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「誠意を持って一生懸命に打ち込めば、すべてが基礎になる」米原あきさん(研究者)

学生時代に柔道を通じて「困難を恐れず、泥臭く挑んでいく」姿勢と、「好きなことに誠実に取り組むことこそ大切」という信念を培い、研究者として国際貢献を目指す米原あきさん。
子どもの頃に見たドキュメンタリー番組をきっかけ、国際機関で働くという夢を抱いた米原さん。

プロフィール

米原あき よねはら・あき

1976年生まれ。大阪市出身。高倉中学校1年のとき、柔道を始める。大手前高校時代は一度柔道から離れるも、京都大学進学後に再開。大学4年時には48kg級で関西学生体重別選手権ベスト8。大学院進学後はコーチとして3人制女子団体を全国大会へ導く。京都大学大学院、インディアナ大学を経て、研究者の道へ。現在は、東洋大学社会学部社会学科教授として、開発途上国の教育政策を中心に研究と教育活動を行う。

「礼」に始まり「礼」に終わる柔道の世界に憧れて

――米原さんが、柔道を始めたきっかけについて教えてください。

「中学1年のとき、クラブ見学で柔道を見たときに、他の競技と雰囲気が違うなと。激しく投げたり投げられたりしているのに、終わると静かに『礼』をする。その感じが新鮮でした。指導者の谷田勝一先生に連れられ、学校の練習が終わったあと修道館(大阪市立の武道館)に出稽古に行ったり、かなりハードでした。谷田先生には『いまやらんで、いつやるんや!』とよく言われました。その瞬間を真剣に生きろ、ということだったと思いますが、それが今も人生の教訓になっています」

――高校でも柔道を続けたのですか?

「いいえ、高校は進学校だったので、熱心に部活動をやる雰囲気ではなく、柔道部に入ったもののすぐに辞めてしまいました。でも、そしたら学校にもあまり行かなくなってしまって(笑)。大学も、柔道に関係ないサークルでも入ろうかなと思っていたのに、入学式のあと、ふと柔道場をのぞいたら、ものすごく一生懸命に練習されていたんです。その独特の雰囲気に心を揺さぶられて、翌日には柔道衣を持って練習に行っていました」

――大学時代はどんなふうに柔道をやられていたのですか?

「正直最初は歓迎されていない感じでした。4月は、七大学戦(東大、京大など七大学による寝技を中心とした団体対抗戦)に向けた追い込みの時期なので、『練習の役に立たない人間は来るな』という雰囲気がありました。
ただ先輩方はみんなものすごく練習をしていて、心から尊敬できました。自分もその仲間に入りたいという気持ちで必死でした。強さでは男子にかなわないけど、一番弱い自分が休まずに練習することで、チームに『あいつがあれだけ練習しているのに休んでいられない』という空気を作る。そういう貢献ならできると思ってやっていました。その後女子の後輩も入ってきて、七大学戦で女子の部を立ち上げることができました。
そう言えば、去年の世界選手権の男女混合団体戦を家族で見に行ったんです。私が学生時代に男子中心のなかで、どうやってチームに貢献するかずっと悩んでいたので、男女が協力して戦う姿には感極まりました」

柔道で得た『泥臭く、しつこく、なりふり構わず』食らいつく姿勢

――そして、研究者の道に進まれたきっかけについて教えてください。

「小学生の時にテレビで見た、エチオピア飢饉のドキュメンタリーです。自分と同じ年代の子どもたちが餓えて死に瀕している様子を目の当たりにして、『(生まれた場所がたまたま違うというだけで)んなアホな』と、強く感じたことがきっかけでした。

留学したときには国連職員を希望していましたが、博士研究に取り組む過程で、『なぜその国に教育が必要なのか』という本質的な問いに取り組みながら、専門家としてその国の教育問題にも携わるという、現在の地点にたどり着きました。学術的な知見と現場のニーズを繋ぐのがライフワークなのかな、と感じています」

――現在、取り組まれていることは?

「開発途上国の教育政策の評価が専門です。SDGs(持続可能な開発目標)に対する取り組みを進める自治体に政策のアドバイスをしたり、大学では国際社会学のゼミで学生の指導をしています。大学でもプロジェクトの現場でも、いろいろな人との出会いがあり、それが何よりの報酬です。自分に刺激をくれる人たちがいて、時には初心を思い出させてくれたり、自分の問いに近づくヒントをくれたりする。それが研究の次の一歩へと後押ししてくれる力になっています」

――いまの仕事に、柔道の経験はどのように役に立っていますか?

「一見無理そうな案件に対しても『泥臭く、しつこく、なりふり構わず』食らいついていく姿勢は柔道をやっていなかったら持てなかったと思います。
柔道を一生懸命にやればやるほど、男女の根本的な力の差や、トップ選手との才能の差など、努力では乗り越えられないものがあると思い知らされました。だからこそ『結果』だけを自分の価値の軸にする必要はないと思っています。好きなことに誠意を持って一生懸命に打ち込んだことすべてが基礎になっている。そんな柔道で得た実感は、私のベースになっています」

――最近では、柔道も再開されたそうですね。

「アメリカ留学以降、出産などで10年のブランクがありました。2013 年に子どもが当時住んでいた福岡県糸島市の波多江柔道スポーツ少年団に入ったのをきっかけに、指導者として関わることになりました。東京に引っ越してから講道館で形の練習を始め、マスターズ大会にも出場しています。今さらながらに技の理合いの奥深さを知り、もっと勉強したいと思うようになりました。形は生涯続けたいと思っています」

――次世代の皆さんへ、エールをお願いします!

「女子に限らずですが、国際化・グローバル化時代だからこそ、柔道に関心を持ってほしい。グローバルに活躍したい、という思いを持っている人こそ、日本発祥の武道であり、スポーツである柔道の哲学を体にしみこませて活躍してほしいです」

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本記事は『まいんどVol.23』に掲載された記事をweb版に再構成したものです。

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