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「民族の伝統」”だから”、席を譲る!?

中国にいると、ちょっとした看板に書かれた何でもない言葉でも、ものすごく違和感を覚えることがある。”政治体制の違う異国”にいるのだとわかってはいるものの、普段目にするものは日本ともそんなに違わないので、すっかり馴染んでいるが、あらためて日本とは全く違う発想で書かれたものを見ると、「おー!ここまで考え方が違うんだ」と、驚かされることが多いのだ。

ちなみに、昔noteの記事で紹介した、街でよく見るスローガン。

撮影 AJ

「有党才有国、有国才有家」

(党があるからこそ国があり、国があるからこそ家がある)

・・・もそうだった。

党>国>家>人(左から順に”偉い”)の感覚は、やはり私たちには、なかなか理解できない。

とにもかくにも党が偉いわけで、
「听党指(党の指導に従おう)」というスローガンは至る所にある。

これも私たちの感覚では”思考停止”に見えるが、世界には、神様の教えを絶対だとする人々は存在する。党は神ではなく生身の人間が作っているとは思うが、神のような絶対的な存在と定義づけて、その神は心の拠り所だけではなく、直接政治も行っている?という感覚で考えればよいのだろうか? いずれにせよ、現地で、この言葉に違和感を抱かない方々とこの話をしても、”神学論争”のようになってしまう気がする。


また、「違和感」と言えば、急に思い出したのが、北京の地下鉄の中のアナウンス、そして電光表示板で流れる言葉だ。それは・・・

" 《尊老幼》是中民族的传统美德。把座位让给需要帮助的乘客。“

【意味】
「尊老愛幼(お年寄りを敬い、幼い者を大事にする)」は中華民族の伝統的な美徳です。助けを必要としている方に席を譲りましょう

毎日通勤で耳にして、完全に暗記してしまった。

要は、「必要な方に席を譲りましょう」という日本でもどこでもあるアナウンスだ。でも、「違和感」があったのは・・・

「中華民族の伝統的美徳です」という言葉だ。
なぜ、”民族”を意識して席を譲るのだろう。感覚が、本当に違う!

大変な人に席を譲るのは、人としてそうするだけなのでは? 何民族であろうが、この地下鉄に乗っている、私を含めた外国人も同じような価値観を美徳としているはずだ。

逆の発想をしてみよう。もし、東京のJR山手線の車内で「助けを必要としている人をいたわるのは、我々日本民族の伝統的美徳です。席を譲りましょう」というアナウンスが流れたとしたら・・・

でも、日本でも戦前はそんなスローガンもあったんだろうか、などと思っていたら、実は「尊老愛幼(zūn lǎo ài yòu =ズン・ラオ・アイ・ヨウ)」は、「孟子」の言葉がもとになっていることを、恥ずかしながら、初めて知ったのだった。

その元になったという言葉は・・・

老吾老,以及人之老,幼吾幼,以及人之幼。天下可于掌。
lǎo wú lǎo,yǐ jí rén zhī lǎo;yòu wú yòu, yǐ jí rén zhī yòu.
Tiānxià kě yùn yú zhǎng.

(ネットで見つけた解釈を転載↓ 原文ママ)
自分の親を敬う心を他人の親にまで及ぼし、自分の子供をいつくしむ心を他人の子供にまで及ぼせば、天下は手のひらで転がすがごとく用意に手に入りましょう。

なるほど、この言葉は、こういう古典を背景に使われているのか。

でも、えっ?天下を手に入れる?そのために尊老愛幼!? どういう意味?ここは私は勉強不足で知識がないので、また詳しい方に聞いてみよう。

この言葉については、純粋な党のスローガンではなかったようだが、人民にどういう考えを持ってほしいかという当局の方針は透けて見えてくる気がする。

ところで、翻って、日本の私たちはどうだろう。

日本の伝統、素晴らしさを誇り、語る時、外国の人が違和感を持つものもあるかもしれない。相手を知ろうとすると、自分のことも見えてきたりして、面白い。

ちなみに私は、やはり、民族を意識せずに単純に思いやりで席を譲りたいし、「民度が高い」とか言わずに、純粋に他者を思い、人前ではマスクをつけたい。


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きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました!
AJ 😀



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AJ 「英語×中国語=∞!」英中両語で、世界を広げる。
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