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クモリウシを狩りに

「なかなか、見つかりませんね」

 同行者の岩本が言った。

「ああ、見つからない」

 私は猟銃をさげて、あたりを見回す。

 まばらな雪景色。

 朝の五時から現場入りしたクモリウシ猟も、収穫ゼロで正午を迎えるところだった。

「穴場なんですがね」岩本が言った。

 私にはそう思えない。

 住宅地からさほど離れていない森林だった。しかし岩本が見る景色は私が見ているものとは異なるはずだ。彼はクモリウシ猟を専門に手がける猟師だったからだ。

 一方で私は、3年前に失職したタイミングで猟銃の免許を取得した初心者。経験も浅く、判断は岩本に委ねるしかない。

「大将、このクモリウシ肉、めちゃくちゃ新鮮だね」

 私が岩本と知り合ったのは、去年の暮れ、ふらっと入った居酒屋でのことだった。

 血で染めたように真っ赤なクモ刺し(クモリウシのもも肉の刺し身)を甘口醤油にひたし口にはこんだ私は、そのたったいま死んだ獣を思わせる鋭い風味に思わず感嘆した。

「そちらのお客さんがね、持ってきたんだよ」

 大将が顔で示したカウンターの隣に座っていたのが、岩本だった。

「死の味わいがしますよね」

 岩本は青白く神経質そうな顔つきで、こちらを見やり、ささやくように言った。それ以来、シーズンが来れば私たちは毎年のようにクモリウシ猟に同行するようになった。

 私は銃身をぬかるんだ地面に突き刺して、「この辺で昼食にするか」と提案した。本来ならば、午前中に一匹でも仕留めて肉を解体し、その場で食べる計画だったのだが。

「ま、仕方ないですね。じゃあ、私、薪を拾ってきますんで、料理はお願いします」と彼は言い、猟銃に弾が残留していないか確認すると、白樺の木に立てかけ、林の中に分け入っていった。

 こうなったときのために去年仕留めたクモリウシの冷凍肉を持ってきていた。不本意ながらも備えあれば憂いなし、ということだ。

 クモリウシの肉は鹿肉に似て赤身が多いが、脂肪が少なくさっぱりとしている。これがイノシシや熊なら脂肪も多い。近年ではクモリウシ肉はお洒落で健康的な食品として注目されているが、私からすれば、現場の泥臭さとのギャップに失笑を禁じ得ない。

 岩本が戻り、焚き火を始めた。彼は鍋にクモリウシ肉を放り込み、焼き目をつけてから雪を溶かして煮る。クモリウシ肉は旨味が強いがアクが多い。岩本はナイフを使い、鍋に浮いた黄色いアクを器用に掬い続けた。

 私たちは、午後には巣穴から出てくる大物を狙おうと前向きに話し合う。

 鍋が煮え始め、私は火を弱め、岩本が鍋の蓋を閉める。肉は柔らかいほど美味しい。

「どうにも、近頃は減ってるんじゃないかと思うね」

 これは事実だったが、猟場を選定した岩本へのフォローの意図もある。

「そのようですね。人々はいまやクモリウシに夢中なんです。我々のように崖っぷちを行かないにしても、その表面を舐めることには暇がないようです」

 岩本の物言いは、相変わらず含みがある。神経質で顔面蒼白の男がこれを言うのだから、彼を知らないものは、会話につまづくだろう。

「つまりなんだ、そういう時代とでも言いたいのか」
 
 私は、森林の空気を吸うのにも飽きて、胸ポケットから葉巻を引き出す。

「ええ、彼らの多くは将来に展望がないことを知っています。もちろん、ずっと先を見据えていた先人たちは、すでにそうでしたが」

 私はうなづいて、葉巻の一本を岩本にすすめるが、彼は片手をヒラヒラとさせて断る。

 ところで、彼はなにを言っているのだろうか。

「俺も、そういう人間のひとりってことか」私は火の中にむけて言葉をつむいだ。

 岩本は、まるで意味がわからないとでも言うように、表情をゆがめ、

「そうじゃないとしたら、いったいなんなんですか。あなたは、どうしてそんなリスクが犯せるんですか」

「いや、熊と対面するほどのことじゃないだろう…」

 岩本は私の言が消え入るすきを突くように、

「次はひとりになりますよ、そして最後は誰もいなくなります」

「さぁ、どうかな」

 去年までは、三人で猟を同行していた。今は一人減った。だから、これを続ける限りは、一人ずつ減っていく。岩本が言うのは、そういう単純な考えにもとづく意見だった。
 
「あれ、見て下さい、あれ、コフィンじゃないですか」

 確かにそうだ。うさぎ程の大きさで耳は小さく、白い毛皮に茶色のぶちが入っている。動きが遅い。

 私は近寄って素手で捕獲する。コフィンは食用には向かないが、薬用の脂がとれる。

 捕獲したコフィンを焚き火の傍らで押さえ込み、ナイフで首元を切り裂くが、失敗して気道のみを切ってしまった。私はコフィンの頭部をブーツのかかとで踏みつけて即死させた。飛び散った血液が焚き火に飛び込み、パチパチと音を立てて燃える。

 岩本は無表情でそれを見ていた。今では何の抵抗も無いが、初めの頃はクモリウシやコフィンを殺めることに罪悪感をいだきもした。しかし今ではそれも生活の一部に過ぎない。

 首を切り離し焚き火に投げ込み、胴体は白樺の枝に逆さに吊るして血抜きをする。雪の上に赤い斑点が広がる。

「クモリウシ、鉄砲の音で目を覚ませ」

 岩本が気色の悪い裏声で歌い始めた。

 地域に伝承されるクモリウシの唄だった。

「二匹でやろう、猟師を見たら、噛み殺せ…」

 私は、去年の猟でクモリウシに殺された同行者のことを考える。彼は不運にも、大型のクモリウシ二匹がたまたま一緒にいるところに出くわしてしまったのだ。通常、クモリウシは一匹でいるときは大人しく、逃げ腰になることも多いが、二匹揃うと話は別だ。彼らは突然、獰猛な獣に豹変し、襲いかかってくる。

 彼の亡骸を見つけたのは、日が暮れかけた頃だった。私と岩本で手分けして捜索をしていた際に、その場面に出くわしたのだ。

 雪の上には何かが引きずられた痕跡が残っていた。血液の跡がくっきりと続いており、それを辿っていくと、斜面を降りた先に小さな洞穴が口を開けているのを見つけた。私は息を潜めて、その場で狙いを定めた。

「クモリの肉は食わせない、肉になるのはお前らだ」

 しばらくすると一匹目のクモリウシが姿を現した。それに続いて、二匹目も現れる。私は冷静に狙いを定め、まず手前の一匹の眉間を撃ち抜く。残った一匹は突然の銃声に驚き、洞穴の前で動かなくなった。キョロキョロと辺りを見回すその瞬間、二匹目の眉間にも正確に弾丸を送り込んだ。

 洞穴から引きずり出した同行者の遺体は、上半身が無惨に食い荒らされていた。露わになった肋骨、引き出された肺や腸の断片。だが、血の気が引いた顔は、まるで眠っているかのように安らかな表情を浮かべていた。喋り始めてもおかしくないような、そんな安らぎを感じさせる顔だった。

 私は黙ってジャンパーを脱ぎ、彼の上半身にそっとかけた。そうしてやると、あたかも青空を眺めて横たわっているだけのように見えた。片方の靴が脱げているのが、ただ不自然だった。

「クモリウシ、鉄砲の音で目を覚ませ」

「その歌はもういい、やめてくれ」

 岩本は口をつぐんだが、私はすぐに言い過ぎたことを詫び、気まずい空気を払拭するように葉巻を焚き火に放り込んだ。

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