
海を見るたびに思い出すこと
わたしにとって海は、「思いやりの心」を思い出させてくれる存在です。
なぜなら、こんなエピソード(思い出)があるからです。

わたしが小学校5年生(11歳)の頃の話です。
もともと人見知りで内向的な性格のわたしは、友だち付き合いがうまくできず、半分ひきこもりのような状態になっていました。
学校に行ってもあまりしゃべらず、授業が終わるとまっすぐに家に帰るだけの毎日。近所の友だちと遊ぶ様子もなく毎日暗い顔をしているわたしを見かねたのか、ある日、父が近くの海にわたしを連れ出してくれました。

季節は秋頃だったと記憶しています。
平日の夕方でした。
当時は1990年代です。
40代で働き盛りの父は毎晩遅くまで残業するのが当たり前でした。いつもならわたしが寝た後に帰ってくることがほとんどなのに、その日だけは夕方(4時頃だったと思います)に家に帰ってきてくれたのです。
そしてわたし1人を車に乗せて、近くの海に連れて行ってくれたのです。わたしは当時、石川県にある実家に住んでいました。海に囲まれた県ということもあり、わたしの住んでいた実家から車で15分ほど走れば近くの海に行けたのです。
その日、秋頃(たぶん)の平日の夕方の、だれもいない海のそばに車を止めた父とわたしは、平らなコンクリートの地面に横並びで体育座りして、ただただ海を眺めて時間を過ごしました。

その時間は、いったいどのくらいの長さだったのか。
いまとなっては全く記憶に残っていません。
でも、その時間にどう過ごしたのかは、とても鮮明に覚えています。
それは、わたしたちは特段何を話すでもなく、ただ同じ方向(海のある方向)を見て静かに過ごしたのです。父から学校での悩みを聞かれたり心の状態を問われることは一切ありませんでした。父と息子が、ただただ一緒にいるというだけという状況でした。
これがもし静かな密室の空間だったら、息苦しくて耐えられなかったかもしれません。だけどその日は晴れた平日の夕方で、目の前には大きな海がありました。どれもすべてが異なる波のかたち、風になびくたび表情をかえる水面(海面)、時折おおきな音を響かせる波打ち音。静かなようでいて実は絶えず変化し続ける海の風景とBGMのおかげで、わたしと父との2人の時間はとても心地よいものだったのを記憶しています。

当時のわたしは、この父の行動がどんな意味や意図をもつのかを十分には理解していませんでした。
でも、これだけはきりと分かってました。それは、
父さんは、
ボクのことを
心配してくれている。
ということです。
何も言葉にしなくても、父がわたしのことを心配し、「何かをしてあげたい」と思ってくれているという意思だけは明確に伝わってきました。それは、父のわたしに対する「思いやりの心」の存在を、しっかりとした手触り感とともに感じとった瞬間でした。

それから30年近くが経ちました。
わたし自身、2人の子どもをもつ父親になりました。
いまになって、当時の父の気持ちが少しわかってきたような気がしています。

子どもが悩んでいるときに、
どんな接し方をしてあげるべきか。
これはおおくの(というより、おそらくすべての)親が思い悩む問題でしょう。そしてこんなとき、何か声をかけてあげたいと思うのは自然なことだと思います。だけどそれを「あえてしない」で「待つ」ということが大事なケースがあるのもまた事実です。
「もっとこうしなさい」や「こうしたらいいよ」というアドバイスが効力を発揮するのはタイミング次第。親の勝手な都合とタイミングで押し付けられたアドバイスは、ときに子どもを苦しめる可能性だってあるので注意が必要です。だから、ときに「あえてしない」という判断をして、子どもが自分で問題と向き合い行動を起こすのを「待つ」勇気も必要なのです。

子育てをしていると、そんな子どもとの向き合い方の大切さが理解できるようになってきました。
きっと当時の父は、わたしに対してそんなことを思いながら懸命に向き合ってくれていたのだと思います。
こんなエピソード(思い出)があるので、わたしはどこのどんな海(湘南でも、沖縄でも、ハワイでも)を見ても、まず頭に思い浮かぶのは父の顔とやさしさです。そして、そのやさしさの奥にある、親から子どもに向けられた「思いやりの心」を思い出すのです。

あの頃まだ若くて元気だった父も、ことしの夏には75歳になります。
いまわたしは東京に住んでおり、石川県に住む父とはなかなか会えていません。数か月に1回、テレビ電話をするくらいです(目的はわたしではなく、わたしの子どもたち=父にとっての孫たちですが…)。
ことしも、もうしばらくで8月。
ことしのお盆休みには、久々に実家に帰省する予定でいます。実家の父に息子(わたし)と孫たちの顔を見せて、元気になってもらいたいと思っています。
そして、こんどはわたしが「思いやりの心」をもってやさしく見守ってあげたいと思っています。
かつて父が、わたしにしてくれたように。

以上です。