んでいるけれど、目標タイムを達成できるかな?」
このようなトレーニングの量と強度に関わる疑問に答えていきたいところです。
そこで今回の記事では量と強度の関係をビッグデータを用いて俯瞰し、全体観を眺められる論文をご紹介します。
この論文ではポラールのデバイスを使っている世界中のランナー1万4千人のデータから量と強度の関係を深堀って、それぞれの効果とその相互関係を分析しています。
高い信頼を得ているネイチャーコミュニケーションズ誌にて発表されたものでもありますので、是非読み進めてみてくださいね。
全世界1万4千人のランナーのレースと180日分のトレーニングを調査
世はビッグデータ時代。昔では考えられないほどの膨大なデータを分析することが可能な時代となりました。
今回の論文ではポラールデバイスを使ってトレーニングを行っている1万4千人のデータ、それもレース(5km, 10km, ハーフマラソン、フルマラソン)とレース前180日間に行ったトレーニングのデータが分析されています。
フルマラソンの結果は2時間20分~6時間と、アスリートから愛好家までさまざまなランナー層のデータが集められています。
VO2maxスピードとエンデュランスという2つの指標
今回の論文ではVO2maxスピードとエンデュランスという2つの指標によってレースタイムの予測式を作っていますので、この辺りをまずご説明させてもらいますね。
論文中に出てくる「VO2maxスピード」について少し詳しく説明しますが、この記事ではその意味合いはそこまで重要ではありませんので、流し読みでも大丈夫です。
この論文を執筆されている方たちは以前の論文で、陸上長距離のトップランナーたちのタイムから、どのような能力があればタイムを予測できるのかを検討しています。
1500m、5km、10km、ハーフマラソン、フルマラソンと距離が長くなっていくにつれて、疲労との兼ね合いもあり平均の走速度は当然ですが下がっていきますね。
そこで筆者たちは各選手のある距離でのタイムを予測する場合、そのタイムはVO2maxが求められる下限のスピード(VO2maxスピード)と、疲労への耐性(この論文ではエンデュランスと呼んでいます)の2つの指標でうまく説明できることを以前の論文で発表しています。
VO2maxが求められる下限のスピードとは、イメージとしてはクリティカルパワーに近いものです。
以前の記事でご紹介させてもらったように、ある程度のパワー発揮以下ではVO2max(最大酸素摂取量)は動員されません。

逆を言えばあるパワー以上を発揮し続けるといずれVO2maxに到達します。
つまり下限のスピードとは、VO2maxが動員される最も低いスピードです。
参考までに、VO2maxスピードのおおよそ82%のスピードが1時間キープできる速度になるようです。
※筆者たちは今回のVO2maxスピードはクリティカルパワーと同様ではないことを注意書きされています。データを見るに、クリティカルパワー(スピード)よりも高い値であるようです。
一般的にモデル式というと非常に複雑で、色々なパラメーター(要因)が出てきて解釈が非常に難しくなるものですが、
今回の論文ではVO2maxスピードとエンデュランスという指標でタイムを予測するというシンプルなモデル式が、市民ランナーのパフォーマンス解析へも応用されています。
では、実際にどのような結果になったのかを見ていただくことにしましょう。
縦軸にエンデュランス、横軸にVO2maxスピードをとって、フルマラソンのタイム分布が示されています。

この図で見ておいてもらいたいことは、VO2maxスピードとエンデュランスの関係性です。
例えばフルマラソンタイムが4時間になる点線を追ってもらうと、エンデュランスが高いとVO2maxスピードがやや低くても4時間切りを達成できます。
逆にVO2maxスピードが早ければ、エンデュランスが低くても4時間切りは可能です。
この図からは、
・VO2maxスピードが速いに越したことはない
・エンデュランス(疲労耐性)が高められるとタイムは上がる
ということが読み取れます。
ここまでで、ようやく前提条件の説明を終えました。
ここからこの論文の最も興味深いところに入っていきます。
VO2maxスピードとトレーニング量
それではまず、VO2maxスピードとトレーニング量の関係から見ていきましょう。
縦軸にVO2maxスピード、横軸に月間のトレーニング距離(km)を表示しています。

図を見てもらうと、月間トレーニング距離が増えるとVO2maxスピードが向上していることが読み取れます。
一般的に月間トレーニング距離については以下のように言われることが多いようです。
・3時間以内…250km
・3~3.5時間…200km
・3.5~4時間…140km
・4~5時間…100km
一般ランナーの「エンデュランス」という指標のボリュームゾーンは3~4.5ほどのようですので、先ほどのタイム分布からみても同じような傾向にあることが分かります。

トレーニング量を積み上げることで、有酸素能力の土台ができることがこのビッグデータも物語っていますね。
エンデュランスとトレーニング強度
今度は疲労耐性を表す「エンデュランス」とトレーニング強度の関係を見ていきましょう。
縦軸にエンデュランス、横軸は平均トレーニング強度で表されています。
トレーニング強度はVO2maxスピード強度を1.0として、180日間に行った全てのトレーニング強度を平均した値になります。
例えば平均トレーニング強度が0.6というのは、全ての時間VO2maxの60%強度でトレーニングをしたのではなくて、インターバルトレーニングのような100%VO2mx→50%VO2maxでレスト、80%VO2maxでのテンポ走、50%でのリカバリーなど、全てのトレーニングの平均値を表していますのでご注意ください。

トレーニング強度が高まるほどにエンデュランス指数が高い傾向が見て取れますね。
エンデュランス指数は疲労耐性と大きく括りましたが、色々な要因が含まれていると考えられます。
その中でも、この指標のモデル式をみるとクリティカルパワーの概念に出てきたような、速筋線維の疲労と大きく関わっているように見えます。(いわゆる、VO2 slowコンポーネントと言われるものです)。
高い出力時に速筋線維が動員されると、速筋線維が疲労しやすいという特徴から収縮に関わらない疲労回復のために、酸素消費が増えていくというものです。
高強度のトレーニングほどこのような速筋線維の代謝能力や疲労耐性が改善されると考えると、この結果もなるほどなと思えます。
しかし平均トレーニング強度が高いということは、その分トレーニング量は少ないものになっているはずです。
先日ご紹介した記事にあったケニア人ランナーでさえ90%VO2max以上は全体の15%ほどで、ほとんどがより低い強度帯です。(おそらく平均トレーニング強度は60%前後ではないかと思います。)
つまり今回の図でいうと、平均トレーニング強度が0.8を超えるようなランナーは、かなりトレーニング量を犠牲にしていると考えられます。
量と強度の関係
これまでの結果から、
・VO2maxスピードはトレーニング量と関係している
・疲労耐性を表すエンデュランス指数はトレーニング強度と関係している
ことが分かりました。
次に、トレーニング量と強度の関係を見ていきましょう。
下の図では縦軸にVO2maxスピード、横軸に平均トレーニング強度が表示されていますので、
VO2maxスピード → トレーニング量
平均トレーニング強度 → トレーニング強度
と置き換えてみたのが次の図になります。

この図からは、トレーニング量と強度、どちらかを重視するともう一方を低くせざるを得ないという関係性が伺えます。
VO2maxスピードを上げようと思えばトレーニング量を増やしたいので、強度は下げざるを得ず、そのためエンデュランス指数はそこまで高くはできません。
逆にエンデュランス指数を高めようと考えると強度が上がるため、その分トレー二ング量は稼げません。
どちらもフルマラソンのタイムを決める重要な要素ですが、時間の制約、またそもそもの人間のキャパシティーの問題から量と強度の両どりはできません。
丁度よい折り合いが、一般的に行われているトレーニング量(距離)と強度の運用なのかもしれませんね。
「量か強度か?」の記事を複数回展開してきましたが、私としてはこの図がその答えを示してくれているように感じています。
量×強度、オーバートレーニングの関係
この論文では量×強度、つまりトレーニング負荷全体についても分析してくれています。
トレーニングのやりすぎはオーバートレーニングを招くため、疲労のマネジメントが大切なことは言うまでもありません。
では、どのあたりのトレーニング負荷からオーバートレーニングになりやすいのでしょうか?
強度が高いトレーニングが継続されたときにオーバートレーニングになりやすいので、この論文で言うとエンデュランス指数を高めようと平均トレーニング強度を高く設定した場合にオーバートレーニングが起こりやすいと考えられます。
その関係が以下の図のように示されていました。

図は週間トレーニング強度が0.8とかなり高い設定でのトレーニング時間を算出してみました。
週間トレーニング時間が増える毎にエンデュランス指数が高まっていますが、6.5時間を過ぎたあたりからは一転して低いエンデュランス指数に留まっています。
このことがいわゆるオーバートレーニング状態で、トレーニング刺激と回復のバランスが崩れている状態であると筆者は考察しています。
仮に1日1時間トレーニングを行う場合を考えてみましょう。
例えばFTP走(サイクリングの場合です)を毎日1時間実施することが、強度0.8~0.9になります。
この図からはそのような計画はかなりオーバートレーニングに近い状態であることが伺えます。
逆に攻めた考え方をすれば1日1時間、0.8強度を7日続けてオーバーリーチング(オーバートレーニングの前に起きる、少しの期間パフォーマンスが落ちる状況)を作って、次の週にリカバリーをするという戦略が考えられるのかもしれません。
以上、今回の論文をまとめると
トレーニング量を確保することで有酸素能力は確実に向上する
高い強度のトレーニングはエンデュランスを高められる
量と強度の両どりはできない
オーバートレーニングにならないように、量×強度の調節が大事
といった内容になるかと思います。
おわりに
以上で今回の論文の解説は終わりになります。
ビッグデータによってトレーニング量と強度の関係を俯瞰して示してくれていて、冒頭で挙げた質問に対しては
Q. 「どちらかというと強度は軽めでトレーニング量が多いタイプだけれど、それでいいの?」
A. 「目標とするタイムに向けてはやや強度が軽すぎるかもしれませんね。強度についても調整してみましょう」
Q. 「最近高強度インターバルに取り組んでいるけれど、目標タイムを達成できるかな?」
A. 「今の計画で十分疲労耐性(エンデュランス)に関わる能力の向上が見込めます。しかし日々のトレーニング量との関係を見ると、目標タイムの達成にはもう少し強度を抑えながら量を確保する方が得策かもしれません。量と強度についてバランスを検討してみましょう」
といった現状把握と改善策を提示できるような情報がこの論文から得られます。
是非皆さまもご自身のトレーニング、一度俯瞰してみてくださいね。
今回の記事を読んでいただくことで、皆さんの中でトレーニングの量と強度の関係について新たな発見や気づきがあれば幸いです。
今回も最後までお読みくださりありがとうございました。
スキ、フォローをいただけると大変励みになります。
また読みに来てくださいね。
ご紹介した論文
Emig, T., & Peltonen, J. (2020). Human running performance from real-world big data. Nature Communications, 11(1). https://doi.org/10.1038/s41467-020-18737-6
Mulligan, M., Adam, G., & Emig, T. (2018). A minimal power model for human running performance. PLoS ONE, 13(11). https://doi.org/10.1371/journal.pone.0206645
合わせて読んでもらいたい記事
