自分の道は、まず足元から
朝、始業時間の30分前。
静かな社内で、ホットミルクをのんびりと飲む。
私の席は窓際で、正面の大きな窓からビルやマンションが見える。
薄日が差す中、雪がちらちらと降っていて、
もうすぐ大寒だな、とか
外を歩く人が寒そうだな、とか
ぼんやりと思う。
”自分の道をつくる”ということは、もっと、気張っていて、大変なことかと思っていた。
数年前まで持っていたイメージは、自分の手元にないものを掴みに行くために、あらゆる情報を調べて、最善手を見つけ、そのための手段をとり、日々を戦い、手段の見直しや技術面を補っていき、いつか何者かになる、というようなものだった。
そういう、”何かを成す”ことであったり、漫画や映画でわかりやすくストーリー立てられるような「サナギから蝶への大変化」なるものを思い描いていた。
今思うと、雑な感性だったな~・・・。
あらゆるものの刷り込みであったと今では思うけれど、
仕立てられた物語と価値観を、自分の日々と人生に当てはめて考えていた私の脳内は、受け身が過ぎるというか、なにもわかっていないというか、周りも自分も見えていないというか…
That's 雑!
わはははは!!笑
そりゃあおかしいんだよってことに気がつけて、本当に良かった。
そもそも、元手が自分なんだから、自分にないものを取りに行こうとしたり、何かで飾り立てようとしたって、上手くいくわけがない。
現象は心の表れだから、まずは自分をよく見て、改めるべきは改め、認めるべきは認め、”自分そのもの”としていかに健やかであれるかに手を尽くし、淡々と確実に動いていく。
そうしたら、気づいた時には、行くべき場所に運ばれ、出会うべき人に出会い、やるべきことが当たり前にあり、自分を深めるために現実は展開していく。
こっちの方が、ずっとたのしい。
希望がいつも傍らにあって、明るい未来が地続きで感じられる♡
なんであんなに苦しかったんだろう?と思うんだけど、
それは頑張り方と、頑張るポイントが違ったんだな~。
あと、「苦しさこそが人生だ」的な、昭和の価値観が刷り込まれてた?苦笑
今、何時代?
もはや令和じゃ。
肩肘張って、どうこうしようとしたって、どうにもならんね('ω')
雲はつかめないし、月もつかめないし。
地に足ついていないものには、根も張れず、実もならない。
それだけだねぇ…。
雪がやんだ。晴れ間がのぞいてる。
晴れると心がすっきりするから好き!
さて、今日も仕事しようっと(*‘ω‘ *)
肩の力は抜いて、確実に、ね♡
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