
『路上自殺』
天気が悪かったが、駅前は人通りが多く、活気に溢れていた。
Yは、路上ミュージシャンの観客に紛れて、スマホをチェックした。
いま駅についた
と、Aからラインが届いていた。
Yは、駅前の路上ミュージシャンの演奏を聞いている、と返信した。実際、Yはその手の音楽にはまるで興味がなく、聞き流しているにすぎなかったが。
ほどなく、演奏が終わると、拍手が鳴り響いた。Yもそれに加勢し、あらためてミュージシャンの姿を見る。
年齢は二十代半ばともその一世代上とも見える、光の反射具合によって緑色にも黒色にも見える髪の色をした男性。白いシャツを着て、デニムは変わった形状で、靴はつま先がやけに丸い。
「それでは次の曲、聞いてください」
観客たちが息を呑んだ。私もその空気につられて、やや緊張を感じ取ったが、次にミュージシャンがとった行動で、それは驚きに転じた。
男は抱えていたアコースティックギターを地面におろすと、ロシアでも売っていなさそうなボロボロのレザーのバッグから、ナイフを取り出してボタンを押して刃を飛び出させた。
「これを曲というのもおこがましいのですが」
男はそう言うと、ナイフを自分の腹に突き刺して、引き抜き、また突き刺して引き抜く。
それを繰り返し始めた。
観客は悲鳴をあげてその場を逃げ出し、うちのひとりは交番のほうへむかった。また他の観客は、自傷を行う者を制止するためか、腰を落としてにじりよる姿勢をみせる。
ほどなく警官がやってきて、
「やめなさい」
と、叫ぶやいなや拳銃を発砲し、弾丸は男の腹部を撃ち抜いて、元ミュージシャンの男はその場に倒れ込む。
横たわる彼の体の周辺に血液が広がり、それはそういう料理のようにも見える(舗装された白い地面が皿に見えたら尚さら)。
「なにこれ」
ややハスキーな女性の声で後ろから話しかけられ、振り向くとAだった。
Aは、灰色のセーターと黒いスカートをはいていた。先週も同じ格好だったが、気に入っているのか、それとも衣服について考えるのが面倒になったのだろうか。
確か上下ともしまむらかユニクロのはずだった。
ただ今日は先週と違って、胸元に私がプレゼントした安物のネックレスをつけていた。それは、遠目にはハート型に見えるが近づいて見ると豚の心臓だった。思えば、彼女にしても最初にぱっとみたとき、ずいぶん綺麗な女性だと思ったが、近づいてみると片田舎出身の粗野なブスという感じだった。
「…ということが今しがた起こった」私は彼女に、ことの成り行きを説明した。
「は?...そんなわけなくない?」彼女は言った。
困惑した様子で、それは私自身にむけられているようだ。
「いや、目の前で起きていることを見て欲しい」私は彼女の両肩をつかんで、今、目と鼻の先で横たわって、血を吹き出しながら奇妙なダンスのごとく痙攣を繰り返す、もともと人間だったもののほうにむけた。
「いやっ」彼女は私の支えを振りほどくと、先に行ってしまった。
「なにに怒ってるのかしらないが」私は彼女の隣に並んで言った。「路上ミュージシャンだと思って見てたんだけど、いきなり楽器をおいて、カバンからナイフを取り出したんだ。それで、みずからの腹をグサグサ突き刺しはじめてね。みんな驚いてたよ。それで警察がやってきて、射殺したっていうこと」
彼女は話を聞きおえると、さっきよりは態度を和らげ、
「それなら最初からそう言ってほしかった」と言った。
「さっきもこの通り説明したはずだが」私は言った。
「いいえ、あなた最初こういったはず」彼女は私の目を見て言った。「路上ミュージシャンだと思ってみていたんだけど、えーと、そう次の曲をやりますって言って、楽器をその場においたんだ。そしてナイフを取り出してね。ギャング映画で見るような飛び出しナイフを。それで腹をえぐりはじめたんだよ。すぐに警察が来て、事態を収めようとして撃ち殺したんだ。こう言ったでしょ?」
それは、私のモノマネもふくめた厭味ったらしい再現だった。
「確かに、言った覚えのないことは含まれてない」
ところで、彼女の記憶力はずば抜けて優れていた。それが理由で私生活において悩まされることもあるらしいのだが(つまり他人のごまかしにすぐ気づいてしまう)
その彼女が指摘するのだから事実なのであろう。
「ただ、なにが違うってんだ」
「大違いよ。腹をえぐりはじめるっていうのは、妙な趣味をもったキチガイが死なない程度に自傷する感じがするけど、みずからの腹をグサグサ突き刺しはじめるっていうのは立派な自害の目的があるように感じるでしょ」
「それは、そうかもしれないが、ところでどこにむかってるのこれ」
「私の家じゃないの?途中でスーパー寄ってくんでしょ」
「そうだった、そうやって約束してたもんな」
そして、私たちはこのあとめちゃくちゃセックスした。