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その道は一本 ~柔道が世界をつなぐ~ Vol.13 髙田知穂さん

自らの強さを求め続けた現役時代に一区切りをつけ引退を決意した時、セカンドキャリアの進路について、自らが何をしたいのか悩み、葛藤していた髙田知穂さん。ある日、髙田さんのもとに、サウジアラビアで柔道を指導し、「柔道を通した女性の社会進出を支援しないか」という話が舞い込みました。柔道の醍醐味である「精力善用・自他共栄」にも繋がると、同国における指導に大きな魅力を感じた高田さんはサウジアラビアに行くことを即決。それまで体育をしたことがなかった女性たちに、前転など柔道の基礎を始めから指導し始めました。サウジアラビアの女性にとって、柔道衣を着て公の場で試合することはとても勇気のいること。第13回は、自分のやりたいことに挑戦するための「覚悟」を選手たちと共有しながら歩んだ髙田さんにお話を伺いました。

「自分なりの強さ」を追求することに気づいた大学時代

――髙田先生が柔道を始めたのは?

6歳のとき、小学校に入る少し前ですね。父と近所を散歩しているときに、近くの武道館で高校生の試合があって、それをちょっとのぞきに行って、「私も柔道をやりたい」と言ったみたいです。私は覚えていないんですけど(笑)。そこから始めました。
練習は週に3回。身体が小さいこともあって、小学生のときにきちんと人を投げた覚えはなくて、練習前、練習後に友だちと一緒に遊ぶのが楽しくて行っていました。

幼少時

――勝ちたいとか、本格的にやりたいと思ったのはいつくらいからですか?

中学生のときに階級が分かれて、同じ体重の人と試合をすることになってからは、少し人を投げられるようになり、人を投げられるようになると、柔道が楽しく感じるようになりました。それから、中学2年生ぐらいで熊本県の大会で優勝して、そこで、もっと強くなりたいと思い、そこからのめり込んで、「負けたくない、勝ちたい」という思いが生まれました。

大学時代

――阿蘇高校、山梨学院大学時代について。

高校は1つ上に、緒方亜香里先輩や山本小百合先輩とかがいらっしゃって、強かったです。高校選手権では、団体戦で優勝しました。チームが優勝できたことはすごく嬉しかったんですけど、私自身は準々決勝までは先鋒で出場したものの、決勝はメンバーから外れて座っていただけでした。それが、すごく悔しかったですね。出たかったです。
高校時代は、毎日ずっと練習していたという記憶しかないですね。そのときに我慢してやれていたから、基礎とか根性とかを培うことができたと思います。仲間との友情も深まりましたね。
大学では、自分で考えて柔道ができるようになったというか、考える余裕みたいなものができたと思います。周りは全日本の強化に入っている選手が多かったので、大学の練習自体が「一年中強化合宿じゃん」と思えるくらいで、すごく幸せでしたね、強い人たちと練習できて。
高校の時には、「強い人=ストイックな人」というイメージでした。強くなるためにはストイックでなければいけないと思っていました。でも、強さは人それぞれで、いろんな強さがあるんだなと。大学に行ってからは、いろんな強さが見えて、「自分なりの強さを作っていいんだ」と考え方が広がりました。

選手引退後の悶々とした葛藤の中で、「女性の社会進出のために柔道を指導する」ことを決意

自衛隊の時の写真

――その後、自衛隊体育学校に。

山梨学院大学から自衛隊体育学校に入っている先輩が何人かいて、仲の良かった濵田尚里先輩(2018年世界選手権優勝)から自衛隊体育学校のことをいろいろと聞いていたんですね。で、私が大学4年生のときに、濵田先輩が「自衛隊はいいよ。柔道に集中できるし、すごく充実している」と生き生きした感じで話されているのを聞いたんですね。大学2~3年で結果も全然出せなかったので、大学で柔道を辞めようと思っていたんですけど、4年生のときに関東学生で優勝して、やっと少し爪痕を残せて。柔道好きだし、もう少し強くなりたいと思っていたときに、濵田先輩からその話を聞いたんで、行きたいなと思って入りました。私は強化選手ではなかったので、半年間、通常の自衛隊員が行う訓練をしていました。その間は集中して柔道が出来る環境ではなかったですが、その後やっと体育学校で柔道ができるようになりました。自分の弱点をつぶす作業に重点を置いて練習やトレーニングを取り入れてからは、少しずつ柔道が安定し出して、柔道に自信が付いてきました。もう少しで結果が出せるんじゃないかと思ったんですが、勝負の世界はなかなか思い通りにはいかなくて、自衛隊に入って3年目の25歳の時に次のステップへ行こうと決めて、選手を引退しました。

自衛隊時代の写真

柔道を辞めてからは、自衛隊体育学校のある朝霞駐屯地の食堂で、1年間調理補助をしていました。その後に、海上自衛隊の横須賀教育隊にもう1年勤務したのですが、悶々とした思いは変わらず、エネルギーを持て余していました。海外に行きたい、海外で柔道を教えたいという気持ちが沸き上がってきたちょうどその時期に、自衛隊の池田ひとみコーチから、サウジアラビアで柔道を教えることに興味はないかといきなり聞かれて。「あります。聞かせてください!」と言って、話を聞いたんですね。その内容が、サウジアラビアの女性の社会進出のために柔道を指導するという、私にとってすごく魅力的なもので、女性の社会進出って「精力善用・自他共栄」、そのままじゃないかと。これはやりがいがありそうだなと思ってすぐにお願いしました(笑)。

「全日本柔道連盟山下会長」

「鳥海先生(過去にサウジアラビアで8年間柔道指導経験)」

――実際にサウジアラビアに行かれて、いかがでしたか?

最初、女性を見たら、みんな目だけしか出ていないんですよ。黒い布(アバヤ)で覆われていて。だから、笑っているのか、どんな表情をしているのかもわからなくて、怖かったですね。でも、ちょっと話しかけてみたら、みんなすごく優しくて安心しました(笑)。
あとは、暑かったですね。入国したのが6月の上旬だったんですけど、気温が43度くらいあって、この環境に順応できるのかなという不安はありました。

アバヤ2

「モスク(イスラム教の礼拝所)」

体育をしたことがない女子選手たちに、1つずつ柔道の動作を教える中で得た学び

――髙田先生が教えていたのはどういう人たちだったんですか?

キングサウド大学のなかにあるクラブで、だいたい中学生から大学生の女性に指導していました。一番年上の人は30歳でした。登録しているのは100人くらいいたのですが、みんな毎日は来ないので、1回の練習は20人ぐらいですね。初心者が多くて、柔道経験は長くても1年でした。

大学の柔道・ジムのある建物

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――練習内容について。

私のほかにもう一人、私より1年先に来ているエジプト人のコーチがいて、その先生が練習を組み立てていました。内容は、打込とか基本的なことばかりです。その先生がたまにいないときもあったので、そういうときは、みんなに勝ち負けとかの楽しさも教えてあげたいというのもあったので、ミニゲームをしたりもしました。ゲーム感覚で勝敗をつけて、負けたほうにペナルティを課して、負けて悔しいという思いを持ってもらおうという趣旨です。

「クラブで一緒に指導していたエジプト人コーチ」

少し話が飛んでしまうんですが、私がサウジにいるときに、サウジの学校で女性の体育ができたんですね。それまでは、みんな体育をやったことがなかったので、前転とかもやったことがなかったんです。それで、前転をやろうとしたときに「先生どうしたらいいかわかりません」と言われて、「見たままにやればいいよ」と言ったんですけど、「見たままの動きができないから聞いているので、ちゃんと一から説明してください」と。そういうことなら、と「手をついて、頭があたらないように中に入れて」というところから始まりました。体の使い方も、1つずつ説明するよりも、イメージやたとえを使って話す方がわかってくれるという発見がありました。背負投は「畳を蹴るようにして、足を回して持って来て」とか、手首を使う時は「腕時計を見るように」とか、体を回す時は「シャルマ(焼き鳥)を回すように」など。どうしたら伝わるかなということを毎日考えていて、1つずつ理由と一緒に、かみ砕いて、かみ砕きまくって教えました。自分の勉強にもなりました。

指導の様子

――言語に関して、サウジの人たちは英語を話せるんですか?

ほとんどみんな、英語は話せます。私の英語が通じないことも多々あって、大変だったんですが、選手たちが「もっと英語をやったほうがいい」と言って、練習の前後に教えてくれたんですね。一緒に話して、そのなかでコミュニケーションもとれましたし、選手との距離も近づいた気がします。

女子選手の活躍2

――サウジには、実際にはどのくらいの期間行かれていたんですか?
サウジには2019年の6月から2020年の4月末までの計11カ月いましたが、2020年3月から新型コロナの影響で練習ができなくなったので、柔道を指導していたのは実質9カ月です。

「サウジアラビア柔道連盟カリード会長」

――志半ばで、日本に戻ることになってしまいましたが。

本当に、これからというときでした。最後に選手に会えたのも、私がサウジに行って、初めての国内大会が3月初めにあったんですけど、それが最後。そのときに、これからのサウジの女子柔道の課題とかも見えて、私も成績が良かった選手を集めて、週に1回練習をしたいということをサウジの柔道連盟に提案して、今度会議で話して、いい方向にしようみたいな話になっていたんですけど、それも、コロナの影響でできなくなってしまったので、本当に残念です。

「日本でも注目され新聞で取り上げられました」

「試合に出る」ための女子選手の大きな覚悟を感じたできごと

――サウジアラビアの競技人口(女子)というのは、いまどのくらいですか?

人が入っては出て、入っては出てという感じで、定着しているわけではないのですが、だいたい500人くらいではないかという話です。
サウジは国際大会に出る女性とかも本当に少ないのですが、私がサウジにいるときに一度だけIJFの大会(オーストラリアオープン)にサウジの選手が出たことがありました。その選手はすごい頑張り屋さんなんですけど、1回戦で負けてしまったんですね。組んですぐに体落で投げられて。サウジの女性にとっては、もちろん結果を出すことも大事ですけど、それ以前に、表舞台に出るということが一つの戦いというか、とても勇気がいることなんです。

オーストラリア大会出場選手と

試合が終わってホテルに帰ったあと、彼女の試合を思い返しながら「すごく緊張してたし疲れただろうけれど、私どうしても教えたいことがあるんだよな~」「ちょっと話せないかな、でも疲れているから休ませた方がいいか」と思っている時に、その選手から電話がかかってきたんです。「先生、私練習をしたいです。何が悪かったのか、自分でもわからないし練習したいです」と。そのときに、サウジ柔道はこれから強くなれるかも。この子が引っ張っていってくれるかも、という思いがしました。
ホテルがビーチ沿いだったので、すぐに柔道衣の上だけを持ってビーチに来てもらって。そこで2時間くらい、基本的なことですが、組み方や技を掛けられたときのさばき方とかを練習したんです。それはすごく嬉しかったことですね。
でも、実は、大会から帰国したあとに、この選手はお父さんから今後の国際大会に出ることを反対されてしまったんです。その子から「先生、話があります」と言われて、涙をこらえながら、「私は強くなりたいのに、お父さんに反対されて、国際大会にもう出られないかもしれない。お父さんを納得させるために毎日練習したいけど、その練習の時間と自分の時間が合わないときがあるから、そのときは先生、私のトレーニングを見てください」と。そのときに、その子の覚悟みたいなものが見えて、「この子のお父さんに認めてもらえるために、私も一緒に頑張ろう」と。同時に、そういうのを見て、いまのサウジの時代の変化に女子柔道がついていって、自分のやりたいことがやれるようになればいいのにと強く思いましたね。

「サウジアラビア柔道連盟カリード会長」 (2)

苦しくても楽しむことを忘れずに。コーチとして成長することが今の自分を奮い立たせるモチベーション

――髙田先生が柔道を通じてサウジの人に教えたいことと、学んでほしいことは?

学んでほしいことは、人や物に対して感謝の気持ちを持ってほしいということです。大学の道場にも、練習の最初と最後は、感謝の気持ちを込めてきちんと礼をするようにと、紙に英語で書いて貼っていました。

「道場に掲示していた「礼をしよう」の紙」2

大学のジムは、夜の7時になったらジムが閉まってしまうんです。以前、練習でちょっと7時を過ぎてしまったことがあって、管理人さんに消灯されてしまったんです。そのとき、一人の子が「最後に道場と先生に礼をしよう」と言い出して、みんな「そうだね」と。真っ暗のなか、一列に並んで「ありがとうございました」と言って終わったんですね。サウジに行って3カ月ぐらいのときの出来事だったんですけど、そのときに、礼儀に関しては、少し伝えることができたかなと。嬉しかったですね。

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――髙田先生自身まだお若いですけれども、今後、海外での指導を目指している若者にメッセージがあれば。

私自身、まだまだ未熟で、経験も少ないんですが、海外に行くことで自分の視野も広がると思います。私自身は、苦しくても楽しむことを一番に考えているので、それをいつも自分に言い聞かせています。いまもサウジとの契約が切れて苦しい思いをしていますが、サウジに戻ったときには、もっといろんなことを伝えられたらという思いで、宗教のことや英語の勉強をしたりしています。柔道に関しても、もっと自信をもって教えることができるように、もっといいコーチになって帰ろうというモチベーションでやっていて、コロナが落ち着いたら、(サウジアラビア柔道連盟と)再契約できればいいなと思っています。そのために、いま、エネルギーを貯め込んでいるところです。

「広大な砂漠にて」2

【プロフィール】髙田知穂さん

プロフィール写真2

髙田 知穂(Chiho TAKADA)
生年月日:1991年9月18日生まれ
出身:熊本県
6歳から柔道を始める
熊本県立阿蘇高校→山梨学院大学→自衛隊体育学校
コーチキャリア:サウジアラビア柔道連盟所属で女子選手の指導
元居住地:サウジアラビア(リヤド)

【#全柔連TV】インタビュー動画(前編)

【#全柔連TV】インタビュー動画(後編)


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