#30 乳酸閾値とMLSS
乳酸閾値(LT)とMLSS
パワートレーニングを行っていると目にする用語に「MLSS」というものがあります。Maximal Lactate Steady State、訳すとしたら最大乳酸定常状態といったものになります。
乳酸閾値とMLSSは同じような意味で扱われる用語ですが、この2つの用語はやや異なっているところもありますので、始めにこの点についてご説明していきますね。
乳酸閾値以上の強度になると血中乳酸濃度は時間と共に上昇していき、早い段階で限界に達するので発揮パワーが下がるか、脚が止まります。
しかし乳酸閾値以下であれば血中乳酸濃度は一定の状態(定常状態)を保つことができて、1時間やそれ以上といった長い時間でもその強度を保つことができるとされています。
血中乳酸値が上がり続けるか、一定状態で留まれるかの分岐点。そういう意味で「閾値」という言葉が使われています。これが乳酸閾値。持久的な競技にとって大事な概念です。
この乳酸閾値を一律に「血中乳酸値が4mmol/Lの時点」として解釈することが多いのですが、乳酸閾値が4mmol/Lの血中乳酸値であると誰彼構わず決め打ちすることの弊害が多くみられるようになります。
なぜかというと、乳酸閾値(血中乳酸値の分岐点)は人によって2-8mmol/Lと様々な値をとることが分かってきたからです。
たとえばある人の分岐点となる乳酸値が3mmol/Lだとします。つまりこの人にとっては、乳酸値が3mmol/L以上になる強度ではどんどん血中乳酸値が高まっていって、疲労が格段に強くなっていきます。
ですので「4mmol/L」という基準でパワーゾーンの設定を行った場合、本来なら乳酸値が上昇しないパワー領域でトレーニングをしようとしているはずが、実際には乳酸値の上昇が見られる強度で行っていたといったずれが生じます。
逆に分岐点が5mmol/Lの人にとっては、「4mmol/L」でパワーゾーンを区切ることで想定している強度よりも低くなることが考えられますね。
そこで乳酸閾値という用語とは別に、血中乳酸値の分岐点には個人差があるということを強調するためにMLSS(Maximal Lactate Steady State)という言葉が使われます。
ただ、中には乳酸閾値という言葉を4mmol/Lの決め打ちではなく、MLSSと同じ意味で使っている文献もあって、この混乱が乳酸閾値という言葉をややこしくしています。
ということで用語の混乱を防ぐために、ここから以下のように言葉を使うことにします。
「LT4」
血中乳酸値が4mmol/Lになった時点を決め打ちし、この時点が血中乳酸値を一定に保てるか上昇してしまうかの分岐点と設定し、定められたパワー値
「MLSS」
個人差を反映した血中乳酸値の分岐点となる閾値、またそのパワー値
「乳酸閾値」
血中乳酸値を一定に保てる強度と上昇し続けていく強度には分岐点があるという概念全体
今回の論文ではLT4、MLSSの強度で30分間漕いだときの血中乳酸値を実際に追跡しています。
パワーゾーンを設定する際には細心の注意が必要だなと感じる結果になっていますので、是非読み進めてみてくださいね。
LT4とMLSSで比較検証
20-30代の日頃からトレーニングを行っている男性16名が検証に参加しています。VO2maxは50-70mL/kg/minほど。
まず参加者はMLSSの血中乳酸値と、LT4とMLSSのときのパワーが測定されました。
MLSSの血中乳酸値は16名の平均が3.5mmol/Lで、平均値とされる4mmol/Lよりも低い参加者が多くいました。
このような参加者たちにとって、LT4、MLSS(の85%、95%、100%、105%)それぞれのパワー値で30分間漕いだとき、血中乳酸値がどのように推移していくのかが追跡調査されました。
この調査において30分間のサイクリング中に血中乳酸値が上昇を続けている場合、その指標は良いものとは言えません。なぜなら血中乳酸値が一定の状態を保てるパワー値を定めることこそが指標を利用する目的だからです。
そのような視点に立って、結果をみていきましょう。
30分漕いだときの血中乳酸値の推移
血中乳酸値を30分間追跡した結果、MLSSのパワーでは血中乳酸値が一定に保たれたまま推移しているのに対して、LT4のパワーでは徐々に血中乳酸値が上昇していることが読み取れます。
下図はその結果です。100%MLSS以下のパワーでも血中乳酸値が一定に保たれていますね。
LT4と100%MLSS時のパワーの差は平均5%ほどだったようです。LT4が200ワットであれば、100%MLSSは190w。
つまりたった10ワット前後の違いで血中乳酸値が上昇基調か一定で推移するかの違いが見られました。
また、LT4のパワーでは血中乳酸値が10mmol/Lほどにまで上昇し、30分間漕ぎきれずにリタイアした参加者が2名いました。
今回の結果からは血中乳酸値を上昇させない上限ギリギリのパワー = MLSSを定めるには10ワット以内の微調整が大切になってくるということがうかがえます。
心拍数の推移についてもご紹介しておきますね。心拍数はどの強度帯でも上昇傾向にあったようです。
今設定しているFTPは適切か
今回この論文をご紹介しようと考えたきっかけは、パワーゾーン設定って難しいなと感じることが出発点でした。
FTP生みの親、コーガン氏が書かれた「パワー・トレーニング・バイブル」にはFTPの定義が以下のようにあります。
「疲労しないで」ということを血中乳酸値が上昇しないといった意味に捉えると、まさに今回のMLSS時のパワーになります。
しかし、「疲労しないで」を「脚を止めない」という意味で捉えると、MLSS以上のパワー発揮で血中乳酸値が上昇しながら全力を出し切るパワーになるかもしれません。
私としては、FTP = MLSSという意味にとることがいいのかなと考えているのですが、以前に紹介したFTP20分テストの論文で多くの人が推定したFTPでは1時間走りきれなかった(特に私たちのような一般人)ことも踏まえると、現在設定しているFTPがMLSSを越えてしまっている人も少なくないのではと感じます。
パワーゾーンを設定する目的の一つには、各パワーゾーンによって体へ求める主となる生理学的な要求を分けることにあると思います。
たとえばFTP以下であれば血中乳酸値が一定に保たれるゾーン、それ以上の強度であれば血中乳酸値の上昇が続いて、酸素の取り込みが増えるゾーンといったような形です。
実際に血中乳酸値を測定することは難しいので、FTP20分テストやマックスランプテスト(漸増負荷)を行う訳ですが、ご自身にあったFTP=MLSSの設定がトレーニングの成果を分けることにもなりそうです。
次回は今回紹介したMLSSと、MLSS+10ワットで継続した場合の呼吸やRPEなどの推移の違いを取りあげた論文をご紹介します。FTPテストとはまた違った観点でMLSSを知るための一つの方法として、参考になればと考えています。
今回も最後までお読みくださりありがとうございました!
ご紹介した論文
Urhausen, A., Coen, B., & Weiler, B. (1993). Individual Anaerobic Threshold and Maximum Lactate Steady State. Internationla Journal of Sports Medicine, 14, 134–139.