その道は一本 ~柔道が世界をつなぐ~ Vol.6 早川憲幸さん
女子70キロ級ジュリ・アルベアル選手はリオ五輪銀、ロンドン五輪銅、世界選手権も3度制したコロンビアの強豪選手。彼女のコーチボックスに座るのは、彼女の長所を生かした指導と徹底した研究で彼女を支える早川憲幸さん。ジュリ選手が得意とするクロスグリップは、貧しく柔道衣がない環境の中で生まれた工夫の賜物であると語ります。第6回の今回は、どんな環境の中でも「柔道が楽しくて仕方ないんです」と顔をほころばせるコロンビアの早川さんにお話を伺いました。
「国は問わない!海外で柔道を」という強い思い
――柔道を始めたきっかけは?
父が埼玉県で武徳館早川道場という町道場の指導者をやっておりまして。物心つく前から生活の中に柔道がありました。柔道はとにかく楽しかったですね。勝てないなりに友だちも多く作れましたし、何より父親が柔道の先生ですから、習い事というよりはコミュニケーションの手段だったんです。
――埼玉栄高校、明治大学と強豪チームに進み、全日本学生体重別選手権で2年連続3位入賞。
本当に勝てなくて(笑)。でも、弱いなりに柔道が好きで凄く研究をしていたんですよ。体ではなかなか表現できないのですが、考えること自体が凄く好きでした。特に相手の研究にはのめりこみました。大きな大会を観に行ったりしてもこの選手にどうやって勝とうかと常に想像していました。自分が出られるわけではないんですけどね(笑)
――海外に出たきっかけは?
小さい頃から柔道を通して海外に行きたかったんです。中学生のときに、野茂英雄選手がメジャーリーグで活躍するのをテレビで見て、とても眩しく見えた。スポーツで海外に行くって素晴らしいなと。大学を卒業した後にもいろいろなツテを頼って海外に渡る道を探していて、冨田弘美先生(※当時プエルトリコで指導)が明治大学にいらしたときにも「海外に行きたいんです」とお願いをさせていただきました。それで2年ほど経った頃にコロンビアを紹介していただけました。2009年の1月に現地に渡って、いまも指導を続けています。実はコロンビアという国も知らなかったのですが、海外に行けるならどこでも良かった。事前にスペイン語を学ぶこともなく、決まったからにはとすぐに日本を出ました。
――コロンビア柔道協会との契約での渡航となりました。着いてみていかがでしたか?
柔道場なんてないのではと勝手に思い込んでいたんですが、畳もありましたし、柔道やっているという人も何人かいて、悪くない環境だと思いました。コロンビアにはナショナルチームというくくりはなく、赴任した地域の人を教えるという形。下は5歳くらいから上は60歳くらいまで年齢も職種もいろいろ、一般のクラスの中で指導を始めました。国全体での登録者数は5000人ほど。個人経営の町道場はなく、市や県などの自治体がクラブを運営しています。人気は…。少しずつ増えているとは思うんですが、なかなか浸透していかないですね。柔道を始める入り口がすごく狭いんです。いとこがやっていたとか、誰かの紹介で始める方がほとんど。純粋に柔道をやりたいというきっかけで始めるケースはほとんどないと思います。また、日本では柔道は教育というスタンスがかなり認知されていますが、こちらのイメージは純粋に「スポーツ」ですね。
柔道を通じたコミュニケーションは言葉の壁を簡単に超える
――生活にはすぐに馴染めましたか? コロンビアは危険なイメージがありますが。
物を盗られたりとかはありましたが、ただ危険というだけで住むぶんには問題ない。こうして話しているということは、つまり命は取られていないということですから大丈夫です(笑)。はじめは小さなワンルームをあてがわれて、そこから練習に通っていました。朝練をやってそこに戻って、午後からまた稽古に出る。柔道を教えられるというだけで幸せだったので、生活に苦労したというイメージはまったくないです。基本的には月曜から土曜までの練習で、月曜だったら朝6時半から1時間くらい朝練をやって、12時から2時半まで一般クラス、16時から18時くらいまでは子どもの指導のために転々といろいろな道場を回る。知り合いとボランティアでやっている道場もありますし、柔道のおかげで人生本当に楽しいですよ。もっとたくさんやりたいくらいです(笑)。
――お給料は良かったですか?
いやあ、もうその話になると……。初めは、貯金を切り崩してやっていました。コロンビアの中では生活できる範囲なんですけど、贅沢はできなかったですね。何か買うときには、1個1個、これはいくらだろうと調べながら買い物カゴに入れていました。物価は安い国なんですけど、そういうことをちゃんとやらなくてはいけないというくらいです。
――スペイン語をほとんど学ばず、いきなり現地に飛び込んだわけですよね?
英語は勉強していたんですが、当然まったく通じない。ただ、あまり苦労はしなかったですね。柔道があって、こちらは教えたい、向こうは習いたいと思っているわけですから、早い段階からコミュニケーションが成立しました。柔道って本当に凄いんですよ。技や「引き手」や「釣り手」などの用語が日本語だというのもあるんですけど、言葉の壁を簡単に越えてしまう。技術の名前は現地風になっていたりしてこれもおもしろい。「韓国背負い」はトルニーヨ(tornillo)、ネジみたいに入っていく技とか、ケンカ四つという言葉はないんですが、デルチャ・エスケーリダ(Derecha e izquierda)で、右と左、とか。柔道を教えることで言葉も覚えていけます。
――愛弟子の女子70kg級世界王者、ジュリ・アルベール選手との出会いを教えてください。
自分が赴任したカリ市の道場にたまたまいたのがジュリでした。初めて会ったのに、この技はどうやるんだ、この技術はどういうことなんだととにかく物凄い勢いで質問してくる。そうして何日かが過ぎて、彼女だけが稽古に遅刻しないことに気付いたんです。毎日稽古の30分前には来てストレッチしている。この子はちょっと違うなと思って話しかけると北京オリンピックに出ていた選手なんだと。とにかくやる気があったので、こっちが楽しくなってしまって、それから指導にのめりこみました。
――出会ったその年のうちに世界選手権で優勝。どんな指導をされたんですか?
連盟に早く成績を出させてくれと強く頼まれまして、彼女の特徴に合わせた奇襲技、双手刈や朽木倒を教え込みました。手足が長くて身体能力も高く、独特の間合いがある。ももちろんノーマークだったことも大きかったのですが、ミッションを果たして勝たせることができたことは凄く嬉しかったですね。
貧困街での生活を思い出すことで、「つらい練習でも乗り越えられる」というジュリ選手の言葉
――日本らしい技を教えなければと現地で苦労する方も多いなか、いきなり「その選手に向いた技」が指導できたわけですね。
渡航前、やはり「柔道は二つ持って掛けるものだと教えなさい」とアドバイスしてくださる先生が多かったですね。ただ、そこに重きを置きすぎると日本の何十倍、何百倍の時間がかかるんですよ。積み上げてきた基礎がまったく違いますから。だったら長所をしっかり残したまま、そのなかに日本の良い要素を取り入れて戦えるスタイルを考えるべき。私自身は日本の柔道をその通りに教えるという考えはまったくなくて、現地の選手の特徴や文化に合わせてアレンジするのが当たり前だと思っています。
――日本にいるときに、その幅を養っていた。
もともと柔術やサンボがすごく好きだったんです。大学時代には定番の「これがサンボだ!」も熟読しましたし、いま時折全日本女子のコーチに招かれる中井祐樹さんの道場にも稽古にうかがったりして他競技の選手との交流もあった。柔道以外の格闘技を調べていたことが、逆に柔道の理解や指導に役に立ったという面はあります。
――コロンビアでの指導を通じて、印象的だったことは?
ジュリは世界選手権で3回優勝して、オリンピックでも銀、銅とメダルを2つ獲ったスター。その彼女が、いまだに大会で、花道を歩いて試合場に向かうときに足が震えてしまうと話してくれたんです。彼女は貧困街で育ったんですが、そのときのイメージが強く頭に浮かんできて、もし負けたらあのときの生活に戻ってしまうのではという恐怖に襲われて足がすくんでしまう。そして、それはとても苦しいんだけど、あの生活を思い出せる瞬間があるから辛い練習も乗り越えられるんだと言うんです。私自身にはそういう経験がないので、そんなことを考えながら柔道をする人間がいるんだなと、これには私が教えられました。
――道場の子どもたちは、アルベール選手みたいになりたいという憧れを持っているんでしょうね。
みな憧れていますね。うれしかったエピソードとしては、彼女が頑張って勝ってくれたときに、ストリートの子どもたちが「ジュード!ジュード!」と言いながら、投技の真似をして近づいてきてくれるんですよ。それまではアジア人イコール空手とばかりに、空手の突きや蹴りをしてきていたんですけど、それが柔道の投技になっていた。やっていてよかったなと思いましたね。
――指導でもっとも大事にしていることは?
柔道は楽しいということを大前提に教えています。指導のそこかしこにゲーム性を取り入れてまずは「楽しさ」をわかってもらう。あとは、道場はなぜ靴を脱ぐのかとか、なぜ「正面に礼」があるのかとかをきちんと説明して、お互いが決めた約束をちゃんと守るともっと楽しい世界があるよ、それを守る習慣がつくと大人になっていいことがあるよ、というメッセージに繋げています。国のほうにも、柔道が青少年の犯罪を減らすことに寄与できるということが浸透してきているので、楽しいなかにもこういうことは大事にしていきたいと思っています。
「柔道衣がない」からこそ生まれたコロンビア柔道のスタイル
――柔道衣がなかなか揃わない環境で工夫をされたとか?
畳がなかったらマットでいいですし、柔道衣がなかったら帯をたすき掛けにして腰で止め、簡易的な襟を作るんです。持って、組み合って十分にいい稽古ができます。そしてこれがコロンビア・スタイルのルーツ。この形で練習すると自然にクロスグリップを覚えるんです。ジュリがクロスグリップからの技が得意なのも、彼女の道場も柔道衣がなくて、子どもの頃から帯を使って柔道をやっていたから。「柔道衣が揃わなかったこと」がコロンビア柔道のルーツなんですよ。
――ロンドン五輪後、強豪国から指導者としてオファーがあったとお聞きしました。
ありがたいことに、いくつかの国から話をいただきました。経済的なことを考えたら大国に行ったほうがいい。提示された額もまったく違いましたから。ただ、強い国に行って日本に勝つなら、それは当たり前。弱い国を勝たせるほうがおもしろい。「対日本」のやりがいを考えて、コロンビアに残ることにしました。
――海外から見た日本代表の印象は?
率直に、選ぶほうは大変だろうなと思います。誰を出しても勝てる要素がありますから。とにかく強いチームだと思います。
――早川さんといえば研究魔。かなり調べ上げているのでは?
それはもう、好きなので(笑)。日本に関しては全日本選抜体重別に出るレベルの選手はすべてチェックしています。戦歴、技、癖はもちろん、リオ五輪では何かのヒントになればと南條監督の血液型まで調べていました(笑)。選手に膨大なデータを渡して、これで大丈夫だからと暗示をかけるのが私のスタイル。日本に勝つのは夢なので、これからもがっちり調べていきますよ。
――海外での指導を夢見る日本の若者にぜひメッセージを。
目的がしっかりあれば入り口はなんでもいいと思うんです。いまはSNSもあって入り口が広いし、ボランティアという方法もある。いきなり住んで指導するということでなくても、とりあえず行ってみて、柔道で交流するというバイタリティを持ってほしいですね。目的さえあればどんどん海外に行くべきだと思います。
――日本を出る前にこれだけはやっておくべきというものがあればアドバイスを。
「形」をきちんとやっておくといいと思います。僕はきちんと学んでいなかったので、恥ずかしながら現地の人に教わりました。海外では形の指導のニーズが高いので、こういう逆転現象が起こらないように、いまのうちにきちんと勉強しておくといいのではないでしょうか。
――この先の目標は?
まずは2021年の東京五輪です。ジュリはロンドンで銅、リオで銀。となれば次は金メダルしかありません。ここに照準を合わせて、選手と楽しくやっていきたい。私自身のその後に関しては、いままで通り柔道をやっていきたいというだけ。あとはそのときに考えます。ただ、自分の存在価値は柔道しかありませんから、柔道をやっているということだけはブレません。
――ありがとうございました!
【プロフィール】早川憲幸さん
早川憲幸(HAYAKAWA Noriyuki)
生年月日:1981年3月20日生まれ
出身:埼玉県
5歳から柔道を始める
埼玉栄高校→明治大学
金鷲旗・インターハイ:81㎏級3位
学生体重別:73㎏級3位(2年連続)
コーチキャリア:2009年よりコロンビア柔道ナショナルコーチ。
居住地:コロンビア(カリ)
コロンビア柔道ナショナルコーチ、全柔連国際委員会在外委員。
【#全柔連TV】インタビュー動画
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