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ミトコンドリアのダイナミズム -エピソード5-

ミトコンドリアはエネルギー(ATP)を生み出す細胞小器官であることから、持久系競技のパフォーマンスに重要であることは論を待たないだろう。

有酸素能力に優れているアスリートの筋線維内にあるミトコンドリアは、数が多く、そして内膜が充実していることを以前の記事でご紹介した。

しかし、である。

持久系競技と言っても、1分前後の全力走から2時間を超えるものなど、そのバリエーションは様々だ。

だとすると、ミトコンドリアの「サイズが大きく、内膜が充実している」というアスリートの一般的な傾向の中にも、様々なバリエーションがある気がしてならない。

ある競技に特化した選手のミトコンドリアは、他の競技の選手よりも内膜が充実しているのかもしれないし、サイズが大きいのかもしれない。

何かが異なって然るべきだし、その「何か」を是非とも理解したい。

今回の記事ではこの「何か」に輪郭を与えてくれるいくつかの知見を組み合わせ、ミトコンドリアのダイナミズムについての、私なりの理解をご紹介していこう。


1. ミトコンドリアの大集団

ミトコンドリアはATP生成所であり、筋線維内には数万という途方もない数のミトコンドリアが存在していて、それは筋線維の10分の1の容量を占めるほどである。

イメージはキャリーバッグ(筋線維)の10分の1の容量を、BB弾(ミトコンドリア)が占めているところを想像してもらいたい。教科書などで見る細胞図のミトコンドリアの分布よりも桁違いに多いのだ。

図ではミトコンドリアを”粒”で表現しているが、融合していることも多い。

より詳しくは、エピソード1を参照いただこう。

今回の記事でまず注目してもらいたいことは、このミトコンドリアの大集団が絶えず融合と分裂を繰り返し、その品質の維持がなされていることだ。



2. メンテナンスサイクル

ミトコンドリアはATPを生み出すために、凄まじい電力を利用している。ミトコンドリアを我々人のスケールに拡大した場合、雷ほどの電圧を体に与え、ATPを生成しているイメージになる。(参考1)

我々はコンセント(100ボルト)に感電するだけでも大けがである。雷(1億ボルト)などはもってのほかだ。一方でミトコンドリアはATPを生成するために、日夜稲妻を受け続けてくれている(ミトコンドリア自身が稲妻を作り続けていると言ってもいいかもしれない)。

この辺りの詳しい内容は、エピソード2を参照いただこう。

細胞内に大量にあるミトコンドリアのそれぞれがこのような離れ業を続けていれば、当然ながらミトコンドリア自身がダメージを負うことは必然であろう。同じミトコンドリアを使い続ける訳にはいかない。

その対応策として、細胞はミトコンドリアの品質を維持すべく、常にミトコンドリアの融合、分裂サイクルを回して、ダメージを除去しながら全体の量が不足しないようにコントロールされている。(下図)

参考2

このメンテナンスサイクルは、各ミトコンドリアで1時間に1周ほどのサイクルで稼働している。(参考3)

よって半日も経てば見分けはつかないものの、ほとんどのミトコンドリアが姿形を変えていることだろう。

トレーニングではこのメンテナンスサイクルの融合と分裂フェーズを調節することで、適したミトコンドリア集団を形成していく。このことが今回の記事のメインテーマだ。

トレーニングの適応を説明する前に、まずは導入として少食と過食でのミトコンドリアの変化を見ていこう。



3. 少食と過食とミトコンドリア

ミトコンドリアの研究はスポーツパフォーマンスに関連するものよりも、肥満や糖尿病に関連する研究の方が圧倒的に進んでおり、その分野の知識を得ておくことが有益だ。

「少食」は生きていくために必要なエネルギー源(糖質、脂質など)が最低限or少し足りない状況をイメージしてもらおう。ミトコンドリアは運ばれてきたエネルギー源を一粒たりとも無駄にせず、ATPに変換していく必要がある。

そのような状況ではミトコンドリアの「融合」フェーズが活発になり、ミトコンドリアのサイズが大きくなることが知られている。(参考4)

色の濃い丸いものがミトコンドリア、薄いものは筋原線維。参考4

ATPの需要に対して、その分のATPを作るために必要なエネルギー源の量がぎりぎりな状況では、ミトコンドリアが大きくなる。ミトコンドリアはサイズが大きくなるほど、エネルギー源を無駄にしない、ATPの合成効率がよいミトコンドリアとなるのだ。

通常100個のエネルギー源から80個のATPが作れるとすれば、ミトコンドリアのサイズ大きくなれば90個のATPが作れるイメージだ。熱として損失する割合が少なくなる。

一方食べ過ぎな「過食」状態では、必要以上にエネルギー源が残ってしまっている。そのような状況では、ミトコンドリア内の電子の流れが滞留するため活性酸素が発生しやすい状況だ。

詳しくはエピソード4をご覧いただきたい。

活性酸素はミトコンドリア自身にもダメージを与えてしまうため、残念ながら一定数は分解対象となる。ミトコンドリアのダメージ人口が増加するほどに、「分裂」フェーズが活性化し、回復不能なミトコンドリアの分解が実行される。

このように、少食と過食の状況ではメンテナンスサイクルで活性化されるフェーズが異なり、ミトコンドリアの集団としての特徴が変化していく(下図)。

まとめると、ミトコンドリアはメンテナンスサイクルを繰り返す中で、必要な機能(たとえば、ATP合成効率)に有利になるよう形態を変えたり、ダメージを排除し新たなミトコンドリアが供給されたりすることで、全体のバランスが支えられているダイナミックな集団だ。

このことがミトコンドリアのトレーニング適応について考える際、有益な知識となってくれる。これまでのポイントを整理しておこう。

  • ATPの需要に対して供給がひっ迫すると、ミトコンドリアのサイズを大きくするために「融合」フェーズが活性化する

  • 活性酸素によるダメージが大きくなると、「分裂」フェーズが活性化する

  • ミトコンドリアは、メンテナンスサイクルに下支えされたダイナミックな集団である



4. 低~中強度のトレーニング適応

さて、ミトコンドリアのメンテナンスサイクルについての理解を進めてもらったところで、いよいよ本題のトレーニング適応の話題に入っていこう。

まずは低~中強度のトレーニングについて。おおよそ60-90%FTPほどの強度だとお考えいただきたい。(※FTPは一時間維持できる最大パワー)

このような強度でトレーニングを積むことで、ミトコンドリアの数は増え、サイズが大きくなる傾向がある。

下の図は、一般の人とアスリートのミトコンドリアを比べてみたもので、数と大きさが全く異なることが伺える。

参考5

なぜミトコンドリアは大きくなるのだろう?その理由は、先ほど登場した「少食」と似ている部分があり、ATPの需要に対して供給がひっ迫している状況にさらされるからと考えられる。

もう少し説明を続けよう。少食の場合は、通常の生活に必要なATP需要がまかなえない状況であった。一方低~中強度のトレーニング時は、言わば自ら必要なATP量を増やし(需要を増やし)、供給を間に合わなくさせる行為といえる。

そのような状況が続けば、ミトコンドリアは貴重なエネルギー源から最大効率でATPを合成するために、メンテナンスサイクルを通じてサイズアップの選択圧がかかる。

加えてトレーニングでは少食な状況とは異なり、ミトコンドリアの人口増加も促される。これは細胞核が「ミトコンドリアを増産せよ」との指令を受け取った結果だ。(下図)

低~中強度帯のトレーニングで起こりやすいミトコンドリアの適応過程をメンテナンスサイクルにまとめておこう。

  • 低~中強度のトレーニングでは長時間にわたって必要なATP量が増え、供給が不足する状況が生まれる

  • その場合、ミトコンドリアは限りあるエネルギー源から最大効率でATPを生み出せるよう、サイズを大きくするような選択圧を受ける(融合フェーズが活性化する)

  • 合わせて、細胞核によりミトコンドリアの増産が並行して行われる

  • 結果、ミトコンドリアの数が増え、サイズが大きくなる



5. 高強度のトレーニング適応

続いては高強度のトレーニング、およそ90%FTP強度以上のトレーニングと捉えてもらおう。SSTやVO2max系インターバル、スプリントインターバルなどの超高強度帯も含まれる。

これらのトレーニング時に求められるミトコンドリアの能力は、先ほど説明したような、限りあるエネルギー源からATPをどれだけ多く作り出せるかという合成効率ではなく、短時間でどれだけATPを作り出せるかという絶対量が問題になってくる。

乱暴な言い方をすれば、多少無駄(熱損失)が多くなっても、単位時間あたりに合成できるATPの絶対量が多ければ良いということになる。

それを可能にするのが、ミトコンドリア内膜の充実である。

下の図は一般的な体力の人とアスリートのミトコンドリアを比べたものであり、内側のヒダが密集していることが見て取れる。

参考7

アスリートのように内膜が充実していると、単位時間あたりに合成できるATPの量が格段に増える。その理由はエピソード2で詳しく説明しているので、そちらを参照いただきたい。

VO2maxなどの高強度のトレーニング環境にさらされたミトコンドリアは、短時間に大量のATPを合成することが求められる。そのような環境では、細胞核に「ミトコンドリア内膜をもっと増やせ」という指令が伝わり、関連するタンパク質が増産される。

これが高強度トレーニングの素晴らしい一面だ。しかし一方で、高強度トレーニングは相対的に活性酸素が生まれやすい環境になっている。これは酸素需要が高まっていることの他にも、細胞内のpHの低下など様々な要因が関与しているようだ。(参考8)

この状況は前述した「過食」の状況と似ており、ダメージを受けたミトコンドリアを分解する必要性が高まっているため、分裂フェーズが活性化されている。(参考9)

分裂フェーズが活性化しているということは、ミトコンドリアの集団は低~中強度の適応時に比べると、幾分サイズの小さな集団が形成されているはずだ。

よって高強度トレーニングによる適応は、サイズはそこまで大きくはないものの、内膜が充実したミトコンドリア集団が形成されるような選択圧がかかると考えられる。(下図)

  • 高強度トレーニング環境では、短時間に大量のATPを合成する機能が求められる

  • そのため、ミトコンドリア内膜の充実が促される

  • 一方で、活性酸素によってダメージを受けたミトコンドリアを分解する必要性が高まり、「分裂」フェーズが活性化する

  • 結果、内膜は充実する一方で、サイズはそこまで大きくならないのかもしれない



6. 脚質によるミトコンドリアの違い

ここまでの内容を一度整理してみよう。

ミトコンドリアはメンテナンスサイクルを通じて、必要な機能を持った集団に徐々に変化していくことを見てきた。

パフォーマンス向上にとって注目すべき機能は二つ。

  • ATPの合成効率を高める機能。言い換えれば、限りあるエネルギー源から最大限のATPを合成する機能。(無駄を出さない)

  • 短時間に大量のATPを合成する機能。言い換えれば、潤沢なエネルギー源から、限られた時間内に大量のATPを合成する機能。

これらの機能はそれぞれ、サイズアップと内膜の充実という異なった変化によって獲得できる。(下図)

この両者の適応を同時に達成できれば、素晴らしい機能を備えたミトコンドリア集団となるだろう。しかし、適応中のメンテナンスサイクルのフェーズ活性化には相違があり、両者の最大レベルの適応を同時に獲得することは難しい。(下図)

ある程度のレベルまでは、両者の適応を同時に高めることは可能だろう。しかし、高い水準の適応を目指す場合には両者をどこかでバランスさせる必要があり、それが人それぞれのパフォーマンス特性(脚質)の違いに表れるのではないだろうか。

パンチャーのように10分以内のパフォーマンスに秀でている人と、一時間タイムトライアルを得意とする人のミトコンドリア組成にイメージを与えるとすれば、以下のような違いだ。

もちろんこれはかなり単純化したイメージである。トップアスリートのミトコンドリアはサイズが大きく、内膜も充実している。つまり一般水準に比べれば、アスリートはどちらの適応も高度に得られている。この図は、その高度に適応したミトコンドリア集団に見られる差異を誇張して表現したものだ。

これらの考察を元に、続くトピックについても考えを深めていこう。



7. どうして低~中強度は有効なのか?

恥を忍んで申し上げると、私は学生時代、低~中強度のトレーニングに対してまるで理解がなかった。(中学:陸上、高校:サッカー、大学:アメリカンフットボール)

LSD(ロングスローディスタンス)になぜ取り組むのか?時間の無駄ではないのか?という思いが拭えず、そういったトレーニングを指示されたときはがっかりしたものだ。勝手に強度を上げて、早めに切り上げていたこともある。

しかし、それは勝手な思い込みであったなと今になって思う。

今回見てきたように、低強度であれその負荷を体に与え続けることは、ミトコンドリア目線に立てば、ATP合成の効率を常に引き上げなければならない環境にさらされることになる。

長時間そのような環境に体をさらせば、幾重のメンテナンスサイクルを経て徐々にミトコンドリアが大きく、多くなっていくはずだ。

もちろん低強度のみのトレーニングでは、その適応の天井(上限)は低く、種々のトレーニングバリエーションが必要であることは間違いない。

しかし強度が低くとも、時間を重ねることで得られるものがある。

このことを理解しておいて損はないだろう。学生の皆さん、是非私のような間違いをしないようにしていただきたい。



8. プレシーズンを低~中強度から始める理由

多くのスポーツでは、シーズン前の時期は低~中強度のトレーニングにじっくりと取り組む計画を立てることが多いことと思う。

トレーニングの指南書も、高強度が先ではなく、低~中強度を先に実施することがほとんどだ。

その理由をミトコンドリアの適応から考えてみよう。

シーズンまでに達成したいことは、これまでに見てきた二つの機能を高い水準に持っていくことだ(そのバランスに差はあれど)。

そう考えた場合、まず必要なのはミトコンドリアの総数を増やすことだろう。内膜を充実させるにも、そもそものミトコンドリアの数が少なければ、その効果はやはり目減りしてしまうに違いない。

そこでプレシーズンに低~中強度帯に時間をかけてミトコンドリア人口を増やし、その後高強度を頻繁に取り入れることによって、各ミトコンドリア内膜の充実を図る、という順番が成功しやすい戦略なのだろうと考えられる。

ポラライズドトレーニングなどが高強度帯のトレーニングだけではなく、低強度帯に時間をかけることも、同様の理由があると感じる。



9. オーバートレーニング

トレーニングが過剰になりすぎた場合、ミトコンドリアにも悪影響があることが報告されている。(参考9)

そのような状況では「分裂」フェーズが活性化されており、ダメージを受けたミトコンドリアを分解し、集団としての機能を何とか維持しようとメンテナンスサイクルが回されている。

つまり、トレーニングのやり過ぎはメリットよりもダメージの排除(=ミトコンドリアの分解)というデメリットが上回る状況に陥る可能性がある。

ミトコンドリアのメンテナンスサイクルの性質上、このような状況ではいくらトレーニングを重ねても、メリットを享受することは難しいだろう。

人それぞれにはなるが、メリットを享受するためのトレーニング計画はバランスが大切である。



おわりに

今回の記事では、メンテナンスサイクルを経て形成されるミトコンドリアの集団形態から、トレーニングの効果や脚質の違いなどについて考察を行ってみた。

もちろん形態だけで全てが説明できるわけではなく、分子メカニズムなどあらゆることが関わっていることは言うまでもない。

しかしあれこれと異なった知識を持ち出して、トピック毎に異なる視点から理由を説明するよりも、一つの視点から様々なトピックに理由を与えられる知識に、私は魅力を感じる。

今回の考察が全て正しいということはあり得ない。ただ、こういう見方があることを知ってもらうことで、皆さんの疑問が一つでも解決したならば、私としては嬉しい限りである。

ミトコンドリアを知ることは、持久系パフォーマンスや健康について理解を深める手助けとなってくれる。今後も色々なトピックをご紹介していきたい。

皆さんのスポーツライフがますます豊かなものになることを願い、このエピソード5を書き終えることにします。

今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。


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ミトコンドリアエピソード


参考文献

  1. ミトコンドリアが進化を決めた. ニック・レーン. みすず書房. 2007

  2. Liesa, M.(2013). Mitochondrial dynamics in the regulation of nutrient utilization and energy expenditure. Cell Metabolism, 17(4), 491–506.

  3. Picard, M. (2018). Psychological Stress and Mitochondria: A Conceptual Framework. Psychosomatic Medicine, 80(2), 126–140.

  4. Bonnard, C. (2008). Mitochondrial dysfunction results from oxidative stress in the skeletal muscle of diet-induced insulin-resistant mice. Journal of Clinical Investigation, 118(2), 789–800.

  5. Larsen, S. (2012). Biomarkers of mitochondrial content in skeletal muscle of healthy young human subjects. Journal of Physiology, 590(14), 3349–3360.

  6. Picard, M. (2018). An energetic view of stress: Focus on mitochondria. Frontiers in Neuroendocrinology, 49, 72–85.

  7. Nielsen, J. (2017). Plasticity in mitochondrial cristae density allows metabolic capacity modulation in human skeletal muscle. Journal of Physiology, 595(9), 2839–2847.

  8. Layec, G. (2018). Acute high-intensity exercise impairs skeletal muscle respiratory capacity. Medicine and Science in Sports and Exercise, 50(12), 2409–2417.

  9. Flockhart, M. (2021). Excessive exercise training causes mitochondrial functional impairment and decreases glucose tolerance in healthy volunteers. Cell Metabolism, 33(5), 957-970.

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