その道は一本 ~柔道が世界をつなぐ~ Vol.1 藤井裕子さん
2018年に女性初のブラジル男子代表監督に就任した藤井裕子さん。海外での柔道指導のきっかけは、イギリスへの語学留学でした。様々な指導者や教え子との出会い、ファベーラ(貧民街)の子どもたちとの交流を通じて、指導者としての成長を続けながら、現在に至るまでのお話を伺いました。
指導者への道
――柔道を始めたのは?
5歳のときに、愛知県の大石道場で始めました。子ども心に練習は厳しいと思いましたが、少しずつでもやり続ければ最後はできるようになる、ということを最初に学んだ貴重な時間でした。
――中・高・大と全国大会の上位で活躍しました。
自分が強かったという意識はまったくないんです(笑)。いま指導者として振り返ると、あまり試合向きではない、コツコツ練習を積み重ねるという方向に意識が向きすぎている選手だったなと思います。
――指導者になった経緯を教えてください。
大学院修了まで柔道を続けて、現役は十分やったなと思えた。次の人生を考えるにあたって、小さい頃から、海外で、英語で話をしている自分をイメージしていることが多かったことに気づいて、ではこれを叶えようと思ったわけです。机の上での勉強が向かないタイプということは自覚していたので(笑)、これは外に出るしかないと、留学を決意しました。恩師に相談したところ、単に語学の勉強に行くだけではなくて柔道を生かしなさい、新しい仲間もできるよ、と勧めていただいて。
――もともとは語学留学だった。
そうです。結果としては、そのために通っていたイギリスのバース大学で、柔道部の選手に教えるところからコーチのキャリアが始まりました。
――そこでイギリスナショナルチームのコーチに抜擢されたわけですね。
大学のコーチとして2年半くらい教えて。その頃ルールが変わって、脚を持つことができなくなったんですね。イギリスが北京オリンピックで良い結果が残せず、底上げに動き出したタイミングでもあり、指導の経験があって、両手を持って相手をコントロールできる日本の柔道を教えられる人材として白羽の矢が立ったということだと思います。
――大学で指導を始めて、手ごたえはありましたか?
最初の1年は本当に悶々としていて、メインのコーチの真似をしているだけでした。指導の経験もないし「やばいことに踏み込んでしまったな」という後悔の念ばかり (笑)。ソツなくこなして帰ろうとしか思っていなくて、何かを伝えられている手ごたえはまったくありませんでした。それが変わったのは、フランスからいらしたパトリック・ルー先生とジェーン・ブリッジ先生の指導を見たとき。こんなにきれいな柔道を教える人がいるんだ、基本をシンプルに指導する人がいるんだと目の当たりにして、私が教えたかったのはこういうことだと気づかされたんです。日本で小さい頃から教えられてきた基本を、クリエイティビティを加えて選手に伝えていい、ということがわかって、何か許されたような気がして、それから指導技術を磨くことにエネルギーを注ぐようになりました。
柔道がファベーラ(貧民街)の子どもたちに与える新たな世界
――英語やポルトガル語を習得するにあたり、柔道を教えるという場があったことは役に立ちましたか?
生の交流や現地の人の生き方を見るということがないと、言葉はなかなか自分のものになりません。そこに柔道があることで、友だちになるためのステップを何個か飛ばして入っていけるというのはあります。また、一時帰国したときに、日本語自体はわかるはずなのに目の前の人が何を言っているのかわからない、ということがあって逆に気づかされたのですが、海外にいて、相手の気持ちを読む能力が鍛えられていたんですね。変な話をしますが、知らない言語のeメールを見ただけでも、どんな感情で書かれたものなのかわかってしまう (笑)。これは畳の上で、柔道という共通言語がまず先にあって、思いを伝えやすい環境があったことが大きいかもしれません。
――その後、ブラジルナショナルチームの技術コーチとなりました。
ブラジルは人が両手を広げて待ってくれているようなイメージで、出会ったらすぐに友だちなんです。入っていきやすかった。お話ししたいのはまず、ファべーラ(貧民街)についてですね。ファベーラの子どもたちはあそこで生まれて、育って、外の世界を知らずに生を終えていく。ですので、スポーツで子どもたちの世界を広げようという活動が多いんです。私も指導に行かせていただいたんですけど、子どもたちはワーワー騒いでいて言うことをきかない。で、あるとき怒ったことがあるんです。やりたくないんだったらもういいよ、やりたい人だけ残ってくれればいい、と。カッとなって言ってしまったんですけど、帰りの車のなかでよく考えてみたら、いや、この子たちにとっては道場にいること自体が大事なんだと。危ない地域から出てきて、違う場所で違う人と交流するということ自体に意味があるんだ、技術を体得することは二の次なんだと、自分の過ちに気づいたんです。日本とブラジルの「柔道をやること」の意義は、このあたり大きく異なるわけですよね。
――女子監督として指導されたリオデジャネイロ・オリンピックの金メダリスト、ラファエラ・シウバ選手もファベーラ出身と聞きました。
彼女はオリンピックパークの近くのファベーラの出身で、小さい頃はすごくケンカ早かった。でも、柔道を通して本当に大人になって、素晴らしい人間性を持った選手になりました。ファベーラの子どもたちが次のラファエラ・シウバになりたいと、目を輝かせて練習している。そういう場所があって違う道を見せてくれる大人に出会うことができる。それはすごく大きなことだと思います。
「なぜ反復練習をしなければいけないの?」という素朴な質問
――社会のなかで、柔道はかなりの存在感があるんですね。
競技者人口が30万人、連盟に登録しない練習生も入れると約200万人が柔道をしています。たまたま乗ったタクシーの運転手さんが嘉納治五郎師範の名前を知っていて、「僕も紫帯まで柔道やっていたんだ」というようなことが普通にあるんです。学校の課外授業にも柔道が入っていて、外から先生が来て教えて、もっと続けたいという子がいれば町道場に行って本格的に学ぶという流れができている。私も近所でお母さんたちに、うちの子には柔道で「修行」させたいんだ、柔道って実際どう? と聞かれることがすごく多い。社会に必要な規範や生きていく力を教えてくれるものだという、教育としての信頼があると感じます。
――ブラジル柔道の特徴は?
選手たちから「日本の柔道」を感じさせられる場面が多いことにまず驚かされました。日本人の移民の方が100年以上前に始めたのがブラジル柔道のルーツなのですが、いまの競技者のメンタリティや技術から、現地で脈々と伝わってきたその息吹が感じられる。次の世代にもこれを伝えていかなければならないと、勝手に責任を感じています。
――日本の練習との違いに戸惑うようなことはありましたか?
イギリス時代も含めて、「打ち込み」には考えさせられるところが多いですね。単に打ち込み100本! と号令をかけても動かないんです。意味や目的に納得してから行動する習慣がついていて、子どもであっても「なぜやらなければいけないのか」と質問してくる。自分は先生に100本と言われればそういうものだと素直にやっていましたから、なぜ? という質問はとてもおもしろかった。自分がやってきたことを意味づけていく仕事がその先に待っていました。
――なんと答えたんですか?
いまだに答えを探しています。イギリス時代は少しずつ数を増やして実際にできるようになることを感じさせてモチベーションを上げたり、ブラジルでは自分も実感している「1万時間の法則」を話したり、単なる繰り返しではなく、毎回違っていいから1回1回新しい気づきを求めなさいとアドバイスして集中力を上げたり。いま思っていることは、良し悪しの差を理解するためには絶対的な数が必要だということ。いまの自分の状態を的確に把握するためにはまず自分を知らねばならない。そのためには数が必要だということですね。自分の良し悪しを理解できる選手にはこちらもアドバイスがしやすいんです。打ち込みに限らず、ブラジルでは反復練習が不得手な選手が多い。強い選手でも意外に基礎が抜けていたりするのですが、例えば最初は単純な足さばきから練習をスタートするとしても、「これを使えば足技が出しやすい」とか、1回の稽古のなかで実際の成果がイメージできるような過程を組み込むことにしています。あのイギリスの子どもの「なぜ打ち込みをしなければいけないの?」はすごくいい質問だったなと、いまでも思いますね。
変化することを受け入れるしなやかさを
――いまの日本チームの印象は?
日本の男子は、かつての弱点であったフィジカルも強くなり、ルールへの対応もできて、なおかつ、もともとの強みである技術がしっかりあるチーム。加えて、海外の選手とも積極的に話して学んでいこうというオープンな雰囲気が出てきました。本当に隙の少ない、本当に隙のないチームで、常に目標にしています。
――どんなスケジュールで仕事をされているんですか?
ナショナルチームのトップになってからは遠征が多くて、月の半分くらいは外に出ています。残りは、国内の選手がいるところ、例えばサンパウロに行って、選手の練習を見たり。半分は家におらず、家にいるときも常に国内を渡り歩くという生活ですね。これが当たり前になっていたので、外出自粛で家にずっといることがすごく不思議です(笑)。
――今後の目標は?
住む場所も立場も変わり続けるなかで、行きつくのは「ただ柔道をやっていたい」ということ。ただ柔道をやっていたい、柔道が好きな人と一緒にいたい。柔道衣の似合うおばあちゃんになれたらいいなと思います。つい最近、福田敬子先生の映像を見たのですが、60歳を超えてもバンバン投げているんです。まずは同じように、60代になってもバンバン投げられる自分でありたいというのが第一の目標です。また、我々日本の柔道家はどこにいっても柔道家の見本として見られている。これは常に頭に置いて、背筋を伸ばして生きていかなければいけないと思っています。
――海外に渡ろうと考えている日本の若者にメッセージを
海外に出ると、変化することを受け入れられるようになるのが楽しい。自分が変わるというのは決して心地よいものではないので、どうしても一歩下がってしまうものですけど、海外に行くと変わらざるを得ない。こんなに違う世界があるんだと、多くのものを受け入れられるようになる。それを重ねていくと、お互いがリスペクトしあうというところに行きつきます。最初は辛いんですけど、これはぜひ経験してほしいですね。あと、海外に出て活躍する日本の若い人が増えましたが、私の周りで逞しくやっている人には女性が多い。変化を受け入れるしなやかさがあります。ぜひ後に続いてほしいと思います。
【プロフィール】藤井裕子さん
藤井裕子(Yuko Fujii)
生年月日:1982年8月18日生まれ
出身:愛知県
5歳で柔道を始める。
愛知県大府中学校→愛知県同朋高校→広島大学→同大学院修了。
コーチキャリア:2007~イギリスバース大学、2009~イギリス代表コーチ、2012ロンドン五輪イギリス代表コーチ、2013~ブラジル代表技術コーチ、2016リオ五輪ブラジル代表コーチ、2018~ブラジル男子代表監督
居住国:ブラジル(リオデジャネイロ)
現職:ブラジル男子代表監督、全柔連国際委員会在外委員、二児の母
【#全柔連TV】インタビュー動画
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