電車のマナーとヨーヨー・マ
日本に帰省中、母と娘と電車で外出した際の出来事。
運良く3人並んで座っていると、シニア女性が乗車して来ました。すかさず私が腰を上げると、私と娘の間に座っていた母が、
「違うんじゃない?貴女じゃないでしょう?」と言うので、私は娘に席を譲って差し上げるように促しました。娘がそのシニア女性に
「どうぞ座ってください」
と言って立つと、女性の隣にいた娘さんらしき中年女性が、
「いいんですか?」
と言って、シニア女性は座りました。私たちの下車駅に着き、私と母が立つと、席を譲られた女性はすかさず娘さんに座るよう促し、親子して娘には一礼もなかったのです。
このことで腹を立てたのは母でした。自分が孫に席を譲るよう促した手前、善い行いをしたら感謝されるという正義が為されなかったことに、怒りを覚えたのです。女性はもとより、自分の母親に席を譲ってもらった娘も、お礼を言うべきだと。
私自身は、お年寄りや妊婦さんに席を譲ってお礼を言われなかったことがありません。今回のようにご家族が一緒の方からは、両方から頭を下げられたし、また、申し訳なさそうに
「お荷物を持ちましょうか?」
とまで言ってくださった方もいました。むろんお礼を言われるのが目当てではないとしても、ありがとうと言われたり、笑顔を向けてくださると、座って体力を温存することに十分代わる清々しさを味わわせてもらえて、幸先良い気がするのです。
もちろん、母と一緒にいて、母が席を譲ってもらったら、私もお礼を言います。一度、小学校高学年ぐらいの男の子が母を見るなり席を立ち、少し離れて座っていた両親と妹の元へと行きました。降りる際、一家の前を通ったので、
「お兄ちゃん、ありがとうね」
と声をかけたら、気恥ずかしそうに下を向いていました。できることなら、お年寄りにサッと席を譲れるような素敵な息子さんを育てられたご両親を讃えたいぐらいでした。自意識が過敏であろう5、6年生ぐらいの男の子にとって、簡単なことではなかったはずです。
一方で、母と電車に乗っていると、誰からも席を譲ってもらえないことも少なくなく、腹立たしいような虚しいような気持ちになり、おでかけのウキウキが汚されます。背中の曲がった80代のお婆さんを前に、平気でスマホをいじったりお喋りしたりできる人々を眺めながら、この人たちには年老いたご両親や祖父母、親戚やお友達がいないのだろうか?と思うのです。自分の親が今どこかで、曲がった背中で吊り革にやっとの思いで掴まってる光景を想像したら、どうか心あるどなたかに席を譲ってもらっていますように……と願うはずです。
チェロ奏者のヨーヨー・マが以前、芸術や文化の大切さについて、こんな事を言っていました。
想像力無くしては、平和は実現できない。そして、芸術や音楽、文学無くしては、想像力は育たない。
近年、経済発展のためSTEM教育(科学、テクノロジー、エンジニアリング、数学)ばかりに重きを置いてきた結果が、このような心の貧しさにつながっていると感じざるをえません。