今更ですが、ボブ・ディラン
2020/07/22 13:06
6月頭に再燃したBlack Lives Matterの流れで、Amazon PrimeやNetflixの“おすすめ作品“が、ブラックカルチャーやブラックヒストリーを扱った作品中心のラインナップとなっています。それと並行して、娘がこのところ『E.T.』や『グーニーズ』といった80年代の映画を立て続けに見ていたせいか、We Are the Worldのメーキングビデオが”おすすめ“に出てきました。
いうまでもなく、We Are the Worldは、当時大きな問題となっていたアフリカ飢饉救済のために立ち上がったイギリスのバンド・エイドに触発されて、マイケル・ジャクソンやクインシー・ジョーンズが中心となって結成したUSA for Africaの名曲です。当時アメリカのヒットチャートを席巻していたアーティストや、アメリカのロック&ポップス界のレジェンドのそうそうたるメンバーが一堂に会し、心を一つにして熱唱しました。
このメーキングシーンを撮ったドキュメンタリーは世界中で放映され、日本でも、チャリティの呼びかけを随所に挟みつつ数時間の特別番組として放映されたように覚えています。85年当時15歳だった私も、いつもMTVのPVでしか見ることのないアーティスト達の生き生きとした素顔を見ることができ、次から次へと繰り広げられるスター同士の横の繋がりに始終興奮気味で、テレビにかぶりついていました。とくに私はシンディ・ローパーのファンだったので、シンディの一挙一動を追って、いちいちそのキュートさに、今で言うと、萌えて、いました。
実に35年の年月を経て再びこのドキュメンタリーを観て、懐かしさに胸が高鳴ったのは言うまでもありませんが、15歳の私が微塵も目をくれなかったある人物に、目が釘付けになりました。
ボブ・ディランです。
雛壇のど真ん中に立つ彼は、彼以外の全員がサビを絶唱している中、ヘッドホンに不具合でもあるかのように両方のヘッドホンを手で覆い、苦虫を噛み潰したような顔をして、うつむき加減に立ち尽くしているのです。それはまるで、転校生が校歌斉唱で口パクしようにもできないといった風情です。時折、口を動かしているようにも見えますが、とても歌っているようには見えません。
その晩は何かの音楽祭があったらしく、ほとんどのアーティストはそれが終わってから駆けつけており、あまりの疲労で場のテンションは高めでした。何テイクも撮り直し、徹夜の線が濃厚になった頃、誰かがハリー・ベラフォンテのヒット曲の一節を歌いました。それが大爆笑を引き起こし、そこから替え歌の即興合戦が繰り広げられ、場内が笑いのツボに陥るという一場面があります。周りが涙を流さんばかりに笑い転げ、自分の両脇の人たちがお互いのウィットを称えあってハグしたりしてるそのど真ん中で、ボブ・ディランは口角を少しも上げることなく、仏頂面で突っ立っているのです。ソロパートに至っては、他のアーティスト達がそれぞれの個性を活かしたスタイルで朗々と歌っている横で、どう歌ったらいいか分からないとスティービー・ワンダーに訴え、スティービーが実際にディラン風に歌って見せる一幕もあります。
正直なところ、35年前、幾度となくWe Are the Worldを聴きながら、私はボブ・ディランを認識してなかったどころか、むしろ「この曲の難をひとつあげるとするなら、エキサイティングな流れにそぐわないこの下手くそなソロだ」ぐらいに思っていたように思います。それがボブ・ディランだったことを、今知ったのです。
私は、大の大人がここまで率直に不快感を顔に出してるところを見たことがありません。いくら派手で賑やかな場が苦手でも、集まりの趣旨がここまで清く美しければ、無理にでも笑顔を取り繕いそうなものです。カメラが回っていて、その映像が世界の賛同を集めるために使われるとなれば尚更。しかし、ボブ・ディランは頑なに周りと歩調を合わせません。その媚びない姿勢に痺れました。
そういうわけで、このところボブ・ディランを聴いています。曲やその人となりについて語るにはあまりにもにわかなので控えますが、彼の詩が、歌声が、60年代、70年代の若者にインスピレーションを与えたのが分かる気がします。
当時と同じぐらい傷ついた今のアメリカで、私の心にもボブ・ディランが染み入るのを感じています。
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