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きょうそう3.0

今回は、「きょうそう」という言葉について考えてみます。

わたしは、時代の変化にあわせて求められる「きょうそう」というものが変わってきていると感じています。

具体的には以下3つです。

  1. 「競争」(戦後~2000年まで)

  2. 「共創」(2000年~最近まで)

  3. 「協奏」(これから)


時代とともに経済水準や生活スタイルが変化し、その時代に生きるわたしたちに必要とされる「きょうそう」のかたちが変化しているのです。

今回わたしは、この「きょうそう」をそれぞれ以下のように名づけて、それらの特徴と違いを解説していきます。

  • 競争 = きょうそう1.0

  • 共創 = きょうそう2.0

  • 協奏 = きょうそう3.0


記事前半では、それぞれの「きょうそう」のあり方を整理します。
そして記事後半では、これからの時代にわれわれに求められる「きょうそう」の姿を、ビジネス、キャリア形成、家庭生活それぞれのシーンを想定しながらあきらかにしていきます。

これからの時代に必要な「協奏」(きょうそう)という考え方をくわしく理解しておきたい方は、ぜひさいごまでお読みくださいね!

「競争」の時代

1つ目の「きょうそう」は、「競争」です。

戦後から(もしかすると、それ以前から?)ずっと続いてきたことで、いま中高年以上の年齢になっているおおくの日本人に根強く浸透している価値観でしょう。わたしはこの「競争」重視の考え方を「きょうそう1.0」と呼びます。

「競争」を辞書で引くと、以下のとおりです。

勝ち負け・優劣を人とせりあうこと。

これはビジネスやスポーツの領域を想像するとイメージがわきわすいでしょう。ビジネスの現場では、競合企業と市場シェアや製品・サービスの優劣を競う「競争」や、社内で同僚と出世スピードをあらそう「競争」があります。またスポーツの世界は、タイムや点数で勝ち負けと順位が決定づけられる完全な「競争」によって成り立つ世界です。

この「競争」の価値観は2000年頃までは家庭生活でも浸透し、わたしたちの生活スタイルに強い影響を与えていたと言えるでしょう。たとえば「夫が仕事、妻が家事・育児」といった家庭内での役割分担です。これは夫が仕事をしている間、妻は家事と育児を全力で頑張ることで、その「頑張り」や「家庭への貢献度」を夫と競っている側面があったと考えられます。また同じ境遇にある妻たち(近所のママ友や親戚、同級生)同士で「自分がどれだけ家事や育児を上手に、賢く、献身的にやっているか」を競ってマウンティングしあう「競争」のシーンも少なくありませんでした。

「競争」が重んじられた「きょうそう1.0」の時代とは、つねにだれかと向き合い対峙することを求められ、場合によっては「けんか腰」で戦い続けることを求められる時代だっと言えます。

喧嘩してでも自分の欲しいものや状態を手に入れようとする、「自分本位」で「自分最優先」の生き方が大切にされる時代だったとも言えるでしょう。

「共創」の時代

2つ目の「きょうそう」は、「共創」です。

直近20年ほどの間に重視されるようになった考え方で、わたしはこれを「きょうそう2.0」と位置づけます。

「共創」を辞書で引くと、以下のとおりです。

異なる立場や業種の人・団体が協力して、新たな商品・サービスや価値観などをつくり出すこと。コクリエーション。

この「共創」は、ビジネスの世界では2000年頃から耳にするようになったように思います。個別企業だけでなく異業種の他社や大学などと連携・協業してあたらしい価値を生み出そうとする「オープンイノベーション」のとりくみや、社内で複数部門をまたいだ横断プロジェクトを通じてコミュニケーションの活性化やアイデア創発をうながす取り組みが増えてきたのがこの時代です。人と人とが「共」に知識や知恵を出し合って、協力してよいものを「創」ろうとする発想です。

ビジネス以外にひろく世の中をみても、同様のとりくみは増えていたように感じます。インターネット技術の浸透によって個人同士、または個人と企業とが結びつきやすくなったこと、そして日本経済の停滞が長引き閉塞感が高まるなかで「何かあたらしいことをやらなければ」という危機感の高まりが、その背景にあったものと思われます。アートやメディア、スポーツやエンタメなど、異業種同士のコラボレーション企画が多発したのがこの時代の特徴でしょう。

そして家庭においても、この考え方は影響をもちました。女性の社会進出がすすむなか、妻だけでなく夫も家事や育児といった家庭内の仕事に参画する時間や機会が増えました。これはつまり、妻と夫が共同して家庭生活を創りあげようとすることであり、「共創」の取り組みのひとつだと言えるでしょう。

「共創」という考えが生まれ浸透した「きょうそう2.0」の時代とは、だれかと正面から「向き合う」のではなく、「同じ方向を見る」ことを求められた時代でした。同じ目的に向かって他人と力をあわせるよう、目線の変更を求められたとも言えます。

他人との協力や共同を求めらる以上は、他人にあわせるシチュエーションにもでくわします。そのため、個人の欲望を我慢してでも集団の目的を優先する、「自己犠牲」や「献身」が求められる時代でもあったと言えます。

「協奏」の時代

さいごの3つ目の「きょうそう」は、「協奏」です。

わたしはこれを、これから必要とされる新時代の価値観と位置づけて、「きょうそう3.0」と捉えます。

「協奏」を辞書で引くと、以下のとおりです。

複数の構成要素が連携し合うこと。
特に、菅弦楽器をはじめとする複数の楽器で一つの曲を演奏すること。

この言葉を英語にすると「concerto」(コンチェルト)です。これは音楽で「協奏曲」を意味する「concert」(コンサート)と同源のことばです。

音楽のコンサートでは、弦楽器から管楽器、打楽器に鍵盤楽器までさまざまな楽器の演奏者がそれぞれに自分の役割を果たします。全体を統括する指揮者も同様に、自分に与えられた役目を全力で果たします。その結果として全体としてのパフォーマンスが高まり、最高の演奏ができるからです。

参加者ひとりひとりが「協」力してハーモニーを「奏」でること、つまり「協奏」することが求められるということです。

これと同じ考え方が、これからの時代にわたしたちに求められます。

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