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その道は一本 ~柔道が世界をつなぐ~ Vol.8 井浦吉彦さん

アイスランド最古の柔道クラブである「アルマン柔道クラブ」で指導をする井浦吉彦さん。かつて講道館国際部に勤務し、中東やアジアを中心に年間13回~14回も海外で指導を行っていたという豊富な経験の持ち主です。「柔道は日本から発信された数少ない文化ですので、それを指導し普及させることを重く感じています。」と語る一方で、その指導方法については、「柔道も社会の一部なので、その社会や現地に暮らす人々を見つめて適応させることが大切です」と語ります。第8回は、「アイスランドでは、教わる側が主体で、教える側がそのサポート役に回るという感覚を気づかされました」と話すアイスランドの井浦さんにお話を伺いました。

海外への素朴な興味で始まった、柔道指導者としての人生

――柔道を始めたときのことを教えてください。

10歳のとき、埼玉県の川口市にあった大道塾 宇佐美道場で始めました。それまでは相撲をやっていたのですが、その頃流行っていたマンガに柔道が出てきて、柔道もいいかなと思って、父親に道場に連れて行ってもらったのが始まりです。
高校時代は柔道部に入ったものの、何か新しいことをやってみたいと思い柔道部を辞めて、野球部に入部しました。ところが、やってみたら柔道のほうが自分に合っているということがわかりまして柔道部に再入部しました。そこからはずっと柔道ですね。

日本で柔道をしていた頃

――東京教育大学(現 筑波大学)へ進学され、卒業と同時にアイスランドに渡られます。

私の学年が東京教育大学としての最後の学年で、私の次の年から筑波大学になるのですが、入学してくる人は、将来教員になりたいという人が多いんです。私も教職課程を取りました。ただ、教育実習中に参加した柔道大会で怪我をしたことや、自分が教員にあっているのかなという迷いも持ってたんですね。その時ちょうど、アイスランドで2年間指導されていた大学の先輩である村田直樹先生(前講道館図書資料部長/2020年4月逝去)の後任を探しているという話を耳にしましてね。外国に行ってみたいなぁと、素朴な思いを抱いたんです。それで当時、柔道部の顧問だった中村良三先生に薦めていただいて行くことになりました。アイスランドがどこにあるのかも知りませんでしたが(笑)。

着任当時

――アイスランドではまず2年間指導されました。

最初は、なにしろ私は大学を卒業したばかりで経験がありませんから、習う方に申し訳ないなというくらいでした。それでこれじゃいけない、指導法を学ばなければならないと感じ、帰国後、筑波大学大学院に入りました。
大学院修了後には再びアイスランドに1年間行きまして、帰国後は国際交流基金の派遣でチュニジアに2年間行きました。帰ってきてからは、講道館の国際部で約4年半勤務しました。その時は、東南アジアや中近東やアフリカに指導に行かせていただきました。年間13回、14回くらい指導に行っており、時にはカルチャーショックを受けることもありましたが、指導そのものは非常にやりがいを感じていました。
その後は金沢大学に移り、アフリカなどへも行かせていただきました。

柔道人口が少ないながらも、日本文化として知られている柔道

――金沢大学に7年半在籍されたのち、アイスランドに移住されたということですが。

理由はいくつかあったのですが、当時は大学再編の時期で不安定だったということと、家内がアイスランド人なので、子どもを育てるための環境を考えて決断しました。

指導風景

――以来、アイスランドで指導を続けられています。そちらの柔道人口はどのくらいですか。

こちらには登録制度がないので正確な人数はわからないのですが、子どもから大人までで500人弱くらいだと思います。柔道クラブは全国に8つしかありません。 
ヨーロッパではサッカーなどのボールゲームが人気ですが、アイスランドも同様でハンドボールが強いんですね。2008年北京オリンピックでは男子が銀メダルを獲っています。こういう環境ですので柔道はマイナー競技。ボールゲームであまり活躍できなかった子が道場にやって来るという傾向がありますね(笑)。
柔道をやる理由としては、身体を鍛えたい、投げる技術、また身を守る技術を身につけたいといったことのほかに、日本の文化を学びたいということがあるようです。子どもの場合は、親がしつけを学ばせたいということで通わせている面もあります。人の話をしっかり聞くような子にしてほしいといった期待があるようです。

全体写真

――アイスランド柔道の特徴はどんなところでしょうか。

日本人は非常に器用ですが、アイスランド人は体力的には非常にいいものを持っているのですが、それを動きやタイミングを計って技を出すということにつなげるのは不器用な印象です。
あと、こちらの生活自体がのんびりしていますので、人と競争するということにピンときていないところがありますね。社会も比較的安定していて、インフレ率は高いのですが、全体として経済的には安定しているので貧困層の割合が低く、余裕を持って暮らしている方が多く、社会がギクシャクしていないんですね。

――アイスランドに固有の格闘技はありますか。例えば、そうした格闘技の経験者が柔道もやるということもあるのでしょうか。

腰に革のベルトをつけて組んで始めるというグリーマ(Glima)という格闘技があります。最近はそちらも競技人口が減ってしまっています。ただ、この経験者が柔道をやると、やっぱりカンはいいんですね。でも、グリーマには寝技はないし、組んでから始めるので、組み際などに対応できない。ですから、ある程度は役に立つというところでしょうか。

社会の一部としての柔道だからこそ、教わる側が主体というアイスランド方式で指導

――アイスランドで指導したことでどんな変化がありましたか。

アイスランドの社会は非常に平等なんですね。男女も年齢的にも平等で、人種や経歴での差別もありません。子どもが先生のことをファーストネームで呼ぶというのも常識という社会です。ですから、柔道について言うと、どちらかというと教える側が主体ではなく、教えられるほうが主体なんですね。教える側はあくまでもサポートをする側なのです。よく考えると正しいことなのですが、当初は日本と考え方が大きく違うので戸惑いました。

現地紹介1

――その違いには、すぐに対応できたのでしょうか。

いえいえ。言うことを聞かない子に「道場の外に立ってなさい」と言って道場から出して、ちょっとして見たらいないのでどうしたのかと思ったら、靴を履いて帰ろうとしている(笑)。それであわてて連れ戻したということがありました。こちらの子は言葉をそのまま受け取ってしまうので、これは気をつけなければいけないと思いました。
私としては日本の柔道のやり方が一番で、日本のやり方で指導すれば確実に結果が出るんだと思っていましたから、始めのうちはどうしたものかと思いました。そのうちに、柔道を学ぶということもアイスランド社会の中の一部なのであって、道場にやって来る人はその社会で生きているわけですから、社会のほうを見なければダメだなということがわかってきました。最初にアイスランドに来て1年半が過ぎた頃でした。

国際大会

――指導法はどのように変わりましたか。

意欲のある子、自分でやりたいという子は質問をしに来るんですね。「これどうしたらいいんだ」「どうやったらできるんだ」というふうに。こちらからいくら与えても、受け取る側が何パーセント受け取っているのかわかりませんが、質問をしてくるということは、受け取る側のパーセンテージは高いんだなということがわかってきました。
それと、相手の反応を見るということですね。こちらが何か言っても相手がボーッとしているのは、私の教え方が合っていないということで、逆に反応があるとこのやり方が合っているんだな、と。声をかけることも大切にしています。いまも1回の指導のなかで必ず、ひとり1回は必ず声をかけるようにはしています。

――形の指導も各国でされています。乱取りの指導と違うところはどんなところですか。

乱取りのほうが幅広くてひとつの技についても相手の反応がどうということがありますけど、形のほうは動きが決まっています。その中で指導方法としては、主となる部分(体捌き、崩し、技の極めなど)に重点を置いて、先に指導し、移動や間合い等の説明は後回しにしています。形の稽古が技の攻防を理解する稽古であると認識するならば、主となる部分を通常の稽古のように、「打ち込み」形式で反復練習を重ねることが大切だと思っています。

若い時ならではの感性を大切に。海外へ出ることは、日本を改めて知ることのきっかけになる

――海外で柔道を指導する意義についてはどのように考えておられますか。

柔道は日本の文化であるということです。日本を代表する武道であり、スポーツのひとつで、世界で広く認識されている数少ない日本発信の文化であると思います。その普及を担う立場にいるということを重く感じています。

現地紹介2

――近年、アイスランドと日本は文化交流が盛んに行われているようですね?

アイスランドと日本の交流は、2001年に日本大使館が首都のレイキャビクに設立されてから始まるにようになり、大学生の交換留学制度が始まったり、さまざまな面で関係が深まっています。柔道でも日本に行きたいという子も多いのですが、金銭的な面もあって限られた人数しか実現できていません。でも、何人かは形の講習に行ったり、大学の練習に参加したりしていますね。

現地で伝統的なもの

――最後にこれから海外で何かをやってみたい、指導してみたいという若い人へ、メッセージをお願いします。

若いときに外国に行くのと、年齢を重ねて財力がついてから行くのでは、そのインパクトが全然違うと思うんですね。やはり、若いときの感性で感じるものは非常に大きいと思うんです。ですから、ぜひ観光でもなんでもいいので若い方には海外へ出てほしいと思います。
そうすると、比べるものができると思います。日本と違う文化に接すると、まず最初はそちらのほうが発展していると思ってしまうんですね。でも、そこからじゃあなぜこうなっているの? という疑問が生まれてくる。その疑問を解決するために日本のことを調べてみると、日本のほうが優れていることが多いじゃないかと気がつくことになったりして、改めて日本を知ることにつながる。日本を外から見ることで、文化でもなんでも比べることができるようになります。そのことは、その後の生活、その後の人生に必ずプラスになると思います。

【プロフィール】井浦吉彦さん

プロフィール

井浦吉彦(IURA Yoshihiko)
生年月日:1954年5月26日生まれ
出身:埼玉県
10歳から柔道を始める
埼玉県立蕨(わらび)高校→筑波大学→筑波大学院
インターハイ重量級第5位
コーチキャリア:大学卒業後、アイスランドで2年間指導。1984年国際交流基金でチュニジアへ派遣され、チュニジアのコーチとしてロサンゼルス五輪に参加。帰国後、講道館国際部において勤務し、多くの国で指導を行う。金沢大学教員を経て、アイスランドに移住し、現在までアルマン柔道クラブで指導。イギリス、ドイツにて定期的に形の講習会も行っている。
居住地:アイスランド(レイキャビク)
在アイスランド日本大使館職員、アルマンスポーツクラブ柔道部師範、全柔連国際委員会在外委員。

【#全柔連TV】インタビュー動画


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