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いじめと記憶のすり替え



 1年ぶりに、横浜の実家に帰ってました。両親もだいぶ足腰が弱ってきたので、老人二人ではなかなかできない作業をやろうと提案し、20年近く手付かずだった屋根裏を片付けることにしました。


 その空間は、まるでタイムカプセルでした。写真や日記、友達や先生からの手紙、そして海外出張の多かった父からの手紙。全てに目を通し、「これはどうしても」と思うもの以外は、処分しました。その作業は、幼稚園児の私、小学生の私、中学生の私、高校生の私、大学生の私との再会であり、また同時に、お別れの儀式のようでもありました。


 「これはどうしても捨てられない」と判断、救済されたものの中に、3、4年生時の作文を綴じた冊子があります。アメリカに持ち帰ってから、じっくり読んでみました。



 幼い筆跡に、40年も前のことがパァッと鮮やかに蘇るものもあれば、逆に、何のことを言っているのか見当もつかないものもあり……。いずれにしても、始終頬が緩んでしまう和やかで愉快なひとときでした。ところが、4年時のある日を綴った作文に、凍りつきました。


 それは、紛れもなくいじめの記録であったのです。2歳上の6年生の姉の友達の輪に加わり、その中で行われていたいじめに加担している様子を、悪びれもせず詳細に綴っているのです。ここに、実名を隠して転載します。



『きのうのこと』

 きのう、6年のおねえちゃんと、SさんとTさんと5年のOさんと、もう一人名前はわすれたけど、あそびました。あと、RちゃんとKさんと、あそびました。
 はじめ、なんだかしらないけど、Tさんが、なきました。どうしてか、みんなぶらんこにのって、ブツブツもんくを言いました。わたしももんくを言ったけど、みんなが、
「あんた一人のために、あそびがつまんなくなって、みんなにめいわくかけてるんだからね!」とか、「あんた4年と5年にバカにされてるんだからね!」とか、「なきむし!」とか、「あなたの心の中が、すぐくもっちゃうんだもん」とかなんとか言って、みんながいっせいに、Tさんに言ったから、Tさんが、「だってマリ(仮名)……」なんて言ったから、Sさんとかが、「マリ、マリ、マリって、あまえないでよ!」とか言って、いっせいにみんなで、マリちゃんに、「な〜け!な〜け!な〜け!な〜け!」って言ったら、本当にマリちゃんが、ワーン、ヒックヒック。ワ〜〜〜ン、ワ〜〜ンと、ないてしまいました。わたしは、(なきむしだな〜)と思いました。おねえちゃんなんかがバドミントンのれんしゅうをはじめたので、つまんないから、かえりました。しばらくすると、「あじちゃ〜ん、ドッジボールするよ!」と言われたので、(やったぁ〜)と思って、行きました。はじめ、わたしのくみは、SさんとKさんとOさんとなりました。そのときは、まけました。2かい目は、かちました。3かい目のとき、KさんとSさんとわたしと、もんだいじと、くみになりました。もんだいじとゆうのは、マリちゃんのことです。わたしはSさんと、「もう〜もんだいじとくみだからまけるよ〜」と言っていました。しっぱいすると、「やっぱり、もんだいじがめざわりなのだ!ワハハハッ」と言ってたら、もんだいじが、「ウワ〜ワ〜ワ〜ン」とないてしまいました。みんなが、「どうしたの、もんだいじ」とか言って、また「な〜け、な〜け」って言ったから、ますますないてしまいました。
だれかが、「あんた、それじゃ、しねしねって言われたら、しぬの?」って言ったら、もんだいじが、「だって、言いかたがあるじゃん〜ワ〜ン」わたしは、(本当にもんだいじってよばれても、むりないや)と思いました。
(終わり)


 愕然としました。



 実のところ、私はクラスでいじめられてる子の側に立てる勇気と正義感ある生徒として担任から一目置かれており、遠足などで一人ぼっちの生徒がいると、度々私がその子の世話を任されていたのです。親となり、家でいじめ問題がトピックに上がる度に、私は子供達に、子供の頃の自分のヒーローぶりを話して聞かせてきたのです。それなのに、どうでしょう。この酷いいじめは。まんまと長いものに巻かれてる様は!人が虐められて泣いている様子を、無邪気に克明に記しているその冷酷さ。




 出来ることなら、このマリちゃん(仮名)に土下座して謝りたい。この出来事が、今の今まで、自分の記憶から抜け落ちていたということにも衝撃を受けました。人というのは、ここまで自分に都合がいいように記憶を塗り替えられるものなのでしょうか。





 折しも、某芸能事務所の性加害問題をめぐり、記者会見がありました。新社長が記者から
「貴方は過去にセクハラをしてませんか?」と問われ、
「してません」
ときっぱり言い放ったのが、引っかかりました。人は、自分に都合の悪い事は忘れてしまうことがあることを、今の私は知っているからです。ここは、



「してないとは思うけれども、自分の記憶が正しいかは分からない。もしも、過去に私が誰かに性的な悪戯をしたようなことがあるなら、心から詫びたい」



 と言うのが正しかったのではないか。そして、人の思春期の過ちを掘り起こそうとしている芸能レポーターも、自分がそんなに正義を振りかざせる立場かどうか、考えてほしい。もっと根本的な社会の膿に目を向けて欲しいものです。

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