区切りの焼売
2021/09/04
息子が大学院進学のため家を出る前日、焼売を作りました。
パンデミック中、何度もお世話になったレシピはこちらです。(文末↓)
家にある材料でチャチャッと作れるのに、みんなが大好き。重宝しました。
ロサンゼルスは昨年末3月に全米でもいち早くロックダウンを決めてから、かなり厳しい対策がとられてきました。レストランやオフィス、学校は14、5ヶ月間もの間、閉まっていました。我が家も、中西部の大学に行っていた息子が戻ってきて、夫は完全リモートワークになり、娘も、ホームスクールで学校にはもともと行っていなかったとはいえ、音楽のレッスンやリハーサルで出かけることもなくなり、つまり、家族4人と犬2匹が週7日24時間家にいるという状態が1年以上も続いたわけです。
この7月から夫はオフィスに戻り、娘は2週間ほど前に大学の寮にお引越し。そして息子は昨日、家を出て行きました。アメリカはワクチン摂取がかなり進んでますが、変異株が猛威を奮っている状況は日本と同じ。パンデミック収束からは程遠いのですが、家族が身を寄せ合って過ごしていたコクーン状態がとりあえず終了したため、私の中では、一区切りのような気がしています。
パンデミック中、焼売と餃子、春巻きの皮は買い置きをして、冷凍庫に備蓄していました。なぜなら、流通が滞り、日本からの食材が手に入りにくい状態が何ヶ月も続いたからです。買い物自体、週に一度程度に制限してたのですが、たまたま買い物に行った時、運良くそれらが入荷されていたら3、4袋ずつ買い置きしていたので、我が家の冷凍庫には常に5、6袋ずつ備えてあったのでした。今年の春ごろから流通状況が元に戻り、買いだめする必要はなくなりました。奇しくも今回の焼売皮は、買い置きしていた最後の一袋でした。いつ購入したものか分かりませんが、皮のヘリがだいぶ乾いてしまっていました。割れないよう気をつけて餡を包みながら、この「最後の一袋」が我が家のコクーン生活終焉を象徴しているように思えて、しみじみと感傷的な気分に浸りました。
ロックダウンが始まった当初、全てが強制的に中断され、2週間を想定されていたのがさらに2週間、またさらに2週間、ついには数ヶ月、と延長される度に暗澹たる思いでした。家でリモートワーク、ズーム授業を受けている家族が、朝、昼、3時のおやつ、晩、と決まった時間になるとワラワラと私の元に集まってくるのも、さすがに1年以上続くと疲れました。でも、外に行けない彼らの唯一の楽しみといえば食べることだけなので、家族が喜ぶ献立やおやつを作るのに必死でした。
それが終わり、寮母状態から解放されたというのに、この寂しさは何なのでしょう。
楽しいとも思えない習慣でも、長く続けていると、そこにリズムのようなものが生まれて、そのリズムに身を任せていることに安心感のような心地良さを覚えるようになるのかもしれません。朝昼おやつ晩、と家族のために美味しいものを作るだけの生活も、最初は閉塞感を感じていたものの、それがなくなることに、今は寂しさを覚えているのです。
また、コロナの副産物として、家族が一緒に過ごす時間が案外楽しかったこともあります。このような状況でなければありえなかったことですが、家族で「ムービーナイト」、「ゲームナイト」と称して、毎週のように映画を見たりボードゲームをしたり……。そんな素敵な時間が終わってしまうことの寂しさでもあります。
でも、やはりこれは非常事態。繭はいずれ破って外に出なければいけないのです。若い人たちは尚更、外に羽ばたいていかないと。
もうひとつ区切りをつけたものが、コーヒーのサブスクです。家族4人、朝と午後、毎日大きなマグカップ8杯分のコーヒーを淹れるため、シアトル発のStumptownのコーヒー豆を2週間おきに2袋ずつ、配達してもらっていました。これももう必要なくなったので、おしまいです。
カラフェの中のコーヒーがやけに少なく、心許ない朝です。