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ふと誰かを思い出す時ってあるよね
あのひとは元気にしているだろうか。
そういえばあのひとも静岡出身だったな。
一人で電車に揺られながらそんなことを考える時がある。
誰かをふと思い出す時はその誰かと(潜在意識で)繋がっていることを思い出す時だと思う。
人との出会いがあって今の私がいる。
だから出会いの全てにありがとうなのだと。
離れていても(分離していても)ほんとはみんな繋がってるよってこと。
私に本当の愛に気付かせてくれたひと。
夢のような2年間だった。
自然が好きで玄米と味噌汁と漬物があれば幸せな私だけど、都心の高級料理店での食事、高級外車での送り迎え、住む世界が違う彼と一緒にいる時間はいつもとても不思議な感覚だった。
彼には家庭があった。
夫婦仲はとっくに破綻していたようだったけど。
毎日のように彼から送られてくるメッセージが嬉しくてたまらなかった。
なかなか電話はできなかったしメッセージのやりとりも1日1通ぐらいだったから文通のような感覚で、私の長ーい文章に彼もいつも丁寧な文章で返信をしてくれることがとにかく嬉しかった。
いつもドキドキしながらメッセージを送ったし、返信があるとドキドキしながら開封した。
バリバリ働いてバリバリ稼いでいた彼は一見とても強そうに見えるけど、実は強く見せるためにたくさんの鎧を身につけてた。
私には何でも話せるし私といるとホッとできるとよく言っていた。
私と過ごす時間はその鎧を脱ぐことができていたんだと思う。
彼とたくさん色々な話をした。
私たちを外から見たら何やってんだかって思う人もいるだろうし、最低だと言う人もいるだろう。
私は彼と出会ったことで自分の醜い部分とか弱い部分とか見たくない自分、目を背けたくなるような自分を見ることになった。
それがとてつもなく苦しかった。
劣等感や嫉妬に苛まれて、自分の中にそんな自分がいたのかと驚いた。
見たくない自分と向き合うことって苦しい。
一人で散々泣いたし、もがくほど苦しかった。
でも自分と向き合うことで見えてくるものがあった。見える世界が変わっていった。
彼の存在があったから踏み出せたことがある。
「あきちゃんのその言葉、発信してみたらいいと思うな」
という彼の言葉がきっかけで始めたSNSもそのひとつ。
始める前はこわい世界だと思ってた。誹謗中傷とかアンチとか・・・。
でもいざ始めてみたらとても、とっても優しい世界だった。
SNSきっかけでたくさんの出会いがあった。
リアルで会った人たちもたくさんいる。
とても素敵な人たちばかりだった。
繋がってくれたみんなのおかげで私の世界がぐんと大きく広がった。
ある日、ものすごくしんどそうな彼の姿があった。
小さい頃から得意じゃない(って言ってた)勉強を人一倍頑張ってきて、会社に入ったあともどんなにしんどくても頑張って頑張って登り詰めたその場所。
私には計り知ることはできないのだろうけど、その場所を手放すことは相当の勇気と覚悟がいるのだろうなと思った。
積み上げたものが大きければ大きいほど失うことがこわくなるのだろうなと。
そんな彼を見て私は思った。
彼が全部を捨てて何もかも失ったとしても私は彼を愛するだろうって。
今まで他の誰かに対してこんなことを思ったことはなかった。
もちろん子供達に対しては何があっても愛しているし何があっても味方だと心から思える。
子供以外の他の誰かに私はこんなことを思えるんだと、自分でも驚いた。
ちょうどその時期に見つけた本、エーリッヒフロムの「愛するということ」にこんなことが書かれていた。
誰かを愛するというのは単なる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。
一人の人をほんとうに愛するとは、すべての人を愛するということであり、世界を愛し、生命を愛することである。誰かに「あなたを愛している」ということができるなら、「あなたを通して、すべての人を、世界を、私自身を愛している」といえるはずだ。
なんなら私は小さい頃からずっと人間が嫌いだった。
自分も人間だから、もちろん自分のことも嫌いだった。
だって人間は自然を破壊して動物たちを傷つける存在だと思っていたから。自分が生きていることにずっと罪悪感があった。
そんな私がいつからか自分のことも愛せるようになって、人を愛するということがどんなことなのかもわかってきたような気がした。
それは間違いなく人との出会いのおかげだから。今は人が大好きだ。
そして生きとし生けるものみんながしあわせになったらいいなと心から思っている。
後に彼とはお別れしてしまったけど、彼のおかげでたくさんの気づきがあり、
彼からもらったものがたくさんあるなと。(物じゃなくて)
彼にまた会いたいとかって思うことはない。
ただ彼にありがとうを。
どうか彼がしあわせでありますようにと願っている。
この記事を出すかどうか正直ちょっと迷いました。
まとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。