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こどものひとり暮らしまであと1日
さて、あしたはとうとう出発の日。
ここまで3日でいろんな物は手配したがあとからあとからいろいろ思いついて発注をかけていく。しかしこれがもはや明日着では届かない。とりあえずうちにいるだろう時間帯を決めて手配する。
はっ!ゴミ箱ないね?ハンガーって?シャツもスーツもかけて普段着もかけたらたくさんいるね?炊飯器買ったけど米買うとこ近所にある?わかんないから買っとくか。はっ!コメ買って、コメ入れる物は?はっ!傘立ては?そんなの玄関に置くとこある?じゃ掛けとくものにする?…といった具合。
一通り思いつく物は用意し、あとはあきらめ、午後からは、長距離の運転をしてみようと言う前々からのトライ事項を行うことにした。27キロくらいあるところまでいってロータリーをまわって帰ってくるか。総距離54キロくらい。長く走るとそれだけ慣れるものだと思うし。
結果をいうと、結構うまくなっていた。2車線の国道も走行車線でもそれなりのスピードに乗って走れるし、歩道のない道でも人の発見も早い。目的地についてロータリーにはいろうとしたらなんだか左折のレーンにいつの間にか入っていて駅ビルの駐車場に入ったら、ものすごい難易度の高い狭さ。往路復路の行き交いがいちいちゆずりあわねばならない。それなりにあせってはいたが、こなせていた。復路の27キロはだいぶ安心して乗っていられた。まあ、大丈夫だろう。究極は車はどうなっても他人をひかないことと自分も死なないことだ、と伝えて合格とした。さすがに疲れたらしい。
さて、そして夕飯をたべて夜に長女が買ってきたおいしいものを食べようとしてたら、就活が終わったときの報告と同じくらい唐突に息子が言った。
「実は存在していた俺の彼女にあした会うことについてどう思う?」
「え?誰が誰にあうって?」と聞き返してしまった。
彼女に会うから私と長女は引越しを手伝ったらさっさと帰ってね、ということかとも思ってしまった。さらに驚いたが長女の方が「存在も、なんなら名前も確認済みだが」と返答していた。二人はどちらも高校、大学と音楽の部活で過ごしており、インカレであったりそれぞれの高校の同級生がそれぞれの大学で絡んだりしていただろうから長女の耳に入っていることもあっただろう。SNSの情報もあるだろう。私は二人のいろいろをフォローしておらず、みようと思えばみられるが、親にみられているっていやだろうと思うし、私は仕事で自分の会社の広報活動ツールを常に一生懸命やらねばならないため実はみる暇がない。
と言うわけで、なんだか明日から息子がそれほどひとりぼっち感などもないんだ!ということがわかり、たいそう安心したことに気がついた。自分がさびしいなあということはもちろんあるが、一番の憂鬱は息子が寂しいなあと思うことだったんだな、と悟った最後の夜となった。
ナイスなタイミングのカミングアウト。一気に最後の夜の風向きは感傷的な気持ちを見せないようにせねば、というカラ元気なものから、明日なんだかにやけるイベントなんですけど、という緊張のものにしてくれた。
こういうところが息子の良いところだ。もしかしたらこうした風向きになる最後の夜について、そこまで読んでいたかもしれない。
しかし彼女の方は憂鬱なイベントになっていないだろうか。どうか気楽に来て欲しいものです。
さて、大丈夫そうだ。体に気をつけてがんばってほしい。社会人になったらこの母のようなふざけた感じのゆるい管理職ばかりではないし、長女の会社のように「はっ?どういうこと?」「マジで言ってる?」というようなコンサバを通り過ぎて時代錯誤なこともないとは限らない。いやなことや自信がなくなることもあるし、叩き落とされるくらいの失敗もあり、周りに助けられるということがいかにありがたいことかを知ることにもなるでしょう。そして、電車で、さえないなあと思う大人たちが、offの電車内の様子とは全然違って会社でのonはこんな風に生きてたのかと思うまもなく自分もすぐそうなっていく。
その経験全てが自分を支えるものになるし、それを肯定的に捉えられる未来を迎えるために一生懸命目の前のことをまずはがんばってみてほしい。
がんばれっていっちゃあいけないような風潮がある気がするけれど、それはキャリコンをやっているとそういう状況にある人はいることはわかるつもり。でも息子にはやっぱりいわねばならない。「がんばれよ」